ピンクフィルター
第一子を妊娠中、私は病気になった。
妊娠27週を過ぎた頃、担当医にドラマのような台詞を言われる。
「母子共に大変危険な状態です。ご家族を呼んでください。」
青天の霹靂とはまさにこのこと。自覚症状もなく、一見すると何の問題もない。
一通り説明を受けた私は6人部屋に案内され、そのまま一度も帰宅することなく、数ヶ月に及ぶ入院生活が始まった。
安静指示のため、ひとつ下の階の売店も行けない、テレビも見られない。
いや、正確にはテレビを見る気さえ起きず、ただじっとベッドの上で一日を過ごしていた。
それから数ヶ月の間に沢山の人の入退院を見る事になる。
私と同じようにお産に問題ありの人や、婦人科系の病気の人もいたが、ほとんどは自然分娩で5日前後、帝王切開でも10日前後で退院していき、同室の人はあれよあれよと入れ替わった。
入退院を横目で見る毎日のなか、産婦人科の独特さに改めて気づいた。
「病院」で連想されるのはなんだろうか?
”病気や怪我をしたら行くところ”が大半であって、とてもハッピーな場所とは思えない。しかし産婦人科は違う。笑顔溢れる光景があちこちで見られるのだ。
入院しているのに、おめでとう?
病棟で「おめでとう」の言葉が日常的に飛び交うのは、産婦人科だけだろう。「おめでとう!」「お産どうだった?」「名前は?」「ママ似だね〜。」
そんな幸せな会話が繰り広げられていた隣のベッドには、赤ちゃんを亡くしたばかりの母親がカーテンを閉め切って寝ていた。そのまた隣からも「おめでとう!」の声が聞こえてくる。幸せに挟まれているカーテンの中。
なんて残酷なんだろう。
どんな事情の人がいるのか分からないのに配慮が足りなさ過ぎる、とまでは思わない。出産は命がけだ。母子共に元気で無事であればそれはおめでとうに決まっている。人生最大級のおめでとうに相応しいし、喜ぶべき事だ。
ただそのすぐ横で、計り知れない悲しみに襲われているであろう人がいると思うと、なんとも胸が苦しくなった。
思い返せば私も入院する前は、幸せピンク1色のようだった。産婦人科は幸せな妊婦ばかりが来るところではないとわかってはいたが、待合室には出産用品のカタログや母乳外来についての張り紙など、幸せな出産を連想させる物があちこちに置かれ、落ち込んでいそうな人は見かけなかった。というか幸せピンクフィルターが掛かっていて、気付けなかっただけかもしれない。
生と死、明と暗は、想像している以上に隣合わせていた。
言われて嬉しい「おめでとう」
聞いて苦しい「おめでとう」
幸せな言葉が人を傷つける事もある。
立場で言葉の受け取り方が違う事くらい、皆当たり前に分かっている事だが、何気ない日常を過ごす中でその当たり前は忘れられやすい。
あの入院生活は、今思い出しても私の人生の幸せ底辺だ。しかし、隣に座る見知らぬ女性が心の中で泣いているかもしれないと、ピンクフィルターを外して見られるようになったのは、底辺のお陰だとも思う。二度と御免だが。
私はフィルターを通さずに人を見ることが出来ているだろうか。
隣にいるその人は、心の中で泣いていないだろうか。
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