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ヒトはなぜ物を所有したくなるのか? Disc1 マズローより愛を込めてchapter4

今回は、マズローの原典の論文(A Theory of Human Motivation。以下、人間の動機づけ理論といいます。)に書かれている安全性の欲求についてだ。
 
安全性の欲求について、子供と大人を対比しつつ述べているため、以下、子供と大人についての記載とそこからの考察に分けて論じたい。 ※1

子供

・人間の動機づけ理論では、「大きな音、閃光などの異常な感覚刺激への驚き、乱暴に扱われる。母親の腕から突然落とされるなどがあると、自分が危険にさらされているかのように反応する。また、病気に対してより直接的な反応をする。」と述べる。これは経験則と合致する。
・嘔吐やするどい痛みなどを経験した子供は世界感がまるで変わり、あらゆる危険が起こり得ると認識する旨の仮説をたて、例えば病気を患うと、病気の前に見られなかった保護や安心の必要性を感じるようになる旨述べている。自分の幼少期の頃の記憶を絞りだすと、病気でしんどいときは両親に甘えていたようにも思うが、病気の後の記憶はない。治ったことを喜び、すっかり忘れていたのではないだろうか。やや違和感がある。
・「子供が安全性を求めることの現れとして、乱れのないに秩序や生活リズムを望む。予測可能で整然とした世界を望んでいる。両親が不公平、不公正、矛盾していると、子供は不安に感じ、安全でないと感じるようだ。不公正な態度が世界を信頼できない、安全でない、予測できないものに見せるという危険を感じるからかもしれない。幼い子供たちは、骨格のある硬直性のあるシステムの下でよりよく成長する。スケジュール、日課、現在から将来まで当てにできる何かがある世界。無秩序ではなく、組織化された世界を求める。」旨述べられている。
しかし、どうだろう。子供こそ欲望のままに生きさせると、夜遅くまで起きるし、生活リズムが乱れまくるのではないだろうか。少し違和感がある論調だ。
・「家庭内のケンカ、身体的暴力、別居、離婚、死別。怒りの爆発、罰の脅し、厳しく話しかける、揺さぶる、乱暴に扱う、体罰は、子供にパニックと恐怖を引き起こし、肉体的苦痛だけではない何かに影響する。このような見慣れない、制御できない刺激や状況に直面すると、子供には、危険や恐怖に対する反応が頻繁に現れる。このとき子供が必死になって親にしがみつくのは、親が安全性を与えてくれるという役割を求めている」かららしい。経験則に照らして、特に違和感はない。
・子供は、安全で、秩序正しく、予測可能な、組織化された世界を好む。簡単に子供がこのような反応をするということは、社会の子供たちがあまりにも安全でないと感じているということ。愛情に満たされた家庭で育った子供は、普通このような反応を示さず、大人も危険だと思うような状況に対して反応を示す。
 
子供の部分に関する記述全体から、細田守監督の「未来のミライ」というアニメを思い出した。ネタバレになるが、ストーリーは「幼い子供に妹ができる。両親は自分ではなく妹の面倒ばかり見る親の注意を引こうと様々な行動を起こす。もうちょっとで妹自身にまで!?」というもの。よくある話をアニメ化した作品だ。
妹や弟ができたときに両親や身内が自分を見てくれないことについて、兄や姉は自分自身が安全でないと感じているのかもしれない。もちろん、承認欲求という側面も否定できないが、幼い子供であれば安全性の欲求の割合が高いのではないか。兄弟姉妹の事例についても分析してみると面白いかもしれない。

大人

・神経症の大人:「子供っぽさを残したまま大人になった」と述べられている。例えば、お尻を叩かれる、母親に反対される、親に捨てられる、食べ物を取り上げられることを「恐れている」かのように行動するといえる可能性があり、子供の頃の危険に対する恐怖と脅威が心の奥深くに潜り、成長や学習の過程で手つかずになり、子供が危険や脅威を感じるような刺激によって反応するようだ。
・強迫観念の強い大人:手に負えないような危険(予期しない、見慣れない危険)が現れないように世界の秩序を安定させようとすると述べられている。あらゆる種類のルールで不測の事態に備え、新しい不測の事態が現れないようにする。見慣れないものや奇妙なものをすべて避け、規律正しく秩序立て自分の均衡を保とうとする。予期せぬ危険が起こらないように世界を整えようとする。自分に落ち度なく予想外のことが起こると、予想外のことが重大な危険であるようにパニック状態に陥る。それゆえ、強迫観念の強い大人は、慣れ親しんだものを好むようだ。
・世界の安全や安定を求める、見慣れないものよりも見慣れたもの、未知のものよりも既知のものを好むという非常に一般的な側面があるらしい。宇宙の成り立ちと我々人間の関係について何らかの首尾一貫した説明を考えること(何らかの宗教、哲学を持とうとする傾向)も、部分的には安全性の欲求が動機になっていると述べている。通常の人は、戦争、病気、自然災害、犯罪、社会の混乱などの緊急事態においてのみ安全性の欲求に反応するらしい。

ビジネスにおける考察

ビジネスにおいて求められる企業風土の変化。そしてそれに抗う人たち。このような現象が起こるのは、当該組織の中における安全性の欲求がどのような状態であるのかが影響しているのではないかと筆者たちは考えた。
企業風土は、それを支える人事評価制度が存在し、それが裏表なく実行されてはじめて完全なものになるのは自明の通りである。企業が変化を求めるのであれば、当該企業における変化したい人たちの安全性の欲求を満たすような人事評価制度を創りそれを愚直に実行しなくては、人間の根源的な欲求と対峙できず、組織風土は変化しないのかもしれない。
また、ビジネスで大きな危険を伴う経験をした大人も、安全性の欲求が過剰に反応し、意思決定において慎重になりすぎる傾向にあるように思う。この点はアンケートをとって定量化し分析したわけではないため、筆者たちの感覚に過ぎないが、これもマズローの安全性の欲求が顔を出している場面といえるのではないか。
さらに、最近「心理的安全性」に関する書籍が注目を集めているが、マズローの安全性の欲求が根っこにあるのではないかとも考えた。このあたりもいずれ機会があれば分析してみたい。

所有との関係における考察

人間の動機づけ理論からは直接的な考察は得られなかったが、この理論から類推すると、子供の頃や大人になってから安全性を脅かされた経験がある人は、世界を安定的な秩序ある状態にするために、通常の人よりも過剰に所有してしまうのかもしれない。これを仮に「神経症に基づく所有」と名付けようと思う。
  
次回は社会的欲求について。
 
                                                                                          Chapter5へ続く。
 
※1 他にも、人間の動機づけ理論には次の記述があったが、特徴的なものではないため、本文からは割愛した。
・生理的欲求がある程度満たされると、新たな欲求である安全性の欲求が出てくる。
・安全性の欲求については、生理的欲求とほぼ同じことが言える。現在の世界観や哲学だけでなく将来の哲学にも強い影響を及ぼす。この欲求に支配されている人は、ほとんど安全だけのために生きている。
 



 

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