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計画性

注意欠陥気味の自分はいつも感覚的、衝動的で、計画性とは無縁の人間と思って生きてきましたが、じつはそんなことなかったと考えを改める機会が最近ありました。

よくよく振り返ってみれば、自営業以降の過去10年、そのすべては計画に始まっていました。

「これがやりたい」というものがあれば、脳内でとりあえずのゴールを設定したあと、現時点からの距離感、途中で起きる可能性のあるあらゆる出来事の予測を立て、その上で勝算が大きいと判断してからじゃないと、自分は物事を始めていなかったと、いまさら気がつきました。

全然見切り発車してなかったです、めちゃめちゃシミュレーションしてました。

ただその脳内シミュレーションがかなり短時間だったので、直感とともに行動してるっぽいような気がしてただけでした。

なんでそれに気づいたかというとたまたまネットにあったアスペ診断をなんとなくやってて、「計画を立てることが苦手」の項目にいままでなら脊髄反射でチェックしていたのに、なぜか今回は「本当にそうかな」と自分の過去を振り返ってみたら、全然そうでもないなと思ったからなのでした。

自分は直感的ではありますが、そもそも慎重な性格であり、なおかつどちらかというとネガティブ思考なので、物事のスタートの際には無意識に問題点を探そうとする傾向があります。

とはいえ「これがやりたい」という能動的な気持ちが原点なので、問題点をピックアップしつつ、同時にいまの自分のレベルでそれを解決できるかどうか考えて、確実に突破できそうと思った時には行動に移します。

結果的に成功率が高かったのですが、なんかそれをラッキーと思い込んでいました、もちろんラッキーもたくさんあったと思いますがそれ以前に現状の自分をよく観察してから物事にあたる順番を考えれば成功率が高まるのは当たり前であり、つまりそれが計画を立てるということだったんだと今頃はじめて気がついたというわけです。

計画を立てるのに必要なのは、じつは不安感です。

不安とは自信の無さから来てるのですが、しかし不安とはかなり大切な感覚だと思います。

不安から逃げては絶対にだめだと思います。

不安から逃げず、現状の自分でもやれることはある、同時にいまの自分には不可能なことがある、と自身のできることとできないことを素直に認めること、そこからすべては始まります。

そのとき不安があるほうが自然です、たしかに「できないかもしれない」という不安はストレスですが、不安とは人の進化の賜です、未来を考えるときにしか生まれない感覚だからです、時間軸という感覚を獲得した人間だからこそ、未来への不安を逆手にとって、準備ができます。

この「準備」こそ、人生を改善する直接の鍵です。

それ以外にないと言い切れるくらい、わたしは準備を重視します。していました。してると思ってなかったけど、めちゃめちゃ重視してたしめちゃめちゃ準備をしていました。そんな自分に気づいてなかっただけでした。直感と偶然だけで生きてきてるような気がしてただけでじつは準備の鬼でした。

ふだんのどうでもいい生活ではまったく準備なんかしないけど、自分の生き方(仕事)に関しては、あらゆることを想定し、準備して生きてきていた。

過去の自分の周到な準備、それが自分を救ってきました。

準備するときに大事なことは現実を直視するってことです。

だから不安から逃げてはいけないのです、不安から逃げるとは、現実から逃げることです。

不安を振り払う必要は一切ない、むしろ不安をモリモリ飲み込んで、噛み砕いて、全部食べ切っていく。

現実を直視するってことは不安に真正面から立ち向かうってことです。

不安はゲロマズなので一口目で吐きそうになります、たとえば借金がある人なら「いま自分は〇〇円の借金がある」ことを100%受け入れるってことです。

不安に真正面から立ち向かうとは、たとえば「この〇〇円の借金を、他の誰でもない、自分が自力でなんとかするぞ」と決心することです。

それが不安にかぶりつく一口目です、そりゃ吐きそうになります、だってそれは目を背けたい現実を認める行為だからです、なんでこんなことに、とか、いったいどれだけかかるのか、とか未来への苦しみが押し寄せてくるんだから当然ですが、飲み込むしかないわけです、なぜなら飲み込むことでしか現実把握はできないからです。

現実を直視してはじめて計画が立てられます。

目を背けたい現実に自分を向き合わせる最も良い方法は、自分がいま何歳なのか思い出すことです。

限りある人生、いまこの年齢でこの現状の自分がヤバいと思うなら、ただちに計画を立てるしかないじゃないですか。

なりたい自分をとにかく思い描いて、逆算していまの自分の現実を直視します。

きついです。なんて惨めだと思うかもしれませんが、そこが大事です、むしろ惨めと思った時点でほぼ勝ちは確定します、なぜなら「いまの自分は惨めなんだ」と認めるのはすごい勇気がいることで、その勇気さえあれば、その人はなんとでもなります。

