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私の張子の修行

私の家業は「張子師」です。
系譜を紐解けば天保時代から続く歴史の古い張子師となります。
と言っても、うちの父はもともとサラリーマンでした。
張子とは全く縁のない家系です。
なので脱サラした父が初代となりますので、現在家業を継いでいる私は張子師の二代目という事になります。
では何故歴史が古いかというと、父がその系譜の張子師に弟子入りをして代を譲ってもらったからです。
父が美大生だった頃、昭和30年代くらいでしょうか。油絵のモチーフとして「郷土玩具」を選択をしました。
それがきっかけで郷土玩具のコレクターとなり、やがては集めるだけでは飽き足らず作る側の門戸を叩いた、というわけです。
その頃、郷土玩具の世界では後継者不足で同業が次々と廃絶していく中、同じ環境にあった先代は弟子である父に、
「うちは跡継ぎがいない。だからと言って無理に名を残したい気持ちもない。逆に弟子が跡を継いでその作風に縛られるのは良くない。代々の型や技術は譲るが、いっそ初代として自由に活動してはどうか」
とのありがたい言葉で父は初代を名乗り、歴史は古いが、私は二代目。となったわけです。

ただ私もすんなりこの家業を継いだわけではありません。美大の父と違い経済学部でしたし、なにより1990年代のまだ景気の良かった時代で、終身雇用も崩壊しておらず、在籍していれば普通にボーナスだって貰えるサラリーマンを選択しないわけがなく、2年間サラリーマンを続けました。

とは言え当然会社勤めも甘くもなく、学生と違い上司も同僚もソリが合わなくても付き合わねばならず、働いた分の報酬が反映されないのも不公平感がありました。(残業代は出ますが、成績が良くても悪くてもそう簡単には月給は変わらないですよね)
結果、より効率的にサボり、上に媚びへつらい、人間関係だけを円滑にしている者が得をする世界だ(これはあくまでも当時の私の偏見です)と感じ始めてからはサラリーマンの継続は無理でした。
何より人間的に全く学んでいません。
自分がこのままサラリーマンをして定年で辞めた時、
「自分はサラリーマン時代にこれだけのものを学び身につけた!」
と誇れるものが多分無いだろうなと思ってしまったのです。そりゃ、世間を渡る知恵や経験はそれなりに年の功として身につくでしょうが、例え役職を得たとしてもその会社を辞めればただの人ですよね。

その時うちには結構熱烈なファンもいましたし、何より自分の作った人形が喜ばれる、という当たり前の事実をその時ようやく理解して、張子師になるか、と思った次第です。
くさい言葉ですが「やりがい」でしょうか。
大企業のその他大勢の中にいたら成果も見えにくいですからね。
もちろん頑張った分も全て自分に跳ね返りますし。

ただ、そこでも当然壁は大きく立ちはだかっています。まあ、言わば自営業ですからね。のんびり雇われてる身とは大違いです。更には技術職ですしね。何の特技もないまっさらな自分には学ぶべきことは山積です。頑張った分は跳ね返りますが頑張らなかった分は大打撃ですから。
というわけで、家業を継いだその日から今に至るまでほんと長く20年以上修行の日々が続くのです。
その修行内容は、次回へ続きます。

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