ナミビアの砂漠とはどんなかたちをしているのか


ナミビアの砂漠とは?
最後まで見たらわかるかなと思ったけど分からなかった、どこか遠くの砂漠で大きい動物が水を飲む様子を定点観測しているかのような映画ってコト…?※このあとちゃんと意味を調べます

そうなのだとしたら、私にとってはぜんぜん遠くの世界を覗き見るような映画ではなかった、自分に確実にある嫌な面とかどうしようもなく抑えられない感情の噴出、そしてこういう人いるのよねスッゴイ嫌な気持ちになるのよね、土足で人の大事なとこ踏みつけてきていいと思ってるのよねぇ。などをチラチラと解像度高く目の前に突きつけて見せつけてくるから、ウウ、もういいです、もう大丈夫ですってなる。
あーこれ言ったらおわりだなーってわかってて人の気持ちを試すようなことを大声で叫ぶところ。あーもう捨てられますねこれと思いながら人の核心を確実に突くところ。

なのに終始コメディの雰囲気でよかった。寛一郎とのまあ噛み合わなさ。清々しいまでに噛み合わないからずっと見やすくてよかった。だるいよねこういうやつ。いらつくしゴミみたいに捨てたくなるよね。でもこいつでいいやん、こういうやつ選ぶとラクだよ、あなた楽な方に流れていけるのよーって諭したくなるきもち。

唐田えりかの「3年後ほぼ覚えてない」はほんとか?大丈夫か?って揺さぶりたくなるしカウンセラーは本物の人使ったん?ってくらい穏やかかつ絶妙にイラつかせる話術、たまに現実と混同しそうになる。

開始10秒が1番ワクワクした。紙ストロー出された瞬間不快すぎて全部の感覚紙ストローに持ってかれるのと喫茶店の周りの会話気になりすぎて、でも目の前の話も聞かないと不謹慎だし結果聖徳太子になりかけて目ギンギンなるやつ。

とりあえず河合優実スタイル良すぎ、おしゃれすぎ。
だから最初は気楽にテキトーに遊んで生きてる若者のありがちな日常を描いてるだけのように見えてたけど、瞬く間にどんどんままならなくなって、あーもう終わりだ、どこにもいくとこないよ!ってなる。
どんなに死にたくなる喧嘩しても逃げ場ない民としての個人的な感情がフィットしてしまった。何回泣きながら南森町のマンション飛び出たことか。

どんな人もままならなくなる。何が大事とか何が本当の感情か、とか、なにもわからなくなる。大事な一本の軸があったはずなのに、それがみるみるうちに姿を消してしまうことがある。感情が固定できない。思い出せない。なにがじぶん?自分の病名は何?だいじなことってなんだっけ。

でも、そうなってても日々生きてていいし、笑えるし、笑わせることもできるし。
そのまんまでいいよ。あたしは今のあたしが大好き。ミートュー。
そんな映画でした、また見ます

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