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【エッセイ】「あげる」対象でしかなかった弟から、初めてもらったプレゼント

私には、2つ歳の離れた弟がいる。
弟は早生まれで幼い頃は体が小さかった。そのため、幼稚園ではよく同級生におもちゃをとられたり、遊ぶ場所をとられたりと、力負けしていた。

弟が「やられている」と、クラスの女の子たちが私に告げ口に来るので、当時よく助けに行った。
その頃いじめていた弟の同級生は、私の顔を見た瞬間、退散していったものだ。

弟とは、兄弟喧嘩もたくさんしたが、小さいころからずっと仲が良かったように思う。
2人で一緒によく遊んだし、共通の友人も多かったので一緒に大勢で遊ぶこともあった。
母も「こんなに仲がいい兄弟を見たことがない」と先生に言われたことがあるという。

大きくなるにつれてそれぞれの道に進んでいったが、それでもずっと悩みを相談できる関係性であり続けた。
毎日話すわけではない。
しかし、お互いに困ったとき話す相手として思い浮かぶ、そんな関係だった。

社会人になって2人とも一人暮らしをしていたころ、夜に突然電話がかかってくることがあった。

「お姉、今から行っていい?」

「いいけど、どうしたん?」と聞いても「うん。ちょっと……」と大した答えは返ってこない。

小さいころからあまりペラペラと喋るタイプではないので、まぁ何かあるのだろう、とこちらも「とりあえず今から来たら?」と返事する。
当時、自転車で30分くらいの距離に住んでいた。

私の家に着くのは大体いつも21時頃。
毎度、見るからに表情が疲れている。
少しずつやせ細っているような気もした。

「ご飯食べた?」
「まだ。」

しょうがないので、ありあわせの食材で何か作る。
オムライスとスープなど簡単なものだ。
チキンと野菜のトマト煮込みなど、何か多めに作ったあまりがあるときは、それを出したりすることもあった。

弟は疲れた顔のまま、「いただきます」と言って食べ始める。

スプーン一杯にすくったご飯を大きな口を開けて食べるのを正面に座って見ながら、「仕事忙しいん?」と聞いてみる。
口いっぱいにほおばりながら「うん。」とだけ返ってくる。

当時、弟は工場で自動車部品を作る仕事をしており、職場の人間関係に悩んでいた。

ご飯を食べながら話し始めたのは、先輩から受けるいじわるや嫌味、どんどん職場を去っていく後輩のことなどだ。
上司はいい人だが、それ以外の人とうまくいかない、という話だった。

ごはんを一粒残らず完食し、お茶を飲んだ後は寝転がる。
お腹が満たされたからだろうか、人に話してちょっとはストレス発散できたからだろうか。
弟の顔色は少しばかりよくなったように感じた。
しばらくすると落ち着いたのか、「帰るわ」と言って再び自転車で帰っていく。

「気を付けて帰りや」とだけ言って送り出していたが、大阪での夜遅い自転車の運転は、内心いつも心配だった。

LINEスタンプを送っておき、帰ったころに既読が着いたら「無事着いたんだな」と安心して私も寝る準備に入った。

実家に帰った際、母にこの話をすると「そうやったん。ご飯作ってやってくれたん。」と代わりに、作り置きして冷凍しておいてくれた手料理を私にくれる。

別にそれを期待して話したわけではないのだが、内心「ラッキー」と思いながら、私は母の手料理をゲットした。

母も弟のことを気にかけ「いつでも帰っておいで」と言っていたが、弟の「駆け込み寺」的な場所は、実家よりも私の家だった。
私の家の方が弟と近かったことと、親に心配をかけたくないという弟の思いもあったのだろう。

