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五日目 令和元年五月三日 十七時四十五分頃

 東海道中有松日本橋 満願大成就膝栗毛。五日目 令和元年五月三日 十七時四十五分頃。駿河國 島田宿。

 お茶屋前の昭和天皇御巡察之處の石碑明治天皇の碑は街道筋に多いが、昭和天皇は珍しい。一番下の文字は「處」の隷書体である。「昭和二十一年六月十八日丸三製茶工場」とある。

 お茶屋の蔵。平屋造りが珍しい。

 懐かしい店。まだ健在のようだ。

 謎の管理境界。小さな用水路の橋の欄干にわざわざ掲げているのはなぜか。この橋が用水路の「管理境界」と言う意味なのか。地図を見ると街道に沿って島田市(左)と藤枝市(右)との境界線が走っている。島田市側の道に沿って流れる用水路はこの地点で道の下をくぐっているところから、各市の用水路の管理境界を示していることになる。つまりこの写真の橋の欄干の左側は島田市の管理、右側は藤枝市の管理になっているようだ。

 街道の名残の松並木

 青島酒造の喜久酔(きくよい)。「きくすい」かなと思ったら「きくよい」だった。重箱読み、湯桶読みだ。青島酒造は明治元年(1868)創業。当初の銘柄は「菊水(きくすい)」だったようだが、他の蔵との混同を避けるため「喜久醉(きくよい)」に変えたらしい現在の杜氏は、ニューヨークの投資顧問会社のファンドマネージャーだったが、家を継ぐことにした蔵元の五代目である

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