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旅をする

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中江広踏の旅の記録
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#ソウル旅行

韓国の旅  #12

ソウルから大邱へ 2012年 秋  2012年に行ったのは釜山だけではなかった。その年の秋に、ソウルと大邱にも行った。11月12日、月曜日。関空を午前11時10分に離陸した私たちのアシアナ航空機は、予定通りの午後1時にソウル金浦空港に到着した。いちおう、旅行会社のツアーに申し込んでいたのだが、参加者は我々夫婦だけだったようで、出迎えの現地ガイドと一緒に、すぐにホテルに向かった。フリープランだから、ガイドの役目は我々を空港からホテルまで送り迎えするだけである。手はかからないが

韓国の旅  #9

ソウルの桜 2011年  次にソウルに行ったのは、翌年の2011年の春だった。その年の1月に、私は、60歳で会社を早期定年退職していた。そして、3月に東日本大震災が起こった。4月になっても、東北の被災地では、まだ1万人以上の人たちが行方不明のままだし、福島第一原発では、関係者の懸命な努力にもかかわらず、危険な放射線の放出をいつ止める事ができるのか、その確かな見通しはついていなかった。そんな中で、かねてから計画していたソウルへの旅を、予定通り実施していいのかどうか、

韓国の旅 #8

100年目のソウルと建築 2010年  私が4度目にソウルに行ったのは、3年後の2010年のことだった。その時、妻にとっては既に10数度目のソウルだった。ソウルのどこにそんな魅力があるのと訊かれても答えに困る。時間も費用も東京に行くのと変わらないのに、紛れもない異文化を体験できるからだというのが、とりあえずの私の回答だった。妻の思いはわからないが、たぶん、女性の韓流仲間たちの存在が大きいのだろう。ソウルに行けば、とりあえず元気になれるようであるし、何度も行っていると、定点観

韓国の旅 #7

ソウル地下鉄旅行 2007年    次にソウルに行ったのは、2年後のことだった。私にとっては、2年ぶり3度目のソウル、でも、妻にとっては、ここ3年間だけで6度目のソウルだった。すっかり韓流ファンになった妻は、当時、「ソウルの達人」を目指していたから、私は希望の行き先を告げるだけで、後は、彼女について歩くだけでよかった。今回の旅行は、関空出発が午後遅い便だったことや、仁川空港で手間取ったこともあって、宿舎である新羅ソウルホテルに着いた時は、既に夜になっていた。とはいえ、真夏の

韓国の旅 #6

「チャングム・ツアー」 2005年  翌日は、旅のハイライトである「チャングム・ツアー」の日だった。ホテルの出発は朝の9時半。ツアーの参加者は、私たち夫婦と、東京から来た、我々と同年配の夫婦の計4人だった。その後の「チャングム」人気を考えれば、とても少ない。まあ、我々は流行の最先端にいたのかも知れない。ツアーを引率するのは、無口でちょっとおっかない長身の中年運転手と、若い韓国人女性ガイドだった。この総勢6名で、まずは南をめざして出発した。  最初の目的地はソウルから車で1

韓国の旅 #5

「チャングム」を訪ねる旅 2005年  私たち夫婦が、二度目に、韓国を訪れたのは、2005年の夏だった。実は、この旅行は、私にとっては二度目の韓国だったのだが、妻にとっては三度目だった。同じ年の1月に、女性ばかりで、韓国旅行に行っていたのである。「冬ソナ」と「ホテリアー」のロケ地を巡るツアーだった。私は留守番だった。その後も、妻は、何度も、韓流ファンの女友達らと韓国を訪れるようになったので、現在では、韓国旅行の回数実績では、妻は私の二倍くらいある。旅行の話をする前に、「冬ソ