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黄昏時に立つフリーレン

 朝刊の川柳に、黄昏時には孤独を感じるという意味の句が載っていた。そう言えば幼い頃、夕焼けが西の空を染める時間になると、一緒に遊んでいた友達が一人またひとりと家へ帰っていく時の心細さは、夜の闇が忍び寄る怖さと相まって、今思い出しても胸をキュッと締め付ける。
 話は変わるが、人気TVアニメ「葬送のフリーレン」が第二期まで終了してしまった。もともと、「週間サンデー」に連載中の人気漫画で、その余勢をかって?アニメ化され、こちらも人気作品となっている。
 詳載は避けるが、千年を超える寿命を持つ魔法使いのエルフが、人間の仲間と旅をする冒険談だ。物語はそれに先立つ数十年前に、このフリーレンという魔法使いが、勇者ヒンメルを始めとする仲間達と、10年にも亘る「魔王討伐」の旅を終えたところから始まる。今回はその時の仲間と”縁のある”新たな仲間とともに、前の旅をたどりながら、死者の国にいるであろう勇者ヒンメルの魂と対話するために出かけるというものだ。そして物語では、再活性化する「魔族」との戦いや、今は亡き勇者ヒンメル等の足跡や記憶をたどる旅程を通して、新たな仲間との心の交流や、それぞれの成長を描いている。知らんけど…。

 結末を見ない状況で軽々に語ると、ファンの皆さんからお叱りを頂戴することは重々承知しながら、旅ゆくフリーレンがどういう存在なのか、その意味を考えてみたい。
 当然のことながら、千年を超える寿命を持つエルフからすると、百年に満たない人間との10年程度の交流など、どれほど濃密であっても一瞬の出来事であり、長い人生におけるほんの一コマにしか過ぎない。人生は数多の人々と出会い、別れていく長い旅路だ。我々人間に置き換えても、労苦をともにした親友や、はたまた家族という繋がりであってさえ、人生80年、四六時中同じ時を過ごしているわけではない。エルフと同様、出会っては別れ、別れては出会い、時折、共に過ごした時間の痕跡を目にして互いを懐かしむ。そして、「いつかまた」と手を振る時が永遠の離別となる事も少なくない。千年生きようと、一秒の人生であろうと、生きとし生けるものは、基本ひとりで生まれ、ひとりで死んでいく運命だ。長短を競う意味はない。フリーレンの旅路は私達の人生そのものなのだ。

 そう考えると、このの物語は、残酷なまでに「人生は孤独だ」という事実を改めて眼前に突きつけてくる。だだそれを、”所詮”と斜に構えるのか、”されど”と前を向くのか、それこそ、個々人の「生きる」ではなく、「生きていくこと」の意味や意義をどう考えるのかに関わってくるのではないだろうか。
 因みに「葬送」とは、死者を野辺送りする儀式、儀礼のことだそうだ。今を生きる人々が死者を担い、鎮魂の地へ向かう間、その死者と共に過ごした時を、互いの魂が懐かしんで語り合う時間なのだろう。
 「葬送のフリーレン」、旅の続きを早く見たいものだ。


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