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芸術とは

読んだ本のこと。『今日の芸術』を読了。最近触れた本の中では随分と読みやすかった。間を挟まずに一冊を読み終えると、爽快感と疲労感とが入り混じったものが身体に充満しているのを感じる。それを煙とともにぷはッと吐き出し、生じた空洞に珈琲を注ぐ。シロップはふたつ。

ただ本書に関してはその疲労感が無かった。真っ直ぐに伸びた道を、気持ちが良いくらいに明快に手引きしてくれるような、そんな読感。

誰にでも開かれている、そして多くの人が見落としている"芸術"の在処を指し示すこの著作、したためたのは岡本太郎である。この頃はn度目のブームが再来しているやらしていないやら。

これまで岡本太郎の著作とは縁がなかった。〈太陽の塔〉の中には入っても本には手を出していなかった。初めて明確に"出会った"と言えるのは二月末。帰省した折、古書店のカウンターの上、貸出本の中に『今日の一』は置いてあった。

「これ、買えたりしますか?」

「それはだめなの、ごめんね、でもその本は新刊が売れてるから是非(ニコッ)」

ぐうの音が出ない。翌日のこと、彼女に紹介してもろうた場所に出向いた。岡本太郎を半ば崇拝とも言えるほど尊敬している、そんな方が店主をされているという古書店。確かに『今日の一』が数冊平積みにされていた。新刊で。

その書店では横尾忠則の著作を購入した。私が購入する古本文庫においては、割と値が張る部類であったと記憶している。『今日の一』の序文を横尾忠則が手掛けているのはまた別の話。とにかく関西へ戻った後、結局二次流通、いわゆる古本状態で『今日の一』を手中に収めた。どこか罪悪感はあったが。

今月読んだ『眼球譚』の著者、ジョルジュ・バタイユについて扱った書物『バタイユ入門』の中に岡本太郎の名前が登場していた(ややこしい)。彼らには親交があったらしい。『今日一』を読んで気付く。その枷を取り払ったような論考に、そして"人間"を見つめる眼差しに、なるほど二人の共通項が見えるわけだ。

本書の中で個人的に興味深かったのが〈芸術〉と〈芸能〉にキッチリと線を引いている点。岡本太郎の論考に反することにはなるが、"芸術とは何か"という問いが如何に難しいかを改めて実感した次第。

それでないと面白味が無いってモノだけれどね。


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