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文字とキーボード

よく時間の経過を示すために〇〇から△月(日でも週もあるけれど)という言い方をします。そして○に入る言葉は区切りとなる出来事が入ることが多い。わたしの場合、今年度を示す区切りとしては「社会人になって」よりも「一人暮らしをはじめて」のほうがしっくりきます。
正直まだまだ社会人としての自覚なんて芽生えていないですし、社会人になったことでわたし自身、大きく変わったかといえばそうでもありません。いろんな流れの中で、言ってしまえば成り行きでいまの会社で働いているだけ。そんなことよりも、わたし自身の意志で決めて、親という壁を破って決行した一人暮らしのほうがよっぽど成長の過程ですし、区切りにふさわしい。

ところで、わたしは明治の文豪でも名作「耳をすませば」の主人公、月島雫でもありません。何が言いたいのかというと、文章を書くとき―それも長文であればあるほど、使う器具は鉛筆と原稿用紙ではなくパソコンとキーボードだということです。小学生の作文はともかく、中学時代のブログ、大学時代の卒論、もちろん仕事でも。日記と手紙以外ではほとんどがローマ字入力で文章を作り上げていました。
手書きももちろん良いものです。日記や手紙をはじめ、手で書いた字はそこに綴られた言葉以上の説得力があります。さらに言うならば、下手の横好きと言われても仕方のないレベルだとしても10年以上書道に携わってきた人間としては、手書きの文字を受け取るだけでなく、手書きで字を書くということへのこだわりは平均以上にあるつもりです。

とはいえ、手書きはやはり文章の作成スピードは遅い。そして、こういったnoteや小説、論文といったものを書く際には次から次へと出てくる言葉を一つ一つ手書きするよりも、ローマ数字入力と偉大なる漢字変換機能に任せるほうが、頭の中にある思考や感情そのもに対して最低限の加工のみで身体の外に出せます。もちろん個人のボキャブラリーやキーボードを打つスピードにも大きく作用はされますが。
これは、人間と文字の歴史にとって疑いようもない大革命です。良くも悪くも、人間と文字の間にあった分厚い壁が様変わりしたのですから。

現代はスマートフォンの普及によってフリック入力という方法もかなり浸透していますが、やはり長文を書く際にはキーボードによるローマ字入力が確固たる地位に君臨しています。嗚呼、ローマ字よ、あゝ、キーボードよ。我々はそなたたちの下僕である。なんてね


さて、と。

以上、キーボードを手に入れ、Bluetoothでスマホとペアリングさせたわたしの感想でした。愛しているよ、ローマ字とキーボード!

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