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私の職人としての技術習得修行①

日本の人形における分業制

私は脱サラして家業を継ぎ、張子師、つまりは人形師になりました。
幼少期から張子制作には家業として携わってきたのである程度の技術と知識はあります。あとは慣れていって熟達していくだけです。
そうしていく中で改めて課題が認識されました。
それは「分業制」です。
日本の人形の中には分業制が導入されているものも少なくありません。
人形の頭だけを作る「頭師」、その髪の毛を作る「結髪師」、人形の着物を作る「着付師」などなど。
それほど複雑な工程のない張子も実は一貫で作っていません。張子を作るためには「型」が必要です。
その「型」は江戸時代では「木型」が用いられていました。
今までは細々と先代から受け継いだ木型を用いて張子を作成していましたので、それほど問題だと認識していませんでした。
また、新作に関しては父の美大時代の後輩に木彫の荒彫りまでを依頼していたり、簡易的に石膏で作成したりしていました。今までは父1人での作業でしたのであれもこれもと手を広げられなかったので事足りていました。
ただ作り手が増えると制作の幅も増え、お客様の要望にも応える余裕が出てきました。

従来通り、型の制作を他人に依頼すると時間も経費も掛かる上、意思疎通が上手くできないと望んだものができない場合もあります。
石膏に関しては脆く、大量生産には向きません。

お客様の要望や自分のアイデアなどにも迅速に応えるには型からの一貫した制作環境が必要となります。
「型を自分で作成するにはどうしたら良いか。」
これが最初の課題であり壁になりました。

「木型を作るために木彫を習得するべきか?」

これは現実的ではありません。高い技術が必要であり時間と労力が掛かり過ぎます。

と言うことで、今までは石膏で作っていたのだから粘土のように手でこねて形作れるものが良い、と考えました。
ただ型には、濡れた和紙を張ったり、ナイフで切れ目を入れたりという工程があるため、硬くて水に強くないといけません。(ここが石膏が不向きなところでした。長持ちさせようと表面にニスやラッカーを塗布しましたがいずれすぐ壊れます)
そうなると、油粘土はダメ、紙粘土もダメ。
今なら東急ハンズに行けばフィギュアの素材のスカルピーなどかなり便利な粘土も見受けられますが(スカルピーも不向きなのが最近分かりました)今から30年前のこと。

結局、出た答えは「陶芸」でした。
土をこねて形作り、乾燥後素焼き、その後薬を掛けて本焼き。
出来上がりは焼物ですから硬いし薬が掛かってるので水に強い。
と言うわけで知り合いの陶芸職人に基礎的な教えを乞いました。
ただ薄い皿など器を作る上の技術と、型のために土をこねる技術は似て非なるものでかなりトライアンドエラーをしました。
まず土から空気を抜かなくてはならないのですが、そのための菊練りがそもそも出来ない。(土の中に空気が入ったまま焼成すると爆発して粉々になります)
また器と違って土の厚みがかなり出るので乾燥時間も分からない。(生乾きで焼成すると、やはり爆発します)
どの種類の土を使えば人形の造形に向くのか分からない。(産地や土の成分、色など様々な種類があるので試してみないとなかなか分かりません)
焼成温度も試行錯誤しました。(比較的低い温度で焼成したものは強度が得にくいことがわかりました)

型を作るための勉強が私の最初の修行になりました。
土の種類や乾燥具合、造形に必要な道具(これも結局全て手作りです)が今では一つの雛形として出来上がったので、型制作の他、手びねりの土人形や灰皿、お香立て、箸置きくらいは作れるようになりました。(表紙の写真にある、アマビエが腰掛けている消毒スプレー置きの器は私が作ったものです)

その後、展示会などで土人形作家さんと知り合い、自分の試行錯誤は間違ってなかったと確認できましたが、当時はネットもない時代でしたので大変でした。
こんな修行がさらに続くのでした。

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