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月と六文銭・第十六章(19)

 武田は根本的な失陥を抱えていた。"好奇心が旺盛過ぎて"自分を危険な状況に陥れる関係にも平気で突入してしまうのだった。
 武田の本業は資産運用会社の投資運用部門長兼債券運用部長でマクロ経済の分析も一部カバーしていた。その本業では会社が予想しなかった業績を上げ、部下からは畏怖されていた。調子に乗っていたわけではないが、債券運用部で彼は独裁者だった。

~充満激情~

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 武田は贔屓をしているつもりはなかったが、優秀で投資の面白いストーリーを組み立てる部員が好きで、プレゼンス=露出を増やすようにしていた。中でも副田そえだ将一しょういちには毎回プレゼンをさせていた。しかも一番最初に。
 副田は格付け会社出身ということもあり、その前は信託銀行の投資部にいた経歴から債券投資、格付け、マクロ分析が全員の参考になると思ってのことだったが、副田本人はプレッシャーに感じていたようだ。
 それに、武田もやめればいいのに、副田を彼の名前・副田将一から副将ふくしょうという変な綽名をつけて指名していた。

「まずは副将から一発噛ましてやってくれ」

 といった具合だ。
 武田をボス=大将とすると、副田将一は副将、若手の成長株千本せんぼん大輔だいすけを先鋒或いは千本ノック、峰田みねた次男つぐおを次鋒あるいは剣が峰、中堅社員で安定性抜群の東方とうほう将司まさしを中堅あるいは東部方面司令官と呼んで、まずこの4人に毎回発表させていた。他のメンバーはどうやったら変な綽名をつけられて、発表のスターティングメンバーに入れてもらえるか研鑽に励むという効果があった。
 債券は実力の世界だと武田は思っていたので、それでよかった。研鑽をする者を評価するが、もちろん結果が出ないとその評価は確定しない。ちょっとしたイベントで儲かる株式投資とは違う。今回、偶々当たったんです、がない世界なのだ。だからメンバーは互いの評価を信じられたし、それがフェアな報酬に反映されていると感じて頑張れたのだ。
 もちろん、在籍歴の浅いメンバーにしてみたら武田が大将というよりも絶対的独裁者なのに驚く。口だけの男なら愚痴も文句も出るだろうし、中傷もいくらでも出てくるだろうが、情報の正確さと判断のスピードに圧倒され、この組織の強みが実感せざるを得なかった。まるで日本の会社の中に外資系の島があるとも言えたが、治外法権ではなかった。部長の武田はボードに報告していたし、社長の信任が厚かった。

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 トラブル続きだったニューヨーク子会社を立て直し、アジア拠点3か所の黒字化に成功していたが、その間も債券投資アナリスト兼ファンドマネージャーとして本部に的確な投資情報を提供し続けたことも大きかった。どうしてそんなことができたのか?もちろん家族がいない武田には仕事に24時間を振り向けられるアドバンテージがあった。
 日本帰国後、家庭のことを何もせずにいる既婚男性を見る度に「それでこのパフォーマンス?」と呆れるばかりだった。家庭のこともせず、仕事も生ぬるい。趣味の一つも極めていたのならまだ話す価値があるが、スポーツ、車、時計、カメラ、ギャンブルのどれも半端なレベル。
 せめてスーツや靴に拘るとか何かないのかと思ったが、拘りがないからやっぱり半端なんだろうなと思うわけだ。こうした人間は話す価値はないし、信じて仕事を任せられない。いや、すべてを犠牲にする滅私奉公は時代遅れだし、昨今ならパワハラなんて言われそうだから、そういう言い方はせず、担当から外していく。顧客にとってサラリーマンファンドマネージャーほど害のあるモノはない。
 そんな生活を続けながら、モデルやホステスとデートしたりしたのだから、タフさではバケモノ級と思わざるを得ない。それが武田へのやっかみを含めた評価だった。男性には知り得ようがなかったが、ベッドの中でもタフだということを知っている日本人女性もある一定数いた。
 そもそも面倒なことが多いから一般的な日本人女性とは距離を置き、外国人女性や男性から男性へと興味が移り替わるタイプの女性と交際してきたのだが、今の恋人・三枝さえぐさのぞみの不思議な雰囲気だけは抗し難く、珍しく長く付き合ってきた。
 もちろん、彼女は武田のタフさを身をもって知っている日本人女性の一人だが、大切にされている上、女性としての悦びを教えてくれた人、そして、業界の大先輩として尊敬する面と教育者として研鑽の指導をしてくれる良き師でもあった。
 優しい父のいるのぞみは、だから武田を父親的に見ることはせず、ちょっと年齢の離れた恋人と思って付き合えるのだった。経済力は、若い人はもちろんこと、自分の父母も敵わない水準で、普通には知り得ない世界の扉を開けてくれるし、贅沢さを味わわせてくれる人なのだ。

