見出し画像

2024夏ダイプリの旅②

函館&小樽

 夕方に釧路港を出たダイヤモンド・プリンセスは、翌朝、函館に入港しました。函館にはコロナ禍直前に、やはり、ダイヤモンド・プリンセスで来ていました。その時には市街地からかなり離れた埠頭に接岸したのに、今回は、函館駅の近く、かつての青函連絡船「摩周丸」のすぐ横という、まさに函館のど真ん中に接岸していました。今回、私たちは前回行かなかった函館山に登ることにしました。函館山には数十年前に有名な夜景を見るために登った経験がありますが、昼間にのぼるのは今回が初めてでした。往きはタクシー、下りはケーブルカーを利用しました。やはり素晴らしい景観ですね。函館の独特の地形は俯瞰で見るに限ります。眼下にダイヤモンド・プリンセスがはっきりと見えました。

接岸したダイヤモンド・プリンセスから摩周丸と函館山をのぞむ

 ケーブルカーを降りて付近を散策。フォトスポットとして有名な「八幡坂」からも良い写真がとれました。

八幡坂からの眺望

 家内の希望で、前回の旅の時にたまたま訪れて土産にガラスの箸置きを買った「ガラス工房」に今回も訪れて小さなガラス製品を買いました。この「ガラス工房」は、函館定番の観光地、金森倉庫の近くにあります。

赤煉瓦の建物が「ガラス工房」

 釧路市立博物館に味をしめた私たちは、金森倉庫の前にあったスタバで休憩した後、ここからタクシーで函館市の博物館に向かいました。残念ながら、そこはいかにも地方都市の博物館というべき施設で、展示方法も古めかしいものでした。でも、「蝦夷錦」や「箱館戦争」に関するものなど、それなりに興味深い展示がありました。

 博物館から函館駅まで路面電車に乗りました。私は鉄道マニアでは決してありませんが、路面電車が大好きで、できれば、日本中の路面電車が走る街を旅したいと思っています。函館の路面電車も良いですね。特に「十字街」という停車場の名前にはしびれます。今回は「谷地頭」から「十字街」を経て「函館駅」まで路面電車に乗りました。

 函館での食事もやはり「海鮮丼」でした。「函館朝市」の店はどこも観光客で溢れていました。

 翌朝、船室で目覚めると小樽でした。数十年ぶりの懐かしい小樽です。私が偏愛する映画、岩井俊二監督の「Love Letter」の舞台である小樽。運河の街。そして、我が愛する詩人&批評家&小説家、伊藤整の故郷でもある小樽。敬愛する音楽評論家、吉田秀和さんが少年時代にその伊藤整から英語を習ったという小樽。そんな小樽にたった半日しかいられないのは残念ですが、とにかく出かけましょう。小樽の主な観光地は全てが船からの徒歩圏内です。

 まずは運河。数十年前に来た時よりも美しく整備されているように思いました。なにしろ、今や、小樽、いや、北海道を代表する観光地です。かつてこの運河を埋め立てようとしたなんて信じられない。

気温を見て下さい

 運河から「北一硝子」や「オルゴール堂」のある通りまで歩きました。途中、「利尻屋みのや」という店で買い物。コンブや土産のふりかけなどを買いました。それにしても、「お父さん預かります」ってどういうことでしょうね。ご丁寧に中国語でも書いてあった。

電柱電線がじゃまですね
この時計は蒸気で時をつげます

 
 お寿司で有名な小樽でも海鮮丼を食べました。ただし、予算と腹具合を考えて、「ミニ海鮮丼」にしました。隣の「カニ汁」のお椀の方が大きい。

 腹ごしらえをしたところで、いよいよ「小樽文学館」へ。小樽市は「伊藤整文学賞」を主催して、今も郷土出身の作家の顕彰につとめてくれていますが、この文学館の展示の中心も、当然ながら伊藤整です。以前ここに来た時にはなかったはずですが、書斎が復元されていました。これはファンにとってはとても嬉しい展示でした。この小樽文学館には、他に、少年時代を小樽で過ごした石原慎太郎の展示などがあります。でも、私たちの世代には「無知の涙」で有名だった、連続射殺事件の永山則夫元死刑囚の展示があったのは、なぜなんでしょうね。彼は小樽の出身ではないと思うけれど。

地震がくると危ない

 文学館を出たあと、小樽駅まで歩きました。駅構内を見物して構内の喫茶店で休憩。その後、タクシーで「小樽市総合博物館」へ行きました。小樽だけ博物館に行かないわけにはいかない。でも、ここはちょっと期待外れでしたね。立派な施設なんですが、「総合」といいながら、ほとんど「鉄道博物館」でした。なんでも、展示をこの「本館」と運河の近くにある「運河館」とに分離したんだそうです。でも、ざっと見ただけですが、「鉄道博物館」としては立派なものでした。

しずか号

 実は、「小樽文学館」のすぐ横に「手宮廃線跡」というのがあって、なんとなく写真を撮っておいたんですが、この博物館の展示の中に、手宮線の建設風景のジオラマ模型がありました。手宮線というのは南小樽駅と手宮駅を結んでいた貨物線で、主に石炭や海産物を運んでいたそうです。小樽港は、その石炭や海産物の積出港として繁栄したんですね。石原慎太郎・裕次郎兄弟の父親は海運会社の小樽支店長でした。この「小樽市総合博物館」の本館は、かつての手宮鉄道の施設を転用したものだそうです。こうして旅をしていると、いろいろと勉強になる。まあ、鉄道ファンの間には既によく知られたことなんでしょうが。

 短かったけれど、小樽での観光を終えて、いよいよ出港です。でも、私たちには気になることがありました。「小樽港クルーズターミナル」の緑のかまぼこ形屋根の上に、カモメがたくさん巣作りをしていたんですが、その中のヒナの一羽が転がり落ちそうになっていたんです。何度も屋根をはい上がろうとしますが、何度も失敗します。このまま地上まで落下しないかハラハラしながら見守っていましたが、なんとか、出港までに元の親のいる場所にたどり着けたようでほっとしました。小樽のカモメさんたち、さようなら。元気でね。


 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?