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不思議夜話 15

気付くと電車に乗っていた。
右の肩を扉に少しもたせて車外に目を遣ると、縦長の窓から緑一面の風景が流れていく。真夏の田畑は優しいというより、少しばかりとんがった緑だ。
と不意に、その緑色一色の中に”こげ茶の塊”が目に飛び込んできた。

目を見開いて必死でそれを追う。
漫画のコマ枠のように鉄骨の電柱がリズムを刻む度に瞳の絞りがリセットされる。その”塊”は、ガラスに吸い付くように近づいた目の端に追いやられ、やがて消えてしまった。
モヤモヤした気持ちで、あれは何だったんだろうかと考えるが、いっこうに答えにたどり着かない。ぼろ布でも、ごみ袋でもなさそうだ。頭の中で”こげ茶の塊”が目の前を時計回りにグルグルと回っている。

次の瞬間、その”塊”の脇に立って見下ろしている自分がいた。
電車の扉から、すぅーっと抜け出てきたような気分だ。それは荒地の雑草の上にドサッという感じではなく、フワッと浮かんでいるように思えた。
よく見ると茶色の濃淡で縞模様柄の「猫」だ。随分大きなやつで小振りの柴犬くらいある。それが仰向けで”両手”を広げている。少し開いた口からこぼれる白い牙が不気味だ。まさしく「大」の字になって動かない。
死んでいるのか。
気になって尻尾を足で軽く揺すってみるが動かない。ああそうだ。今年の暑さは半端じゃない。それにでもやられたのだろう。念の為、今度はつま先で片足の先を軽く蹴ってみる。動かない。やっぱりな。
その場を離れようとした時、猫は横を向いていた顔を徐ろにこちらに向け、邪魔臭そうな目線を送ってきた。驚いて1メートルばかり後退った。心臓がティンパニーみたいに高鳴る。生きているんだ。

猫は眼差しをこちらに投げかけたまま、ゆっくりと体を捻って起き上がった。それから大きな口を開け、目を細めて、プルプルと体を震わせ、四肢を思いっきり伸ばす。「フッワーッ」という声が漏れてきそうだ。
毛を立てて軽く身震いすると、「フンッ」とでも言うようにして目線を外し、ユックリと歩き出した。
ぼんやりと眺めていると、その猫は立ち止まって振り向いた。暫くこちらを見ていたが、やがてまた顔を戻して歩いていく。尻尾は地面に付かない程度に下げているが、警戒しているのか左右に大きくは揺れない。まるで糸で上からつるされているようだ。
また、立ち止まってこちらを見ている。そうか、「ついてこい」という事だなと合点がいって、その後を追う事にした。
あぜ道を暫く歩いて葦のような背の高い植物が群生しているところを曲がったので、見失わないように小走りになってこちらも曲がる。すると、猫の姿は忽然と消え、田舎風の家屋の玄関口に居た。

我に返って見回すと、右手が幼い娘の手を握っている。長く伸ばしたくせ毛をポニーテールにしていた。私の血筋か、髪の毛の色は黒というより栗色に近い。あれ?、娘はとうに三十路を過ぎているはずだがと思ったが、暫くするとその”思った”事の方が勘違いか夢の中の出来事のような気がしてくる。
左手で少し軋む引き戸を開けると、薄暗くひんやりとした玄関の土間が現れた。大きな御影石が二枚敷いてある三和土があって、その上に立ち、板間に娘を抱き上げて座らせる。上がり框というのだろうか、田舎家の蹴込み部分は随分と高い。娘がこっちを向いて足をブラブラさせていたので、靴を脱がせるとよろけながら客間の方へ歩いていった。娘には四肢に障害があり歩くのは不得手だ。慌てて靴を脱いで追いかける。板間の柱に掛かっている時計の音が時刻を告げた。その余韻が妙に懐かしい。
そうだここは母方の祖母の実家だ。小学校5年生の夏に帰ってきりだからかれこれ半世紀ぶりになる。っていうか、もうあの家は無いはずだ。随分前に空き家になって、新しい小学校用地として町に買い上げられたと母親の従妹が話していたと思う。
そんなことを考えながら娘を追いかける。目の前にいるはずなのになかなか追いつかない。気が焦る。その間にも客間のふすまの隙間へ娘が躓きながら入っていく。スローモーションを見ているようだ。
あっ、危ない、と叫んで倒れ込むようにふすまを押し開けた。

電車の中だった。車内は木製でそれも結構古い。
のっぺりした顔の乗客が数人吊革を握っていた。少し離れたところに、こげ茶色の髪でポニーテールにしている女の子らしい後ろ姿が見えた。なんだ、娘は先に乗っていたのかと、その名を呼んだ。ポニーテールが振り向くと、大の字になったこげ茶色の猫に変わっていた。

ギャッと叫んだら目が覚めた。

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