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俺に聞くなって

カウリスマキの『パラダイスの夕暮れ(1986)』を観た。労働者への賛歌である。愛への賛歌でもある。メラルティンのような同僚は必要だ。この監督の描く「可笑しさ」とは、我ながら上手く同期できている気がする。こういった感覚はそう訪れるものではないから、有り難がらねばならん。有り難がることをせず、いつの間にか後逸したいくつもの事柄、時間、そして人々へ。

それにしても暑いぞ。風が気休めになっておらん。週末だけを頼りに生きるというのも草臥れてしまう。繁期の佳境を迎えつつある。ぶつ切りの生活そのままの文章。"日々"という語の乾いた質感に囚われておる。腹が空いた。

河出書房の辻邦生作品集に収められている『城』を読んだ。実体験が基となったであろう本作は、随筆の風味を帯びた短編小説となっている。丘の上に佇む"城"へと向かって物語は収束するのだが、その構造とは裏腹に城より"離れる"という結び。あとがきで「短編における集中的効果」に作者は触れているが、詳細に論じられたものも読んでみたい。

辻の『嵯峨野明月記』については、私の個人史において後にも先にも─ と称せる類の、ほんとうに好きな作品であるが、昨夜、自宅で観た北野武『首(2023)』は『嵯峨野─』と同時期の戦国を描いた映画である。となれば同様に『安土往還記』も重ねられるのだが。

いやはや、歴史モノの描き方は多種多様。安土桃山の乱世に対する、ある種の憧憬を取り払った描写は珍しくないが、素っ裸の"時代"に対し下衆も下衆な召し物を用意したのが本作だ。その下衆さが現代にも大いに通ずるから面白い。女の見当たらない、男だけのドラマ。そこに居合わせるのは、奇しくも、『城』において象られた男であった。男そのものであった。

疲れたのだが!忙しいのだが!聞かないでくれ!

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