見出し画像

月と六文銭・第十五章(2)

 動くものを狙撃するのは難しい。スピードもあるが、動きが予測できないことも多い。武田の計算能力で動く物体が百分の一秒後、十分の一秒後、一秒後、二秒後、三秒後、五秒後にどこにいるのかが予測できるからこそ、正確に狙撃ができるのだ。
 この特殊な能力が発揮されるのはターゲットが車で移動していて、事故に見せかけて無効化する時だ。

アサインメントその1:白いマセラティ


 今回はホテル・オーヤマのレセプションで旅行鞄を引き取ることとなった。受付嬢自身は何も知らずに、「お預かりした荷物ですね、少々お待ちください」と言って渡された半券に該当する鞄を取って来るだけで、預けた人が誰だか知らない。この女性が組織の一員なのか、誰かほかの組織員が宿泊している時に預けた物かどうかは、武田には分からない。
 カバンの中には今回の狙撃で使用する銃が分解されて納まっている。パーパスビルトといって狙撃の目的に適した特殊な形状や特徴がある銃の時もあれば、スタンダードと呼ばれる汎用性の高い、既に軍のスナイパーが使用している形式の時もある。
 早ければ期限の1週間前に渡されて、試射や調整をする時間がある時もあれば、受け取ってそのまま使用する場合もある。調整が完璧で既に自分の癖に合わせてある時もあれば、まっさらでスコープの調整も含め、銃の癖を学ばないといけない時もある。
 今回は走行中に狙撃することになるが、近距離のため、銃身は短めのものを用意し、現場等に弾丸が残らないよう先端が硬軟二種の金属を組み合わせた特別製のものを使用する。
 組織のプランはこうだ:空港に向かうターゲットを成田空港手前のトンネルで追越し、タイヤをバーストさせて事故を起こさせる。かなり飛ばす男として知られているので、トンネル内での時間は短いものの高速で移動しているため、コントロールを失ったら、間違いなく車は壁面に激突し、大破するだろう。現場検証で弾丸が見つからないようにすることが重要なため、着弾後崩れるものを使用する。


 武田は酒々井の私有地で試射を繰り返し、銃の癖を知り、弾の効果も確認した。狙撃するコースは何度も車で通り、ターゲットの車が斜め左後ろの場合、右後ろの場合、真後ろだった場合を想定してコースを確認した。当日運転手をする組織の人間に、ターゲットが追越車線を飛ばしているだろうから、よくないことだが、必要があれば左側の走行車線から抜いていくよう指示した。
 ターゲットはETCゲートでは減速しないだろうから、瞬発力に優れたAMGの中型セダンを用意させた。雨天を想定して、万一のために四輪駆動の4MATICを使う。こちらは組織の経費だ。自分の500Eを使うことも考えたが、通行ブースの記録に画像が残っている場合、後々困るので、組織に車両の用意を依頼した。
 ドライバーは元レーサーで、工作のために組織員を高速で移動させないといけない場合やこうした路上での狙撃の際に投入される男性だ。車もドライビングも詳しく、口先だけの男でないことは、若い頃レースドライバーの教育を受けた武田にはよく分かった。このドライバーは信頼できるというのが武田の判断だ。
 武田から組織に依頼したことは、ターゲットの車のドライブレコーダーを事前に無効化しておくことだった。録画できないでもいいし、録画しているフリをして実は録画できていないでもいい。ドラレコ自体を使えなくしておくのでもいい。最近はドライブレコーダーが付いたことにより、画像が残っている可能性が高くなっていて、残っていると当然不都合だ。


 旅行代金の支払いについては、今回は装備も移動手段もすべて組織が用意するということだったが、銃の調整は自分ですることとなったので、手付として20%を現金で受け、残りを任務完了時に金塊で指定の貸金庫に届けることで"契約"をした。
 1発の弾丸でUS$25,000という案件が高いのか安いのかはスナイパーの感覚次第だろう。
 武田はチャレンジングな案件ほど面白いので引き受けるのだ。準備期間が短いとか、難しい位置からの狙撃となるとか、今回のように動いていて比較的難しいターゲットの場合は好んで引き受けていた。自分の計算能力をフルに活用し、頭の中で計算した結果と実際の狙撃の結果が一致した時の快感がたまらないという点は認める。一致しなかった時のトラブル対応のスキルの向上も大切だと思っていた。直接ターゲットを狙撃せずに結果を出す点もアサインメントを面白くしていた。
 運転席を狙撃して、ドライバーを直接射殺することも可能だが、ガラスや死体に弾痕や弾丸が残るのでは意味がない。自分の存在をアピールする必要はないので、眉間の真ん中に弾痕を残すということはしない。自分の価値は"存在しない"ことなのだ。
 そう、自分は"正義の味方"ではない。巨悪を倒すとか、誰かの仇を取るとか、そういうことに興味はない。依頼主がいて、報酬が支払われる仕事を引き受けて、狙撃を実行するのだ。恣意的な行動はしない。
 逆に、恋人が何者かに殺された場合も復讐することは許されない。このため、恋愛に固執するなと教育されるのかもしれない。復讐の鬼となったら、絶対実行するし、失敗はしないだろうが、組織の支援があるからこそ、跡形も残さずに狙撃を実行して、捕まることなく日常生活を継続できるのだ。単独行動に出た場合、その支援も保護もない。
 武田は普段、現金での受け取りをせず、金地金=金塊を好む。現物資産だから、金利を生まないし、運ぶためのコストも発生するという欠点があるが、金地金は世界中どこでも換金可能だ。


「のぞみさん、週末、ウナギを食べに行こうと思うんだけど」
「え、ウナギ?うん、神田?浅草?まさか、静岡まで行くの?」
「静岡もいいけど、成田はどうかなと思って。成田山新勝寺の手前で」
「へぇ~、内陸なのに、ウナギがあるの?」
「昔から有名なんだよ。お寺に行く人の楽しみだったのかな」
 武田の恋人・三枝さえぐさのぞみは興味深そうに彼を見つめ、頭の中で、成田空港とウナギを結び付けようとしていた。成田空港は何度も使っているが、成田山新勝寺は行ったことがないから面白そうだった。
「成田山新勝寺は何かで聞いたことがあるけど、何で有名なの?」
「商売繁盛のお寺なんだよ。個人事業主の参拝も多いし、歌舞伎の成田屋はここから屋号をとっている。団十郎が毎年、お餅を投げたり、節分には豆を投げたり、縁があるんだよ」
 正しくは團十郎だんじゅうろうじょうというべきだが、歌舞伎に詳しくないのぞみに言った場合、ダンジュウ籠城って何?となりそうだし。
「哲也さん、歌舞伎なんて興味あるの?」
「お、言ってなかったっけ、アメリカ行く前は毎月歌舞伎座に行っていたし、海老蔵や勘三郎の襲名披露も観たよ」
「え、どうやって?歌舞伎って券取れないし、着物で行かないといけないし、すごい大変って陶子とうこさんが言ってから」
「陶子さん?」
「運用2課の上田うえださん。東海資産運用から移ってきた、めちゃ美人の方」
「ふーん」
「ふーんって、美人で有名よ、知らないの?」
「聞いたことあるけど、僕がその美人に興味持ったら、のぞみさんはいやでしょ?2課は成績悪いし」

サポート、お願いします。いただきましたサポートは取材のために使用します。記事に反映していきますので、ぜひ!