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微熱の狭間にて

喉に違和感を覚えたのは昨日の仕事中。あと2日で研修先の部署が終わるなぁなどと考えていたときでした。

飲み物を飲み込むのがちょっと、しんどい。電話の第一声を出すのがちょっと、億劫。喉に手をやると心なしかいつもより熱を持っている気がします。

コロナか?
そう思った瞬間、病の恐怖よりも他者にそうと知られることの恐怖が襲います。心臓は途端に存在感を増し、嫌な汗をかいていることがわかりました。

早退しようかとも思いましたが、会社の端末で「扁桃腺 コロナ」でザッと検索した範囲では関連はなさそうなので、少し様子を見ることにしました。
自販機でポカリを買い、トイレに設置されているうがい薬で小まめに喉の消毒をします。その日の勤務を終え、家の最寄りに着いた後は閉店ギリギリの薬局に駆け込み、葛根湯とポカリの1.5リットルを追加購入。家族には、ちょっと体調が悪くて熱もあるけれど最近忙しかったから疲れているんだと思うと伝え夕食と入浴を済ませたらすぐにベッドへ行きました。

実際、この時点で、やはりコロナではなく家族に言ったように疲れからだろうという推測がついていました。葛根湯を飲んで、水分を沢山とって、たっぷりと睡眠を取れば治る類のものです。
大丈夫、と半分自分に言い聞かせながら、とりあえず寝ようと22時には部屋の電気を消しました。


午前2時、パチリと目が覚めます。本当に、自分でも驚くくらい、いきなり目と意識が覚醒したのです。普段わたしは、夜中に起きることはほとんどありません。戸惑うというより、呆気にとられた私は、ちょっと考えて、トイレとポカリ補給をしました。再びベッドに戻り、寝転がります。
うつらうつらしている状態、科学的に言うならばレム睡眠、つまり夢を見やすい体内環境にあったわたしは、小中とよく遊んでいたクラスメイトの記憶を回想していました。

2人とも色んなものが欠けていて、自分勝手だったわたし達は、お互い親友とは言わないまでも近しい関係でした。高校で別れ、その後何度か遊びに誘いましたが連続で断られたり、断られるLINEの文面も前よりそっけなく、憤りと寂しさを覚えながらも疎遠になった人です。


回想からそのまま眠り、起きたときになぜ今さら彼女のことを思い出したのだろうと考えたとき、ふと1つの出来事を思い出しました。

小学校の、3年生から5年生のどこかで、彼女の様子がなんとなくおかしい日がありました。
いつも以上にテンションが高く、いつも以上にくっつきたがる。いま思えば、典型的な子どもの風邪にみられる症状です。
当時のわたしは、このいわゆる「子どもの風邪にみられる症状」なんてものは知らなかったにも関わらず、直感でその子の体調が悪いと思いました。根拠はうまく言語化できなかったけれど、絶対に体調を崩していると、心底わかっていたのです。わたしはその子に早退するように何度も忠告しましたが、彼女は給食のメニューが好きだから、などと言って早退を拒否しました。
結局翌日、案の定彼女は休みで、「だから言ったのに」と、つまらない1日をムスっとしながら過ごす、なんてことがあったのです。

あの時、直感としか言いようがない形で彼女の体調不良を察した事実は、わたしに小さくない自信と直感に対する信頼感を与えてくれました。今回、体調不良というワードをきっかけにその出来事が久しぶりに浮上したのです。なんだか、コロナという社会的な恐怖を感じていることに対して、自分の身体や脳が「しっかりせい」と叱咤激励をとばしているみたい。

彼女の体調不良を見極めた小学生のわたしの直感が、コロナにかかっているかどうかの判定にも使えるなんてことは当然ありません。コロナに限らず、全ての病はわたし個人の能力に関係なく、くるときはきます。対策をいくらしても、病というものを完全に防ぐ手立てはありません。
それでも、身体と脳は不安と体内の異常を取り除こうとフル回転し、異常を取り除く薬として彼女の思い出を再上映しました。

的外れとも言いたくなるような、身体と脳が導き出した答え。そのおかしさに呆れと愉快さが入り混じります。
起床時間まで後数時間、きっと今日も出社するのだろうとぼんやり考えながら、三度目の眠りにつきました。

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