涙がこぼれるかもしれないし、何のために生まれたかわからないと死にたくなるかもしれないけど、そんな「惨めな自分」と認めることが最初の中和の一歩であり、最大のスタートでもあります。

いちばんダメなのは自分は惨めと認めることすらできない人です。臆病者とはそういう人のことを言います。

現実逃避しかできない臆病者のことはほっときましょう、彼らにかまってるひまはないのです、自分に集中です、自分の惨めさを認めたら、どうしたらマシになるか考えます、そのとき絶対に他者に依存しないことが重要です。

他人になんとかしてもらおう、そう思った時点で臆病者より最悪の卑怯者の完成です。自分の自尊心を他人を使って満たすくらいなら臆病者でいたほうがまだマシです。

とにかく自分、いまの自分でできること、自力でやれることを探します、その上で「他者の知恵を借りる」がベストアンサーになったらそれはOKです、自分はこうしたいと思いこう考えているがアドバイスがあればぜひ聞きたい、という姿勢が大事です、何も考えずヘルプだけ期待する人には天も社会も冷たいです。

そもそも他人にサポートしてもらえないのは信頼関係ができてないからです、ならば他者とのコミュニケーションから始める、時間をかけて信頼関係を築く、これも計画性です、自分が焦ってるからといって他人との信頼関係を手早く済まそうったって無理です、強引な人は嫌われて終わりです、どんなに悲惨だろうがそれはその人の都合です、自分の都合を押し付けてくる人を助けようと思う人はいません、自分の惨めさとか切羽詰まってる事情は自分以外の他人には関係ない話しなのです、自他境界線です、挨拶から始めて時間をかけて1週間、1ヶ月、1年とじっくり人と交流していく、そういう細かいステップをサボっては絶対だめなのです。

計画とは地味なことの積み重ねです。

積み重ねには時間がかかります。

焦らず忍耐強く、信用を積み重ねた信頼に足る人、誠実な人は、向こうから助けがやってきます。

だから何事も「うまくいかない」という現象を無視しないほうがいいです。

うまくいかないのは必ず原因があります、たいていは自身の高望みだとか考えが甘いとか足りないとかが原因です、それもまたいちいち逃げずに認める、いまの自分に足りないことを直視して、反省するならして、あとは必要な細かいステップを自分で設定してクリアしていく。

こういうのちゃんとやれない人は何をやってもダメです。

言い換えれば、現実を直視し、時間をかけて、どんな小さいことでもいまできる工夫さえ続けていれば、その人には必ず道は開けるということです。

たとえばやりたいことがあるとして、それに〇〇円かかるなら、その金額をまず自力で稼ぐためにどうしたらいいか、バイトするとして月にいくら貯めて何年かかるのか、とかそういうことです。(現代日本、いろんな事情があるとはもちろんわかりますが、あまりにも何度もそしていつまでも親に出資してもらってる人がその状態で真の自立を達成するのは、ほぼ見たことがありません、出してもらうにしてもせめて親に借りた金はいつか返そうという気概くらいは持ってたほうが良いと思います。意識の問題です。この場合、毒親かどうかは関係ないと思います。毒親であることを親に出資してもらって良い理由にすり替えること自体が一種の現実逃避であるとも言えます、それはそれ、これはこれ、という思考が大切です。)

さらにこれもよくある「バイトの前にコミュ障」問題ですが、それもまたステップです、本気で自分のこと変えようと思ったらコミュ障を本気でなんとかしましょう、引きこもりなら引きこもりでやれることは必ずあります。

何年かけてもいいから、変わる努力をし続ける。

いま自分は何歳で、何歳までにこんなふうになりたい、と考え、その目標に向かっていまやれることをやる。

計画性のある人生とは、現実を直視する人生です。

死ぬほどきついと思っても、現実と向き合うことがすべての始まりであり、現実を認めた上での計画性とは自分の人生を良くするための必須項目じゃないかなと、最近は思っています。

計画し、想定して準備する、それがわたし自身をいちばん助けてきてくれたのは間違いないです。

そのためには自分自身もふくめた現実を直視すること、直視して認めること、何回もくりかえしますがそれが何よりも重要だと思います。

無理しない生き方とは虚勢を張らない生き方です、仕事にのめり込んで疲労困憊することを無理な生き方という言葉で表すことが多いみたいですが、自分の現状を認めない生き方はすべて無理な生き方です、だから惨めな自分を認めない生き方もまた無理な生き方です。

己れの不甲斐なさからくる悔しさと惨めさでこてんぱんにされてもなお逃げず直視していれば、それが自分を変える扉に変わります。

自分を過大評価も過小評価もしない。

できることはあると信じて探す。

時間をかけることをいとわない。

社会的な成功や名誉名声とは関係なく、素直な生き方の人は、それだけで地上の宝物と思います。

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