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【創作大賞2024恋愛小説部門】青春恋愛小説『私になれ、この皮膚の体温の』第4話

4.

 安藤商店は母の店だ。最初は父とふたりで始めた洋菓子店だったが、経営不振になり、おまけにいつのまにか父がいなくなってしまい、母の独断で玩具や文房具まで取り扱う子ども向けのお店に変えていったのだった。このあたりでは「駄菓子屋」と呼ばれて、子どもたちがたくさんやってきたし、多角経営に乗り出してからは母と私の大切な生活のよりどころになっている。けれどタカシママたちからは目の敵にされていた。それがなぜだか知ることになったのは、小学校四年生のときだった。
 PTA役員だという大人たちが、突然、安藤商店に押しかけてきた日のことを今でも鮮明に覚えている。
「得体の知れない、身体に害があるものがたくさん入ってるわけでしょう。そういうお菓子を子どもたちに売るなんて。あなた、いったいどういうつもり?」
 おそるおそる口火を切ったのは上辺(うわべ)さんだった。四年二組で掲示係をしていたトモアキの母親。母が手作りして販売するお菓子類に、食品添加物が入っていることを抗議しに来たのだ。母は動じなかった。
「そんなことを言うなら、市販のお菓子なんて、もっと添加物だらけですよ。私が作る物には、その十分の一の種類しか入れてませんから」
 母が抵抗したら、ひとりまたひとりと声をあげ、安藤商店の店主である母を次々と責め立てていった。
「でも駄菓子屋なんて、子どもしか来ないんだから、無添加の物を売るべきでしょう」
「どうして私にだけ言うんですか。企業やスーパーに向かって言うべきなんじゃない?」
「このあいだ、この店の飴をなめて、気分が悪くなった子供がいるんですよ。被害が出てるんです、現実に」
 母と親しくしていた上辺さんは、いつのまにか数歩さがって他の人たちがなにか言うのをうなずきながら聞いていた。だが、店のすぐ奥にある座敷の柱にじっと額をつけた恰好で、顔を半分隠し片目で様子をうかがっていた私に気づいたとき、一瞬いつも私に接しているときのやわらかな表情をしたように見せかけたが、すばやくPTA副会長の頭をにらみつけた。
 今思えば「この人に言わされてるのよ」と訴えているつもりだったのかも知れない。でもあのときのまだ幼い私には、まるで副会長の頭の後ろになにかとてつもない邪悪なものが張り付き、上辺さんをおびやかしているように見えた。
 だから、安藤商店から帰っていく一群から、副会長だろう女の後頭部をさがした。きっとそれを見たら、鳥肌が走るときのすごいゾクゾク感が味わえるだろうと思うと、母に腕をつかまれ押さえられても、両足をドタバタと動かして前に行こうとした。
 そのときだった。
「安藤さん、よくここにいられるわね」
 副会長の女が振り向いて、言い捨てた。それを聞いたのは四年生だったから、タカシママは敵なんだと身体で認識していたが、言葉の意味などわからなかった。あのころすでに、母が酒井弁護士と不倫関係にある、と上辺さんによって広められていたらしい。酒井の妻が関西地方へ事務所を移し、別居生活をしていることも母が原因なのだ、という噂は、まわりまわって中学生になってすぐミカから聞いた。
 副会長の女というのがタカシのママだ。タカシが背後から殴ったと聞いたとき、やはりタカシママの後頭部には、邪悪なものが張り付いていたのだということを確信した。
 タカシママたちが安藤商店にやってくるまでは、上辺さんとは家庭内のもめごとのことで意気投合していたのに、いきなり敬語を使って、それも「あなた」などといういささか凶器めいた言葉を使って話していたということが、母は不満らしかった。おたがい、はずれくじを引いたと思ってろくでなしのだんなのことなんて忘れましょう、と言って仲良くしてくれたのに、と独り言ちながら歯噛みしていた。
 けれど母は、肝心のお菓子のことについて、私になにも釈明しなかった。
