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不思議夜話 18

気が付くと、冷たいベッドの上に仰向けになっていた。
天井に嵌め込んである化粧板の目地が作る模様が、規則正し過ぎて少し苛立ってくる。ベッドは、薄緑色のパイプでできた病院用のもので、足元にも丁度L字型にもう一つ並べてあった。どうやら、二人部屋の病室で眠っていた居たようだ。それにしても、ベッドをL字型に並べてある病室など初めて見る。奇妙な光景だと、目を凝らして足元のベッドを見た。

そこにも、一人の男が仰向けに寝ていた。
何やらリンゲル液のような袋を左のT字棒に引っ掛けて、点滴を受けているようだった。しばらく見つめていると、ドラマで見かけるような手術着一式を着て、額に反射鏡を付けた医者が、その男に近づいてくる。
「どうですか、お加減は。ちょっと見せて下さいね。あれあれ、こんなになってる。」
患者は答えることなくじっとしている。答えは分かっているとは言いながら、相手の承諾も得ず、急に懐中電灯を当てて顔を覗き込むなど全く無粋なものだ。天邪鬼の俺なら顔を背けてやるのにな、などと考えながら見ていた。
「いち、に、さん、し…。」
右手で鉛筆みたいな棒を持ちながら、顔の上に当てて何かを数えているようだ。
「じゅういち、じゅうに、じゅうさん。あっ、じゅうさんだ!」
突然、大声を出したかと思うと、至極重大な発見でもしたかのように、飛び上がって駆け出した。

「全く、毎日で飽き飽きしますよ。」
でっぷりと太った身体を起こしながら患者は苦笑いしてこっちを見た。身体つきから、二つ下の弟のようでもあるし全く他人でもありそうだが判然としない。
「多分顔の黒子をね、数えてるんでしょうが…。でも、13まで数えたら飛び出していくんです。」
「13が何なんでしょうね。」
こちらも身体を起こしながら応えた。
その患者は、分厚い作業着のような服にそでを通しヘルメットをかぶると、軽く会釈をするとどこかへ消えてしまった。
しーんとした静寂が辺りを包む。
窓があるのか、頭の後ろから涼しい風が流れ込んでくる。そうだな、暑い暑いと思っていたら、いつの間にか秋になったんだな、と思いながら振り返って、レース様のカーテンからこぼれる月の光をぼんやりと眺めていた。

静寂を鋭利な刃物ですーっと切り割くように、遠くから幽かなサイレンが聞こえてきた。パトカーか?いや、何やら半鐘のようなものが混じるので消防車だ。
こんな時はどうしても”火消し”一族の血が騒ぐようだ。父も伯父も、そして弟も消防士だ。その中で、普通に会社員をやっている”親不孝者”だが、消防車のサイレンには不思議と反応してしまう。立ち上がって窓から外を見た。
音は聞こえるが、特に何かが見えるわけではない。外へ出なければわからないのだろうと思って周りを見渡すと、縦長の擦りガラスを二枚嵌め込んだ緑色の扉があった。鼻の奥がツーンとなり血圧が上昇、鼓動が高鳴るのが判る。急いでペタペタと音のするスリッパをつっかけて外へ飛び出した。小さな前栽のような庭を過ぎると、昭和なくぐり戸があり表通りに出られた。


音は左からした。
建物と道路の境界には、肩高のウバメガシが生垣として植わっており、それがずっと先まで続いている。道路と生垣の先頭が重なって点になるところを目指して駆け出す。ふと横を見ると、生垣越しに犬が一匹追いかけてきた。シェパードだ。吠えながら横をついてくる。真正面に薄くオレンジ色に光る点が見える。あそこが火元か。生垣の向こうにはだだっ広い広場があり、その先は少し丘陵になっている。何人かの人がその丘に立ち、先を指さして互いに何か話している。火元が見えるのかもしれない。
生垣は数十メートル先で無くなり、その先は有刺鉄線と単管で簡易な柵になっていた。建物側には、トタン屋根で覆われた大きな倉庫が長く続いていて、壁の部分は目の詰まった網が嵌め込まれている。倉庫には沢山の棚が何段にも重ねられているようだった。

と、その時だ。
「どーっ」という大きな音とともに、その倉庫の棚を逆方向からニワトリがこちらに向いて走ってきた。何段にも重ねられた棚を一目散に駆けてくるニワトリの大群は壮観というより恐怖だ。何ものかに追われているようで、”必死の形相”で駆けてくる。どうやらさっきの犬はその異変に気付いて、牧羊犬宜しくニワトリの制御にやってきたようだ。しかし、大量のニワトリは吠える犬を飲み込んでしまう。それを見てこちらの駆けるスピードが緩む。そして、さっき出てきた病院の様な場所に向かって、駆けていく雲のような塊を呆然と見つめていた。

遠くに見えていた鬼灯色の塊がどんどん近づいてきた。
間近になってよく見ると、それは羽毛に火の付いたニワトリの一軍だった。
そうか、火事は鶏舎で、その火が移ったニワトリが慌てて走り回るのでどんどん火災が大きくなっていくのか。倉庫のあちこちに火が移っていく。こりゃ大火災になるぞ。うんと先に、消防車が止まって消火作業をしているようだが、火の付いたニワトリが暴れまわるのだから、なかなか作業が捗らないようだ。うねる消火ホースは大蛇の断末魔の様だ。
順番にニワトリに火が移って導火線のように飛び回ると、さっきの病院もあっという間にその厄災いに飲み込まれてしまうに違いない。慌ててもと来た道を引き返すことにした。みんなに知らせなければ。ましてや病院は移動の不自由な人も少なくないだろう。いち早く知らせて、対応する事が必要だ。今まで”火”を目指して駆けてきたのが、”火”に先んじて駆けなければならなくなった。そうしないとこの火災に地域一体が焼き尽くされるかもしれない。息が上がる。

「業火」という言葉が頭に過って、病院での出来事がまた浮かんできた。「じゅうさん」は13。西洋では不吉な数字とされる。「業火」は地獄の厄火の事だ。
そうか、あの医者の「13」は、この災害の事を予知していたのか。
ちくしょう、もう少し早く閃けば…。
ウバメガシの生垣まで戻ると、火の付いたニワトリが倉庫の塀から解放されて飛び出してきた。半端なく素早い。あっという間に迫られて、呑み込まれてしまった。
死が頭をよぎる。前が見えない。息が…。

うつぶせ寝のまま羽毛枕に顔を埋め、藻掻いている自分がいた。


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