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 武田は予定通り、木曜日の午後は株式投資部の投資会議に出席した。相変わらず甘ちゃんな分析で投資判断を下している連中に呆れていたが、なるべく顔に出さず、社会人の年次が上の又野部長の方針には反対しなかった。
 そのすぐ後に株式投資部グローバル投資課の友田課長とパリ出張の打合せを行った。前年とほぼ同様のスケジュールにするよう友田にアソシエ・フランセ・インシュアランス(AFI)のパリ本部との調整を任せた。

 その日の夕方はのぞみと過ごした。浜松町の龍華宮ロンファゴンへ行き、彼女が満足するまでカニ料理を一緒に食べた。パリのお土産について相談するということだったのだが、実際にはのぞみからリストを渡され、相談して、その中から3つほどに絞った。過大な要求は一つもなく、武田から異論が一つも出ないという和やかな交渉だった。
 そして、その日は珍しくのぞみとは駅で別れた。
 翌朝、武田が朝早く新幹線で静岡に行く予定だったから、一人で品川のホテルに泊まることにしていたためだ。のぞみも翌朝は早い時間から打合せがあるため、素直に帰宅した。

 武田は駅の改札でのぞみを見送った後、品川に向かう山手線に背を向け、羽田空港にあるホテルに向かった。以前のアサインメントの後に呼び出した銀座のホステスの喜美香きみかと待ち合わせをしていた。彼女が翌朝、羽田から石垣島へ飛び立つため、羽田のホテルに前泊すると連絡してきたから、そこで会うことにしたのだ。お店には毎月ボトルを入れ、2週間に1回程度お店に顔を出し、毎回きちんとママにも挨拶をした。
 アフターは喜美香の秘密の部屋で過ごしたが、「相性がいい」と言って彼女は必ず絶頂に達した。

「今までの相手は年齢が高くて、パワー不足だっただけじゃないの?」

 武田は喜美香が相手をするのは年齢が高く、金払いの良い'太い'客ばかりだろうと考えていた。

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「私にだって好きな人くらいいますよ!
 お店で出会ったお客様としかお付き合いがないなんて、考えが狭いですよ」
「じゃあ、その好きな人というのは幾つくらいで、何をしている人なの?」
「二人いるの。
 一人は五十歳くらいで、どこかの会社の部長だと思う。
 もう一人は七十歳で会社のオーナーなんだけど、もう仕事は息子さんに譲って、悠悠自適らしい。ゴルフ三昧なのよ」
「ふーん。
 まぁ、五十くらいなら充分エネルギッシュに動けるし、今の七十なら戦中世代で骨格や体力がすごいらしいからね」
「七十の方とする時はだいたいゴルフに同行した帰り。
 本当に足腰がしっかりしていて、毎回駅弁でするのよ」

 駅弁は体位の名前で、男性が女性を抱えたまま腰を振るというアクロバティックな体位として有名だ。駅弁という名前ではないが、昔からある体位の一つで、所謂「四十八手しじゅうはって(四十八の体位)」の「櫓立やぐらたち」のこと。見た目も刺激的で、互いにしっかり相手を捉えていないと倒れる、或いは落ちる緊張感がある。

「駅弁は見た目も刺激的でいいのかな?」
「私は抱きかかえられている方だから、相手の顔しか見えないけど、傍から見たらかなり刺激的な体位でしょうね」
「喜美香がそんな体位ですること自体想像できなかったな。
 下がメインというイメージだが」
「おじさんやおじいさんに組み敷かれるタイプということ?」
「君の胸と腰の大きさを考えたら、どんな体位でも刺激的に見えると思うけど、もっと年齢が上の世代は女性を征服している感覚に拘るから、君を下に組み敷くか、君が上で腰を振っているかのどちらではないかと」
「初めの頃はそうでしたよ。
 私を組敷いてガンガン腰を振って、とにかく攻める攻める。
 こっちが『もう勘弁してぇ』って叫ばないとやめないくらいタフで」
「僕とする時とは大違いだ」
「あらやだ、武田さんはそんなにガンガンしなくても、ちょうどいいところに当たるから、私はあっという間にイっちゃうんだもん」
「ありがとう、誉め言葉として受け取ってもいいかな?」
「もちろん」
「まぁ、銀座のホステスのリップサービスだと思って5割引きくらいに思っていた方がいいよね?」
「いやいやいや、十割フルで受取ってほしいわ。
 気持ち良くなかったら、こんな風に会いたいとは思わないもん」

 こういう本気なフリをして男性客を釣り込むのがホステスの手練手管ではないだろうか。アフターでベッドインしても、決してセックスで繋ぎ留めようなどとは思っていないタイプだろう。

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