不思議夜話 14
無機質な白い部屋の中でポツンと立っていた。
それ程広くない部屋の中程には、所々錆びついた草色の鉄パイプで無造作に組み立てられたベッドが置かれてあり、糊の効いた白いシーツの上には誰だかわからない人物が横たわっている。微かに消毒薬の匂いがしたような気がしたのは、ここがどこかの病院だからか。それにしては古めかしい。まだ「昭和」と呼ばれていた時代に記憶がある病院の雰囲気だ。
ベッドを挟んだ向かいには、踝まである白衣を不格好に羽織った医者が、ベッドを眺めていた。その横には看護師らしき女性もいるが、これも真っ白のスカートにキャップ姿で今の病院ではあまり見かけない。
何か昔のドラマの撮影現場でも立ち会っている気分だ。
目線を上げると天井に電球色の明かりがぼんやりと灯っているが、妙に寒々として薄暗い。気づまりに耐え切れず声をかけた。
「で、どうなんですか。」
「検査をしたのですが…。」
医者が重そうな口を開いた。
「この患者さんの前の人に、些か問題のある結果が出まして。」
えっ、なに?
目の前に横たわる人の話じゃないの?じゃ何で俺、神妙な顔をしてここに突っ立ってるの?この患者らしき人は誰?状況が掴めない。
血圧も急上昇する感じがして、頭の中で切れ切れの言葉が何度もこだまする。軽く胃のあたりが締め付けられるようだ。少し困惑して周りを見た。
さっきまで壁だと思っていたところに、深緑のソファーベンチがあり、2、3人の男が腰掛けてぼんやりとこっちを見ていた。一番手前には、前の勤め先で一緒に仕事をしていた男がいる。特に親しかったわけでもないが、黒縁のメガネを掛けた小太りの男で、見かけが穏やかな割には、神経質な一面もあった。
「やっぱりね。」
その男が顔を上げた。どことなく顔色も優れないようだ。
「胃のあたりが調子悪くってね。さっき食べたうどんがよくなかったのだろうか。」
足元を見ると、大ぶりの鉢に折れた割り箸が突っ込んであり、残り少ない出汁の中でうどんが三筋ほど泳いでいた。男は視線をその鉢に送って、そのまま動かなくなった。
「誰かが蹴つまずくといけないよ。」
返事はなく、下を見つめたまま男も動かない。仕方がないのでこちらで片付ける事にした。
溢さないように注意しながら、真ん中に擦りガラスが嵌めてある木製ドアを開ける。このドアを見てもつくづく古びた佇まいだと思う。
扉のすぐ外に置こうかとも考えたが、うどんが出前であるか定かでないので回収してくれる保証もなく、それに本当に誰かがつまずくかもしれない。仕方がないので炊事場か何か、バックヤードを探すことにした。
廊下には濃い緋色で毛足が長めの絨毯が敷いてあった。クリーム色の壁にはほぼ等間隔で扉が並んでおり、順番に数字が振ってある。病院にしては大仰な雰囲気だ。どこかで見たことのある光景だと思って、想い返すと昔アルバイトをしていた大きなホテルの廊下に似ていた。あのホテルでは夜間のベルボーイをしていた。深夜から早朝にかけてが担当なので、お客さんの案内や荷物運びだけでなく、安全巡回や空き室の掃除、お湯のサービスなども業務としており、結構忙しかった。
そんなことを考えながら、フカフカの絨毯を歩く。ポツポツと続く天井の電灯に、焦げ茶色のドアが浮かび上がっては後ろに流れてゆく。そういえば夜中の安全巡回は一人きりで長い廊下を歩くのは多少怖かった。携帯電話などない時代で、事故や事件があれば、廊下壁に掛けてある館内電話までたどり着く必要がある。真夜中なので、エレベーターホールを通り過ぎた途端に、到着ベルが鳴ろうものなら心臓がビクンとなり総毛立ったものだ。
そのうち、フカフカだったはずの足元がグニャグニャになって一歩一歩の足がとられるようになってきた。よく見ると、周りが歪んで廊下が波打ってきている。これは大変。鉢のうどん汁を溢してしまう。慌てて走り出すと、目の先に廊下の突き当りが見え、そこには屋外非常階段の踊り場に出る”はず”の鉄の扉があった。
慌ててうどん鉢を左手に持ちなおし、右手でノブをつかむと思い切り扉を開けて飛び出した。あのホテルではそこは非常階段の踊り場のはずだったのだが…。
笹薮の広がる山道に飛び出していた。
腰高以上に伸びている笹をかき分けて山肌を登る。左手には相変らずうどん鉢があったが、足元はいつの間にかゴム草履に変わっていた。山肌が湿っているせいか、ズルズルと滑って思うように歩けない。右手でかき分けた笹を握って、その力を支えにして足場を作りつつ登る。ただ、左手が自由に使えないため思うに任せない。登れば登るほど笹薮は深くなり、ほとんど背丈を覆うほどの高さで前が見えなくなってきた。手足だけでなく、顔も笹に覆われて息苦しい。
だんだん腹が立ってきた。
親切心でうどん鉢を廊下に出そうとしただけなのに、今こうして笹薮に囲まれた上に、そのうどん鉢に手を取られて身動きが取れない。
腹立ちまぎれにうどん鉢を放り投げた。
が、鉢は手に吸い付いたように離れない。それどころか、重くて肩から上に上がらない。藻掻く、焦る。一体全体どうなっているのだ。息苦しさも最高潮となった。
はーっ、と口で大きく息を吸った。
枕に俯せで眠っていた自分に気づく。
布団に折り込んだシーツがいつの間にか開けて、左手に巻き付いていた。
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