***

そんな日が続いて数年。弟が福岡に引っ越すと言い出した。

理由は、「昔住んでいた福岡の方が居心地が良かったから」。
私たち家族は、今は関西に住んでいるが、その前12年間(私が小学校を卒業するまで)は、福岡に住んでいた。

きっと弟の中では長い時間をかけて少しずつ温めていた考えだったのだろう。
ずっと転職も考えていたし、関西に一生住み続けるかを考えると、「なんか違う」という思いが強くなり、思い切って引っ越すと言う。

「そっか……」と電話で話しながら、部屋の天井を見つめる。
もう、夜に突然訪ねて来ることもなくなるのか。
でも、これまで聞いていた仕事の話や彼自身のこれからの人生のことを考えると、転職することも福岡に戻って住むことも賛成だった。

当時、付き合っていた彼女はどうするのか聞いてみると、一緒に引っ越すのだという。
彼女の働く会社には福岡支店があるので異動希望を出すそうだ。

それから3か月後の年の瀬に、弟は福岡に引っ越した。

2週間ほどプー太郎を楽しんで、転職活動を開始。
(本人的にはプー太郎期間を「楽しんだ」というよりも「怒涛の忙しさの後の無気力状態だった」というが……。)

しかし、それから3か月ほど転職活動はなかなかうまくいかず、その間は電話で泣き言を聞いたりもした。その後、無事内定が出たと連絡が来た。

生活が落ち着いたころ、「いつでも遊びにきてや」と言うので福岡に遊びに行った。弟の彼女も一緒に3人で、私たち“懐かしの場所”巡りをした。

小学生のころ住んでいた家、いつも歩いていた通学路、近所の公園。弟や近所に住む友達みんなで一緒に遊んでいた思い出がよみがえる。

特にグッと感慨深くなったのは、小学校。
卒業して20年も経つが、私たちが通っていたころのまま何も変わっていなかった。

校門までの坂道に掲げられたスクールモットーの看板、敷地内に立っている韓国姉妹校記念モニュメント、給食当番の日に歩いた廊下、校庭の鉄棒やサッカーゴール…。
ただ、当時よりも体育館や靴箱、グラウンドは小さく見えた。

「お姉、ここで写真撮ろう」

小学生のとき、いつも友達との待ち合わせ場所にしていた「心の木」の前だ。この小学校の卒業生ならば誰しもが知っている場所である。

弟と私は、今やそれぞれ別の人生を歩んでいるが、過去には確かに2人ともここにいたのだなと、何か絆のようなものをこのとき感じた。

***

その日の晩は、私が食べたいと熱望していたお寿司を自宅でふるまってくれた。お寿司は断然、関西より福岡で食べる方が安くておいしい。食べ終わってくつろいでいると、部屋の電気がふと消えた。

「あれ?」と言っている間に、弟と彼女がバースデーケーキを歌とともに運んできてくれた。まったく思いもしないサプライズに思わず私の目はうるんでしまった。

たぶん準備をしてくれたのは彼女の方だろうが、私から誕生日を伝えたことはない。弟がお祝いしようとしてくれたのだろう。

当時、私が「仕事がきつくて夜うまく寝られないことがある」と話していたからか、家でリラックスできるようにと、かわいいルームウェアまでプレゼントしてくれた。

いつも誕生日のお祝いメッセージはくれるのだが、ここまでのプレゼントをくれたのは初めてではないか。

いつも何かを「あげる」対象であった弟に、プレゼントをもらったことに感動してしまった。

***

そんな弟も今や結婚し、もうすぐ赤ちゃんが生まれる。

あの小さくていつもお世話をしていた弟が、もうすぐ「父」になるなんて。
弟の息子に会えたら、何を渡そうか。何をしてあげようか。
今日もニヤニヤしながら甥っこに会える日を想像してしまっている。

このエッセイは、SHElikesで「家族と贈り物にまつわるエッセイ」をテーマに書いたものです。
読者が「家族のことを考え、贈り物をしたいな…」と思うようなエッセイを書く、という課題で、20代後半〜30代男女を対象読者として想定しています。

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