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サッカー人生に終わりを告げた日

2024年6月21日(金)。

「もう復帰は間に合わない」医師にそう言われ、私のサッカー人生は突然終わりを告げた。

当時を悔しい想いを忘れないようにnoteに今の想いを書き記しています。

私が現在大学4年生。21歳。

今年で小学2年生から続けてきたサッカーを辞めると決断をし、並々ならぬ想いでシーズンをスタートさせた。またその背景には、今年限りでサッカーを辞めるという悲しさがどこかしらあったのかもしれない。

体調は万全、例年以上にコンディションも好調。最高の形でリーグ戦に臨める。そんな矢先、自分は練習で足を怪我してしまった。

シーズン開始から約一週間前の出来事だった。

今までは多少の怪我があっても、なんとかテーピング巻いたり、どうにかこうにか誤魔化してサッカーを続けていた。なぜなら中学生、高校と厳しい環境で鍛えられ、多少の怪我では休むなんてありえなったからだ。

しかし、今回ばかりは少し違った。

太ももに力が入らないのだ。

走るたびに足に激痛が走り、怪我した当時は歩くだけでも痛かった。
私の怪我名は「ハムストリングス症候群不全剥離損傷」と呼ばれるものだった。

同じ箇所に強い痛みがかかり続けることが原因で、蔓延的な痛みが四六時中続く状態であった。

そこから2か月くらいは安静し、回復の具合いも自分の感覚では、とても良好で6月終わりの時点であと2週間もすれば、部分合流出来るだろうという状態まで来ていた。

私のカテゴリー担当である上間さんに来週から復帰する旨を伝えたところ、念のため清水先生(横浜F・マリノス提携)にも見せに行ってから、そこから復帰しようと言われた。

そして、その週に清水先生の病院に足を運ぶ経緯となった。

清水先生のことは、奈良さん、金子さん、また過去に通院したことの仲間などから聞いても、とても信頼が厚く「清水先生のところに行って良くなった」と言っている仲間もほとんどいた。

なので、私も過度に期待していた訳ではないが、心の中では復帰まであと一歩だというワクワクがこみ上げていた。


しかし、私の期待とは裏腹、、、、、


そこで清水先生に言われたのは「まだ復帰出来る状態ではない。復帰まで早くて3か月~6か月かかる」そうバシッと言われてしまった。

ドクターの清水先生からは、PRPという最先端の注射治療を勧めて貰った。
しかし、まだ保険が適用されず、一本打つのに約2万円かかかるとのこと。

一本ならまだしも、一か月ごとに一本ずつ×3か月間。

その期間は走りもだめだし、絶対安静。そうでないともう完治は出来ない。そう宣告された。

その場で結論を出すことは非常に難しく、とても悩んだ。

これから私がプロサッカー選手を目指す立場にいるのなら、お金なんて惜しまないですぐにその治療を受けていただろう。

しかし、大学生でサッカーを辞める決断をして自分に取っては、そこまで時間とお金をかけて、治す必要があるのかと葛藤した。

でも本心ではもう一度サッカーを思いっ切りやりたいし、欲を言えば試合にだって一分でも良いから出たい。

しかし、7月に入る時点でもう既に3か月くらい休んでて、あと残りのサッカー人生も残り3か月しかない。そこから+で3か月~6か月かかるなんて、もう引退を宣言されたと同じ状態だった。

でも現実を正直に受け止め切れなくて、スタッフに対して本当の事を話すべきか迷った。サッカーをもう一度したいのに、本当の事を言ったら絶対に止められる。

悪い言い方をすれば、嘘を付こうとした。

その日は何もやる気が起きなくて、昼過ぎくらいに横になってたら、気づいたら20時まで寝てしまった。

いつもはどんなに忙しくても、英語の勉強に手を付けるけど、その日だけは一切勉強に集中出来なかった。

結局全てスタッフにも話して自分の考えも全て伝えたが、現実を受け止められない自分がいた。小学2年生の時に家が近くの一つ上の先輩に誘われて始めたサッカー。かれこれ15年間続けてきたサッカーをこんなにすっぽりと諦める訳がない。

今までキツイこと、しんどいこと、嫌なこと、楽しいことなど色んな事を経験してきた。でもどんなに嫌なことがあっても、どんなにしんどい時期でも、次の日にはけろっとしてまた練習に向かっている自分がいた。

小さい頃から暇さえあれば公園で夜遅くまでボール蹴って、日が落ちると家の中にある小さなスペースで兄弟男4人でサッカーした。

そのくらいサッカーが好きで、サッカー中心に物事が全て動いてた。

私の性格上、皆の前で弱みを見せるのが本当に嫌いで、皆の前で泣いたり、痛がったりしたことはほとんどない。

皆の前ではいつも気丈に、そして明るく振舞おうとは意識していたけど、今回の件ばかりが家で一人嗚咽がするほど泣いた。

親にも怪我の事を後ろめたい気持ちからずっと言えてなくて、今回の怪我を気に報告する形となってしまった。友達も尚更だし、親にもほとんど涙なんて見せたことはないですが、この時ばかりは色んな想いがこみ上げてきて、ポロポロと泣いてしまった。

リハビリにいる期間も皆が「復帰はいつとか?」「待ってるよ!」って声をかけてくれて本当に嬉しかった。自分もすぐに復帰するよ!とか、もう痛みはないよ!って言ってたけど、実際には痛みも全然あったし、まだ自分の体が完全じゃないことくらい分かってた。

でもその時は、もう引退する時期が近づいていたから、とにかく焦っていた。自分の中では色々な葛藤があって、自分のことや仲間の事を考えると、1,2日で簡単に結論を出せるような人間では無かった。

自分はサッカーをしたいけど、自分のパフォーマンスのせいで周りに迷惑をかけたくないとか、色んなことを考えた。

だから自分にとっても、この決断はすごく時間がいるものだった。でも今まで生半可な気持ちでサッカーに取り組んできたら、大学までサッカーを続けていないだろうし、一人で頭を抱えて悩むようなこともなかったのかもしれない。

でも下手くそなりに、自分らしく今まで頑張ってきたから、立ち直るまですごく時間がかかった。


でもこの時に思った。

この挫折が将来自分にとって価値があるものにしようって。

この挫折があったら、今の自分がいるんだ。そうやって胸を張って生きよう。そう誓った。


10年後、20年後、これを見ている自分はきっと大成していることだろう。自分のやりたいことを、やりたいままやっていると思う。

そしてこれからも他人に元気と勇気を与える人間であり続けてほしい。


自分の第二章の人生がここから始まる。


2024年7月15日(月)

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