デリバリー『こころのゴハン』
100年前に作られた時計とか、誰かの落書きが書かれた学校の机とか、目の前には居ない誰かを想わせるコトが好き。
そして、それは特別なものでなくて、生活のいたるところにあふれている。
けれど、なかなかどうして見付からない。
気に留めないと気が付けない。
だから、気付かせてくれるコトはもっと好き。
なので、今回はそれらをご紹介しようと思う。
『お手紙』
言葉には、伝わるものと伝わらないものが存在します。
学校のテストなんか良い例で、耳に入った言葉がすべて伝わるのであれば皆100点満点です。
けれど、そうじゃない。
だから、点数にばらつきが出る。
ならば、その差はどこにあるのだろう。
「伝わる」言葉と「伝わらない」言葉の違い、とは。
色んな要因があるとは思いますが、ここではその一端として「味の有無」を上げたい。
言葉に味を持たせられるか否か。
人から発せられる言葉って2つに分けられると思うんです。
言うならば、「要点」と「雑味」。
一時間くらい盛り上がった会話の内容も、要約すれば3行にも満たなかったり。
逆に、学校の授業や仕事の業務連絡は雑味が省かれ要点のみで構成されている。
これは、例えるなら「食材」と「調理」のようなもので。
論の中心に立つ要点は、野菜や魚のような「食材」。
それを取り巻く要素が「調理」。
中でも、文体や語彙といった文章力は煮る・焼くといった「加工」に当たり、その言葉に乗せられる話し手の想い、所謂感情が「調味料」。
だから、同じ言葉でも話し手の気持ちに依って辛くも甘くもなる。
逆に、要点のみで発せられる言葉は「料理」でなく「食材」を与えられているようなものなんだ。
それ故に、呑み込み辛く、受け取った後に己で調理する必要があって、その得意・不得意で理解に差が生まれるんだ。
ということは、です。
相手に伝えたい言葉ほど、美味しく料理する必要があるのではなかろうか。
語彙を駆使し、感情を乗せて、丁寧に丁寧に言葉を紡ぐのです。
それに一番適した手段が『手紙』だと、私は思いました。
己の心と向き合いながら、言葉を紡ぎ、文字を紡ぎ、昔であれば香を薫きしめたり花を添えたり、目の前には居ない誰かを想いながら創意工夫する。
だから、手紙は心に響くんです。
手紙はただの連絡手段じゃない、一番身近なココロの作品です。
手紙によって届けられる言葉はまさに「言の葉」で、美味しい美味しいこころのゴハンです。
触れると元気になります、「栄養取れたなぁ」って感じます。
だから、私は手紙が大好き。
そんなお手紙も、昔は貰うのが好きでした。
けれど、今は書くのが好き。
誰かを想える幸せ。
そして、受け取る誰かが居るということ。
それが、堪らなく嬉しいのです。
人に触れることが当たり前ではなくなった現状。
だからこそ、慎ましやかにこころを伝えるモノへ目を向けよう。
TV電話でもメールでもなく、私は手紙を贈りたい。
あぁ、平安貴族になった気分。
自粛生活のお供、『こころのゴハン』のデリバリーは如何でしょう。