美味しいコーヒーの定義
1978年にフランスで開催されたコーヒー国際会議で、エルナ・クヌッセン女史がスペシャルティコーヒーの定義を提唱したのはコーヒー業界では有名な話ではあるが、「美味しいコーヒーの定義」というのはなかなか難しい。
以前働いていた職場のオーナーが
「良いカフェは1に雰囲気、2にサービス、最後に品質」
と言っていたのがとても印象深く残っている。
好きが嵩じてコーヒーの仕事に携わっている人や、自分でコーヒーセミナーなどに通ってしまうプロ顔負けのコーヒーマニアを除けば、コーヒーにそこまで「品質」というのは求められてないのかもしれない。
実に耳が痛い話である。
ただ、僕らのようなコーヒー愛好家にとっても、該当する事は多い。
例えば、かび臭い不衛生な店で、無愛想な店員から、100均で売っているようなマグカップに注がれたCOEのコーヒーを提供されても、美味しいとは思えないだろう。
或いは、どれだけ素晴らしい店で、愛想の良い店員が、Wedgewoodのカップ&ソーサーにカップスコア90点のコーヒーを注いでくれたとしても、同じ空間に居るのも苦痛なほど嫌いな人と対面して飲むコーヒーもまた、美味しいとは思えない。
では、「美味しいコーヒー」とは一体なんなのだろう。
気の合う友人と、清潔感のあるお洒落なお店で、素晴らしいサービスを受け、調和の取れたカップに注がれたコーヒーを提供されれば、大抵の人は満足する。
しかし、コーヒー好きは贅沢なのである。原料の品質や焙煎、抽出の方法まで求めないと腹十二分になってはくれない。強いてはコーヒー屋の理念やら活動まで追っかけているのだからいやはや恐ろしい。
「たかがコーヒー、されどコーヒー」とはよく言ったもので、僕らのようなコーヒーマンは常に「たかが」と「されど」のバランスを模索しながら自分の信じた原料をセレクトする。
素晴らしい経営理念、ひた向きな情熱と姿勢から生まれる確かな品質があってこそ、それに見合ったサービスが発揮され、お店の雰囲気が良くなる。
少なくとも僕はそう信じて止まず、前述したカフェのイロハを逆から読み解いている。
「美味しいコーヒー」に出会うまでの道のりは長く険しいのであった。
最後に。「美味しいコーヒー」は至高の嗜好品。まだ出会ってない貴方は是非ご賞味あれ。
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