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僕らが壊したくなったとき


戦争が起きるように、少年たちが喧嘩するように、自傷行為の文化がやまないように、あの日教科書やアルバムを燃やしたように、私たちのは壊したいきもちを持っている。

誰かを憎んだり、何かに怒ったり、変わりたいとき、今が嫌なとき。どうしようもなく壊したくなることは、きっと誰しもが持っている衝動だろう。



自分の話からはじめるけど、いかんせん私は私を壊したくなることが常で、季節が巡り時代が変わるくらい当たり前に、ずっと変わりたいと願ってる。

その願いが、皮膚を引っ掻き爪を剥がし、酷くなると身体を切ったりとかいう形で体現されるようなことは度々あって、それは辛いので別の形で表現するしかなかった。

身体を傷つけると生きるのが辛い。あんまり耐えられないようならスカリフィケーションでもしたらいいし、大丈夫なら写真に昇華していけるほうが良い。

色々想像した結果、たぶん死ねるくらいのこのエネルギーは、変わりたいという願いを叶えるために使った方がいい。そう思って毎日を生きている。



過去、壊すことを撮るときが何回かあった。

失恋した人が髪を切ってる様子を撮ったり、ウエディングドレスを切り刻む人を撮ったりだとか。空き瓶を叩き割るのを見守るように撮った日もある。

身につけてる何かを壊していく様子を撮る日は記憶に残っている。それくらい思いの強い撮影になっているといつも感じる。



最近は、壊す人を撮りたいなって気持ちがとても強い。

自分が自分を壊したいからというのもあるし、他人が壊したくなるとき、それを行動に移す様を撮りたい。純粋にそう思う。

嫌な思い出のある服や下着を破く様子を撮ったりするのは、お祓いのように一部の人には必要だったりするんじゃないだろうか。



普段、恋愛のもつれ話とか、恨みや嫉妬の話は大嫌いなんだけど、作品に残すってなったときだけそれを認めることができる。

写真はいつも、ブスな感情の拠り所。自分を許すための掃き溜めです。




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