見出し画像

【掌編】眼鏡をかけた猫

「眼鏡をかけた猫」

近所の路地裏にいる白い猫が眼鏡をかけている。
眼でも悪くしたのと聞くと、さもつまらなそうに、別に、と答える。……どこかの高飛車な女優じゃあるまいに。
そんなら洒落か、それとも眼鏡なんかかけると何だか賢そうに見えるものだから、それでもって見栄を張ろうって魂胆か、と重ねてまぜっ返すが、やはり猫は気のなさそうに尻尾をひとつ揺らしてそっぽを向いた。


どうにも気勢を削がれ鼻白みもしたが、いやなかなかどうして、若いながらも己れを持った泰然とした猫ではないか、と感心してみたりもする。
なるほど考えてもみれば、物事に何某かの意味を持たせようなどとするのは人間の悪癖である。天衣無縫のお猫様におかれましては、何事にも「意味」など必要もないのであろう。


自己の種としての因習を恥じながら、そそくさと退散する己の背中に、白猫はあんた、と声をかける。今晩は早くおかえり、空が嗤うから、と云う。
空が嗤うとどうなると聞くと、さあ、と猫はまた無表情に(猫に表情があるかどうかは知らないが)答えて、またさもつまらなそうに悠々と寝そべった。


それでなんだかそら寒くなってせっせと坂を下って我家へ急ぐ。
空は苺のシラップを溶かしたように、甘ったるく暮れてゆく。
ブルーベリィにシトロンが混ざり、坂をつたってとっくりとろとろ暮れてゆく。
シラップは世界を満たし、果たしてそこには赤い果肉のメロンを切った、薄く尖った三日月が浮かぶ。
空が嗤う、とはこのことか。
急がなくてはあの空の口にペロリと喰われてしまうだろう。


坂の向こうに眼鏡をかけた猫の大きな大きな影が踊る。
日暮れの甘さに酔ったのか、先刻のつまらなそうな態度はどこへやら、鼻唄まじりに出鱈目なステップを踏む。


踊る白猫の影突き破り、己は家路を急ぎ足。
猫の忠告は聞くものだ。
なにせ人間はこの世の種の中で最も愚鈍で、すぐにお空に喰われてしまうのだから。




┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
[Profile]

マナ

パフォーマンスユニット"arma"(アルマ)主宰。朗読とダンスが融合した自主企画公演を上演している。ミュージカルグループMono-Musica副代表。キャストとして出演を重ねている他、振付も手掛ける。
ここには掌編小説の習作を置く。
お気に召さずばただ夢を見たと思ってお許しを。


#小説
#短編小説
#ショートショート
#猫

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?