伝統技術を遊ぶ張子師

天保時代より続いている春日部の伝統工芸の「張子師」。 その他根付彫刻や江戸大道芸の飴細…

伝統技術を遊ぶ張子師

天保時代より続いている春日部の伝統工芸の「張子師」。 その他根付彫刻や江戸大道芸の飴細工も手掛けています。 HP:https://www.maneki-neko.com/  instagram https://www.instagram.com/gankoan/

最近の記事

私の職人としての技術習得修行①

日本の人形における分業制私は脱サラして家業を継ぎ、張子師、つまりは人形師になりました。 幼少期から張子制作には家業として携わってきたのである程度の技術と知識はあります。あとは慣れていって熟達していくだけです。 そうしていく中で改めて課題が認識されました。 それは「分業制」です。 日本の人形の中には分業制が導入されているものも少なくありません。 人形の頭だけを作る「頭師」、その髪の毛を作る「結髪師」、人形の着物を作る「着付師」などなど。 それほど複雑な工程のない張子も実は一貫で

    • 私の張子の修行

      私の家業は「張子師」です。 系譜を紐解けば天保時代から続く歴史の古い張子師となります。 と言っても、うちの父はもともとサラリーマンでした。 張子とは全く縁のない家系です。 なので脱サラした父が初代となりますので、現在家業を継いでいる私は張子師の二代目という事になります。 では何故歴史が古いかというと、父がその系譜の張子師に弟子入りをして代を譲ってもらったからです。 父が美大生だった頃、昭和30年代くらいでしょうか。油絵のモチーフとして「郷土玩具」を選択をしました。 それがきっ

      • 消えゆく文化と職人

        前回消えゆく縁起物のお話をしました。時代が移り変わると新しいものが導入され、古く不要になったものが捨てられるのは仕方がないことです。 江戸時代、日本橋には白木屋呉服店がありました。江戸三大呉服店の一つですね。それがのちに東急百貨店になりました。日本の百貨店の先駆的存在です。(※今では知らない方も多いかと思いますが、東京日本橋には東急百貨店があったのです) 戦後すぐに、日本橋東急百貨店の催事場で「全国日本郷土玩具展」が開催されました。1940年代には当然日本全国に郷土玩具を

        • 消えゆく縁起物と招き猫

          私が生業として作ってる「張子人形」は江戸時代から続く工芸品です。 その人形のモチーフは古くから人々の風俗に密接にかかわっているものが多く、その土地その土地に古くから伝わる特色が色濃く反映されてきました。そのため「郷土玩具」として今まで伝わってきました。 分かりやすい例だと福島県の赤べこが挙げられます。福島県の伝統工芸品ですね。農耕が盛んだった、という特色が挙げられます。 その他にもクジラ漁が盛んなところはクジラの人形、南蛮人の往来があった地域は南蛮人形などが作られていました。

        私の職人としての技術習得修行①

          私の思う招き猫の魅力

          江戸時代より日本の縁起物として愛されている招き猫。 招き猫はもともと庶民信仰の対象として始まったものの、愛玩動物でもあったことからか、いつの間にか一つの「キャラクター」として扱われるようになり、江戸時代から今に至るまで様々な作品が作られ親しまれています。 また、9月29日を「9(来る)29(福)」という語呂になることから、「福を招く招き猫の日」として制定されているほど定着しています。 招き猫の由来としては「猫が前足で招くようなしぐさをしたところ、客人が来た」という中国の

          私の思う招き猫の魅力