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週報

ここ最近は居なかったものだから、急に学生が湧いて出たような印象がある。昼の溜まり場が喫茶とは、学び舎が山中であった身からすると実際羨ましい。一昨日の男連中に「魚の顔を受け付けられない」という者があった。聞き慣れない話題であるから展開に耳を立てると、刺身などの類は食えるというのだから、視覚イメージに依拠した、その理に適った嫌悪に心中喝采である。昨日の女学生らはというとワイドショウ的話題、「大谷さんの通訳さん、めっちゃ悪いことしてたみたいだね」と。通訳"さん"とするのは好ましい。お家柄お察しいたします。店内はお世辞にも広くはない。私の吐いた煙が拡がり、行き渡った。それは三島由紀夫の『仮面の告白』を読み終えたころであった。文庫を好んで消費しているせいか、彼是が頭で渦巻く。

金曜夜には四月度の観る会で、ピーター・グリーナウェイのレトロスペクティヴ『ZOO』を京都シネマにて。喪失と欠損とは空虚を産み、流れ込む死の淀みと明晰な観察者(!)。無論、悪趣味ではあるのだろうが、人間の動物としての側面に寄り添うカメラには言い難い深みがある。面白いとも、否とも言えないなと語り合った。終盤に差し掛かる辺りで、なんてこともない一時の画面に心を奪われた。思い出すこと叶わず、今はもう無闇に考えずにいる。劇場椅子で眠るのは止したい。序盤で堕ちるのは一段と止したい。尿意に因る中座がなかったのは偉い。

車折の芸能神社に手を合わせる女性へと視線が引っ張られる。スラリ長身にワンピース滑らか沿い、余りに長い沈黙は私にまで沁み行く。重々しさはそのまま美しさに連なり、振り返ったその晴れやかなお顔─ は見ず仕舞いとしておく。ちょうど、先程読み終えたばかりの『異界幻想 種村季弘対談集』に天宇受売命が登場する。かの踊りに就いて「前にひもを垂らしたというのはいわゆるソソ毛のことで、それを擦り合わせることによって呪力を発揮している」というのである。先の光景とはあんまり重ねたくない。同書の対談者に小松和彦氏も名を連ねている。男女夫々の世界の鬩ぎ合いが面白かった。

腕の感覚が鈍いのは、昨夜のボルダリングより発したものだ。

「須磨くんに負けたら、もう五年も続けているけど、ボルダリング辞めるよ」

「ホントにいいんです?」

「逆になんでそんなに自信があるの」

「言っちゃあなんですが、ボクから見ればTさん、もうオッサンですよ」

舐めておった。痛恨の完敗である。が、大変に楽しい。手を伸ばす、足が離れる。指先から前腕に上腕に力が籠り、腱が焼き付く。壁に身体を引き寄せるときの熱!読書に遊歩、映画、音楽、観戦と挙げればキリのない彼是を"日常"という二文字に含めてなお、埋め切ることの叶わぬ領域を掴んだ。あの空間において、この私が落下の解剖学を行っていた訳である。いま私は離陸の術を知る。

妻とモオニングを食べに出掛け、解散のち喫茶で煙と本とを貪る。昼を回ってから烏丸へ。バアでクラフトとまたしても本。前出の『異界─』を了する。何やら京都のFCの試合があるそうで、ユニフォーム姿の客で混雑。それから久々に上新庄へ。辻邦生を二冊買い、家から持ち出した辻邦生を読む。一年前までよく足を運んだ喫茶は禁煙になっておった。溜息吐き踵返す。

快活な女子が「キャンペーンです!是非!」とくじの入った箱を手に笑顔を振り撒いている。と、その前を通りかかった男性、箱に手を突っ込む。突然の緊張が身を包む。引き抜くやいなや「おめでとうございます!」の一声と共に向かいのキャリアショップに連行されて行った。非道く可笑しな場面を見てしまった。自宅の花を挿し替えたはいいが、厭に臭うからまいっている。

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