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前世の記憶〜理性で割り切った人生〜

マンサオリジナル蘇りセッションで前世を体験してもらう


ヒプノセラピーをオリジナル化した蘇りセッション。蘇りセッションのセラピストを育成しています。そこで前世をみた方の体験をご紹介をしたいと思います。
前世は他者にリーディングしてもらうより自分で体験するのが本物であり現実です。

今回は私の前世を見ていきます

この前世の記憶から、人生では何が大切で、何が重要か。

みなさんの人生のヒントにして欲しいです。


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カルマとは?

生まれ変わるたびに歪みができていきます。

傷ついたこと、深い悲しみ、苦しみ、失望、絶望、たくさんの負の感情が私たちを蝕んでいきます。

そうすると今生きている私たちに影響をもたらしていきます。

その歪みは、わたしたちが生きる上で大切な愛の学びから遠くなっていきます。

愛は変わり果て魂は成長を止めてしまいます。愛を感じにくくなっていきます。

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愛すべき人、愛すべき家族、愛すべき自分からどんどん離れて生きることになります。

今わたしたちがすべきことはこの歪みを正し、愛を学ぶ魂へと戻すことです

愛がこの地球からなくなると人類は争い事を起こしこの地球から人類は消えてしまいます。

多くの行き場を失った魂は愛を求めて彷徨います。

再生すること、魂を解放すること、そして浄化することがもう一度愛を呼び起こします。

魂はどんな時も愛を求め、

愛すること愛されることから学び魂を成長させています。

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マンサの前世の記憶〜気持ちを押し込めすぎた男性〜


生活で必要な木を切っていました。オーストラリア、男性。心の感情が感じられなく淡々と生きているようでした。

重要な場面

道に迷って、自分が誰かわからなくなっていました。今でいうアルツハイマーみたいでした。まだ40代くらい。森の中を彷徨っていました。


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そのわずかしてから一人で暮らす家で亡くなりました。

とにかく心というか感情がない感じでした。

母親が光の中から迎えに来ても「いや、いい」と拒否をしていました。母親がしきりに謝っていました。でもそれを拒絶していました。

「家庭環境が悪すぎて誰も信用してない」やっと口を開いたらそんなことを言っていました。全ての感情を箱の中に閉まって淡々と生きてきた。最後は記憶を失い、亡くなった。


ただ、ただ、愛の光で包みました。

「本当は人と関わって生きたかった」彼の本音が聞こえました。辛い環境だからと色んな感情を心の奥にしまいこんで生きてきたようです。


自分を押し込めると感覚が鈍ってきて心が何も感じなくなっていく感覚だけが残っていました。


親と離れて一人で生きて自由にいたけど心にしまいこんだ感情はとっても不自由に感じました。

理性で割り切って、人と関わらずに生きるって、孤独な人生だなって思いました。

理性で割り切って押し込めすぎると感情や感覚が「ない」感じでした。

心が空白というか「何もない」感覚でした。自分の意思すらない感じでした。


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本音は「本当は人と関わって生きたかった」わけでしょ?本当の声を無視して色んな感情を押し込めて淡々と生きるって孤独ですよね。

なんだろうか心がないって人間としての喜びすら感じない生き方は幸せじゃないなって思います。


感情を押し込めすぎて、孤独すら、感じないって何だか寂しい人生だったなって今は思います。

私からすると死んだように生きている感覚でした。


マンサの前世の記憶〜遠慮して言えなかった気持ち〜


お父さん、お母さん、お兄ちゃん、祖母と幸せに暮らしていました。場所はヨーロッパ。男の子、9歳、小さな家に家族仲良く暮らしていました。

重要な場面

ベットの下に震えながら隠れていました。知らない人が家に押し入ってきてお母さんとお父さんが連れて行かれてお兄ちゃんとお婆ちゃんが殺されました。

ずっと両親は帰ってきませんでした。

この家にいると危険だと、なって家を飛び出して隣町へと逃げました。

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死の場面、30代後半、伝染病で亡くなった。(ドイツのイメージが出てきた)

私は内心嬉しかったです。子供で亡くなっていない。どうやら優しい子供のいない夫婦に拾われて幸せに暮らしたみたい。


でも心は感情を押し込めていました。産みの家族の話は避けて話さないで来たみたいでした。


起きた出来事も家族の話も一切誰にも話さずに生きてきて亡くなる前に後悔していました。本当は会いたい、本当は怒っている、本当は前の家族を愛していた、遠慮して言えずに来ました。

その我慢が後悔になって、夫婦に遠慮してその押し込めて生きたことを後悔していました。

また遠慮して隠して生きるのも心が「ない」そんな感覚がしました。

自分が「不在」なような感覚。最後はとってもよくしてもらえて幸せだったけど心はそんな喜んでもいなかったです。

後悔ばかりでした。

でも最後は本当の家族に会えて喜んでいましたが喜びがあまり感じないようになっていました。押し込めるってやっぱり心を「なくす」行為のようでした。


マンサのまとめ記事


どちらも理性で自分を抑えていた色んな感情。男性特有でもあるけど心をなくして生きるって辛いなって今の私は感じました。


割り切って感情を抑えることも、遠慮して言えずに割り切って生きても、後悔が残るようでした。そして心が「不在」自己不在のようでした。


人間が持っている感情や心の声を無視して抑えて生きるって後悔が残り生きているのに死んでいるみたいだなって感じました。


割り切ってそれなりに生きても心は浄化されないようです。負の感情をを押し込めて生きるって身体も重いし、心も重くなっていきます。


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感情を味わうことやネガティブなこともオープンにして受け止めていくとまた違った人生になっていたんだろうと感じました。


理性で割り切るって感情を「ないことにして」生きるって心をなくすことで喜びや幸せも感じにくくなる行為だと思います。


私たちは人間です。ロボットではありません。


本音すら死ぬ時にやっと絞り出して言うなんてなんて悲しいことでしょう。

生きること、心を自由に生きることです。感情は豊かでいるのがいいですね。


今の社会でも理性で割り切っている方が多くいます。心の本音や喜びや幸せや悲しみを感じなくなっているのではないですか?


心に蓋をせずに心のままに生きることをもう一度トライしてもいいのではないでしょうか。


やりたいことや心が望むことをしていく人で在って欲しいです。


後悔、無念、それすら感じない孤独、そんな生き方にならない生き方を選択して欲しいです。

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