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興味の無かった会社の面接が、人生を変えた話。あの人に感謝を伝えたい。

時を遡ること11年前、2011年春。
当時大学4年生だった僕は、就職活動の真っ最中でした。ただ震災が起きた直後で、企業の採用活動も長い間ストップし、混乱状態にありました。

そんな中でも将来を決めなければならないということで、いろいろな企業の面接を日々受けていました。京都の大学に通っていて京都に住んでいた僕は、東京と大阪の企業の面接を受けるために夜行バスで何度も往復したものです。若かった。今夜行バスに乗ったら一発で腰が爆発する自信があります。

その中で、未だに強く鮮明に記憶に残っている面接があります。あえて企業名を出させていただきたいのですが、「株式会社ワークスアプリケーションズ」というIT系の会社です。正直…入社する気はありませんでした。東京での面接に交通費を支給していただけたのと、個人ワークやグループディスカッションなどの練習になるかなという軽い気持ちで受けていました。(その節は本当にすみません…)

4〜5回のわりとハードめなワークショップを経た後、運良く最終面接に呼ばれました。面接官は人事部長の方ただ1人で、1対1の面接。当然入社する気の無かった僕でしたが、一応内定はもらっておきたいという思いのもと、自己紹介や志望動機をそれっぽく事業内容や企業理念に合わせて話し始めました。(またまた本当にごめんなさい…)

静かに僕の話を聞いていた彼でしたが、僕が一方的に話し始めて3分ほど経った時、満を辞して彼が口を開きました。

「えー、真野さん。あなた、うちの会社に入る気ありませんよね?」

一瞬、頭が真っ白になりました。まったく予期していなかった言葉だったからです。ただ彼はすべてを見透かしているように思えました。そして僕は「はい、ありません…すみません…」と正直に答えました。

「やっぱりそうですよね。長く人事やってると、大体最初の数分でわかるんですよ。」

あー、終わったな〜まぁでも仕方ないよな〜と開き直りつつ、これで面接は終了だなと思いました。ところが彼は

「ちなみに何がしたいんですか?よかったら時間あるのでお話聞かせてください。」

と、会話の継続を希望したのです。

実は当時、僕は2つ内定をもらっていて、どっちの道に進むか人生に迷っていました。1つは、人材系広告会社のコピーライター。もう一つは、映像制作会社のPM。どっちにしようか決められず、ずっと悩んでいました。

不思議と抵抗なく、その時の悩みをすべて正直に彼に話しました。映像を勉強してきて、映像制作が好きで、できるなら継続したいこと。ただ映像業界は肉体的にも精神的にも超ブラックな労働環境で有名であり、仕事にするにはキツすぎると思っていること。コピーライターの仕事も興味があるのは事実であること。

話している間、彼は頷きながら真剣に話を聞いてくれました。そして僕が思いの丈を吐き出した後、また静かに話し始めました。

「なるほど、わかりました。あの、少し僕の昔話をしてもいいですか?僕昔から野球が好きで、絶対メジャーリーガーになりたかったんですよ。」

え、いきなりなんの話?と思いつつ、「はぁ…」と返すと、彼は構わず続けました。

「だから高校卒業後じゃ遅いと思って、中学を卒業した後、英語も話せず親もいない状態で、単身渡米したんです。そこから20歳になるまで数年間、本当に毎日全力で野球に打ち込みました。でもある日、ついに肩を壊してしまったんです。あんなに打ち込んでいた、自分の全てだった野球を続けられなくなってしまいました。なのに。不思議と、野球に未練が無く清々しい気持ちだったんです。なんでだと思います?きっと、『好きなことを、未練が残らないぐらいやり切った!』と自負できたからだと思うんです。だから野球をやめて日本に戻った後、新たな気持ちでこのビジネスの世界に飛び込んで、全力を尽くすことができたんですよね。もし僕があの時渡米せずに、普通に高校に行ってそこそこ野球をやる人生を送っていたら、きっと今頃新橋の飲み屋で酔っ払いながら『おれは本当はメジャーリーガーになれてたはずなんだ!』と周りにくだを巻いてるしょうもない大人になってたと思うんですよ。何が言いたいかというとですね。もし真野さんが今映像制作に未練があるのなら、それを残したまま別の道に進んだ時に、その未練はいつまでも残り続けますよ、ということなんです。どうでしょうか。」

僕は、気付いたら涙が止まらなくなっていました。自分が隠そうとしてきた自分の嫌なところを見つめざるを得なかったこと。大事なことに気付けた嬉しさ。何より彼がもはや自社の採用と関係のない僕に対して真剣に向き合ってくれたこと。いろんな感情が混じり合って、溢れたんだと思います。

そして僕は涙ながらに「ありがとうございます。映像の道に進んでみます。」と答えたんです。

予定の時間を大きく超えて、1時間半が経過していました。そして最後に彼は言いました。

「がんばってくださいね。それで…もし真野さんが映像の道で限界までがんばって、『もうこれで未練は無い!』と言えるぐらいまでやり切ったら、その時はまた僕に連絡をください。ぜひここで一緒に働きましょうよ。」

「こんなにかっこいい大人がいるのか」と素直に思いました。正直この面接前までは、コピーライターの方に傾いていました。興味の無かった(本当に失礼ですね何度もすみません)会社のたった一度の面接が、僕の人生を大きく変えた瞬間でした。今は映像業界からは少しだけ遠のきましたが、コミュニケーションの世界で新たな道をポジティブに歩めています。

そして今…、僕はオーストラリアに来ています。この留学の決断の後押しになったのも、僕の中で残り続けている彼の言葉でした。「未練は、残り続ける。」海外に住んでみたかったという未練を抱えていた僕の背中を押してくれました。未だに僕の人生を前向きに変え続けてくれています。

最後に。

彼の名前が、どうしても思い出せないのです。言葉はこんなに強く残っているのに。いろいろ調べてみましたが、会社を辞められたのか、昔のことすぎて記録も残っておらず。できることなら、あの人に感謝を伝えたい。ワークスアプリケーションズの元人事部長の方。もし心当たりある方がいたら教えていただけると嬉しいです。最悪、会社にメールして聞いてみようと思います。

では!

※会社名と個人を特定できる形で公開しており申し訳ありません、もし問題がありそうならこの記事は削除します!ただ、ワークスアプリケーションズさんにもその方にも勝手に本当に感謝しているのです。

※追記
インターネットとSNSの力で、なんとこの記事がご本人に届きました!感動です。

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