安藤商店で売る品が限定されて収入が減れば、生活が成り立たなくなるだろう。そうすれば、私たち母娘は、ここから離れた土地にある母の実家に頼らざるを得なくなり、この街から出て行くのではないか、とタカシママは期待したのだろう。彼女はとにかく、幼いころからいっしょに遊んでいる私を、タカシから遠ざけたかったのだった。
 父と結婚したときから母は実家と折り合いが悪く、たとえ飢え死にしそうになったって助けを求めたりはしない。それにタカシママたちは、駄菓子類の販売による利益が微々たるものだなんてことを知る由もなかった。
 彼女たちの子どもはまだ幼かったから、店の正面奥にある住居部分の座敷は目に入っても、店の左奥に設えてある母の秘密兵器には気づいていなかった。お好み焼き用の鉄板の存在がどれだけ生活を潤しているか、彼らにはわからなかった。お好み焼きこそが、あのころ安藤商店の収入の大半を占めていたのだった。
 だから仮に、お菓子の販売をやめたとしても、十分生活していくことができた。
 父がいなくなったのは、父が母以外の女の人を好きになったからだ、と母は私に思わせている。そんな父をあてにしないで子どもを育てなければならなかった母は、お好み焼きで手なづけた子どもたちがそろって高校受験の時期を迎えたころ、彼らに勉強を教え始めた。中学と高校の英語教員免許を持っていた母は、実はこのチャンスこそねらっていた。お好み焼き十回分の料金で母はどんな教科でも教えた。タカシママが引き連れる「ママ友」たちなんてほんのひと握りに過ぎなかったから、生徒集めに障害になることはなかった。
 母が教えれば、生徒のとくに英語の成績がぐんぐん伸びた。自分の子どもの成績がよくなれば、タカシママみたいな人たちを敵にまわすことなど、へとも思わないのがいわゆる母親というものの特徴なのだろう。私の母は、生徒たちがまだ中学生になりたてのころから、お好み焼きの作り方を教えながら、効果的な情報収集の仕方や処理方法も彼らの身体に精神に染み込ませていった。
 私は、生徒たちに囲まれて過ごす母の背中ばかり見ていた。お腹がすくと、いつも薄暗い台所で、お好み焼き用にこねられた生地に冷蔵庫の残りものを放り込んで自分で焼いて食べた。
 最初こそ細切れにした野菜とか豚肉を混入していたが、そのうち天かすの代わりにせんべいを入れるようになってからはなんでもよくなり、しまいには店に並んだチョコレートや砂糖菓子を母の目を盗んでとってきては、隠すように入れて焼いてみた。
 さすがに中学になり弁当を持っていくようになってからは、近くのスーパー『布屋』で、まずは卵、野菜や肉類などはとにかく特売になったものを週に一度買うようにしている。卵はお店の商品を作るための必需品だし、大切な弁当の材料だ。
 母は私に食事を作ってくれない。それはただ忙しいからだと思う。母はお店の金庫にいつも同じ額だけお金を入れていて、食材と日用品の管理は暗黙のうちに私が任されている。買ったもののレシートを入れておけば、咎められたりしない。だから勝手にごはんを作り、ひとりで食べていると思っているのだろう。洗濯や買い物、風呂洗いなどの家事を小学生のときから自然に行っている私のことを、母は「何でもひとりでできる子」と勘ちがいしているのだ。
 だから世の中で言われるネグレクトなんかではない。
 中学二年になった今でもたいして変わらない食事をつづけているから、教室の隅から聞こえてきた「タカシが襲いかかったとき、タカシママはロールキャベツを作っていた」という部分が耳にこびりついてはなれない。
 ロールキャベツ! なんて完璧な響きだろう。母親が作ってくれる料理で一番美味しいものは? と子どもが聞かれて答えるには高級感にあふれ過ぎている。もしそんな子どもがいたとしたら、私は皆に訝しがられても、離れた場所からその子の全身を記憶にとどめようと必死ににらみつけてしまうかも知れない。
 音楽の授業でアイーダの『凱旋(がいせん)行進曲(こうしんきょく)』を口パクで歌いながら、今日学校が終わったらまっさきにタカシの家に行くことだけを考えていた。

5.へつづく



#創作大賞2024 #恋愛小説部門

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