見出し画像

不思議夜話 19

二人で里道を歩いていた。
道は片側が山肌に掛かり、反対側が田の畔に接している。ともに速足で歩いている相方を見ると、詰襟のそれも随分古風な学生服のようなものを着ている。若い。が、幼くはない。高校生か大学生といったところか。丸眼鏡を掛け、髪は七三に分けてしっかりと刈り上げてある。うっすらと口ひげもあるようだ。背は低い。
ただ、どこかで見たことがあるような人物だが判然としない。親しげには並んでいる割には、面立ちに友人の影は見えなかった。

しばらく行くと、三差路に出た。
左は、集落へつながるような道で、右は先ほど同様の山辺の里道が続いている。少しだけ前を歩く自分は右に進路を取りながら、青々と稲の苗が伸びている状況を指さしながら適当に季節の移ろう姿を語っていた。
気が付くと、すぐ背後にあったはずの人の気配が消えている。振り返ったが人影がない。当然、後をついてくるものだと思い込んでいたが、”彼”は左に舵を切ったようだ。

引き返そうか、とも思った。
しかし、すぐさま”この先で交差するはず”という考えが浮かんで、そのまま行くことにした。幸い集落内を2、3軒進むごとに、路地が梯子段のように里道に繋がっており、覗き込むと有り難いことに見通しが良い。これならすぐ見つけられそうだと思った。が、5本ほど路地を経ると、その距離がだんだん長くなっているのに気付いた。
心臓がドクンとした。
不安が身体中に広がる。山辺の里道とはその距離がV字型にどんどん開いているようだ。このままでは”彼”を見失ってしまう。これは困った。じっとりと首筋に汗が流れる。

次の路地で向こうに渡ろうと決めた。
右折した角には小さな祠が祀られた三十坪程の神域があり、端には太神宮の大きな石灯篭が立っていた。薄暗い路地の奥から数人の男の声がする。回り込むように慌てて灯篭の影に隠れた。石灯篭脇から男たちを覗き見ると、古い写真で見たような野良着におのおの鍬や鋤を担いでいる。5人ほどの男たちは一様に浅黒く背が低い。さっきから目に映る風景が何十年も前のものみたいだ。彼らは互いに軽口を叩きながら歩いているが、隠れている自分に気づいた様子はない。

男たちをやり過ごした。
石灯篭をくるりと回って神域を出て、路地を急ぎ足で抜ける。すると正面に大きな高床のコンクリート造の建物があった。壁面が校倉仕様になっているので、恐らく正倉院を摸しているのだろう。財を成した人の子孫が、地元に寄贈した貴重な遺品を展示すべくつくられた資料館のようだ。建物をぼんやりと眺めていると、”彼”が中にいるような気がして、大きな門のような鉄扉を開き中に入る。少しひんやりとした、だだっ広い大部屋の様だった。目が慣れてくると、本棚のようなもの、丸い円筒形の大きなガラス、何かの大きな台などが所狭しと置かれてあるのが確認できた。やはり資料館か博物館だ。棚や台の内部に置かれたもののみに柔らかいスポットライトが当たっており、室内は一様に暗かった。

奥の方で歩く人の気配がする。
顔を向けるとどうやら一人ではなく、屈強な男3人に囲まれるようにして学生服が進んでくる。”彼”はやはりここにいたのだ。
しかし、少しばかり様子が変だ。と思って、背の高い展示台の裏に身を隠した。ゆがんだガラスを通して覗き見る。”彼”は左手に分厚い本か雑誌のようなものを持ち、先頭を進む男の斜め後ろを歩いている。その後ろに背広を着た二人の男が続く。4人が背の高い円筒形の展示台の脇を通った時、先頭の男の左手が、”彼”の右の二の腕をしっかりと掴んでいるのを認めた。

連行されている。
理由は判らないものの、事態は急を要しているようだ。腕力には自信はないが何とかせねばなるまい。ここは考えるより行動だと、前を行く二人が通ったところで、タックルするように後ろの二人へ身体を投げ出す。突然のことに、二人は自分に躓くようにして前のめりに倒れた。転げながらさきを行く二人を見ると、”彼”はこの状態を予期していたかのように、腕を振りほどいて、左手の本のようなもので男に殴りかかっていた。男は事態が呑み込めないのか「彼」の為すがままになっている。やがて無手勝流の暴れぶりと大声で放つ恫喝めいた言葉に恐れをなして、ドタドタと施設を出ていった。
ふと見ると、倒れた二人も忽然と消えている。

「無事か。」
立ち上がって衣服に付いた埃を払っていると、声が聞こえた。
ああ、と答えながら”彼”を見ると、先ほど振り回していた本のようなものが目の前に差し出されている。手に取りパラパラと捲ると、古い新聞か何かをマイクルフィルムで撮影して、それを印刷しなおしたような、コート紙でできた本だった。相手にぶつけたせいか、少し角が傷んでいるが大きな損傷はない。
「無事か。」
と改めて聞くので、先ほどの問いが自分に発せられたものではないのが判った。なんだ、人より本かと少し腹立たしくなったが、展示物か何かでとても貴重な資料なのだろう。
「多少角が傷んでいるようだが、9割5分、いや9割8分はそのままだと思う。」
100パーセントを請け負うには外側に凹みがあるので、その分は割り引いたが、落丁などはなさそうだし、ページが破れているわけでもないから、この程度で良かろうと適当な返事をした。すると”彼”は、その本の中ほどを開き、余白に印字されている小さな文字を指さした。
「何と読める。」
5ポイントくらいの大きさで、その上元の資料の古さか製本後の時間経過か酷く見辛い。3つの文字の後ろは1,1と並んでいるようだが、最初の文字は潰れが激しい。少し歪んでいるが”7”と判読して答えた。

「カタカナの”ヲ”とは見えないか。」
何を言い出すのかと思ったが、確かによく見ると歪み具合からは”ヲ”の横棒が一本掠れたもののようにも思う。後ろが1、1だからといって、先頭が数字でなければならない理由はない。
「もっと言えば”ワ”かもしれぬ。」
もちろん、掠れや汚れを考えると、”ワ”でも”ウ”でもありそうだ。そういえば、古文書はなおのこと、戦前は新聞や電文など今以上にカタカナが多用されている印象がある。
しかし、何モノだこいつは…。
こちらの疑問を他所に「彼」は続けた。
「物事は、時々刻々と周りの状況に応じて変化していく。永遠や永久に同じことなどない。博物館に収められているとしても完璧ではない。確かに管理が良ければ千年後、二千年後も姿を変えず残っているかもしれぬ。では、一万年後は。十万年後は。それこそ一億年後は。
形あるものは、いつかは崩れて消えてゆく、そして命あるものもいつかは滅んでゆく。滅ぶときは、せいぜい後腐れなく、すっきりと消えていくのがよかろう。」
とつとつとした聞き覚えある口調を聞きながら、はたと膝を打った。

ニコッと笑った視線が合った瞬間、目が覚めた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?