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夏の海で波に乗る、青春の味

暑い日が続くので、思考までもが無意識のうちに、少しでも涼しくなるように働きかけてくる。
エアコンの冷風を浴びながらレモンを浮かべた氷水を味わっていると、大好きなサーフィン映画のことを思い出していた。

昔、週末ごとに、いわゆるレンタルビデオ店で沢山DVDを借りてきて、家族で映画を見ていた時期がある。
そのとき私は、どんよりとして雨ばかりの所に住んでいて、天気の悪い日は家で映画を見るのが唯一の楽しみみたいな所があった。
ああいうお店は大抵、10作品くらい纏めて借りると安くなる。そこで、一人何作品かずつ好きな作品を持ち寄って全部で10作品借り、次の週まで毎晩見るのが決まりだった。
すると当然、自分の知っている作品だけでなく、親の守備範囲の作品もそこに含まれるのであるが、おかげで私はとても素敵な作品に沢山出会えてこれたなと思っている。

一番好きなサーフィン映画は、「ブルークラッシュ」(2002)である。

ケイト・ボスワース主演で、親友役は「バイオハザード」シリーズや「ワイルドスピード」シリーズで広く知られるミシェル・ロドリゲスが務める。

舞台はハワイのオアフ島。潮の香りが画面越しに感じられる程、海とサーフボードが外せない作品に仕上がっている。
作品自体あまり長くない(確か100分ほど)のでさくっと見ることができ、爽やかで気持ちの良い作品なのでかなりおすすめ。

*****以下、ネタバレ注意*****

この作品の主人公は、将来有望とされていたサーファー。
彼女は競技中の事故でのトラウマから脱せず、大波を避けてしまう。
サーフィンを経験したことがある人は共感できるだろう緊張感が見事に描かれていて、波に乗りたいという気持ちと、波に飲まれてしまう恐怖の板挟み状態に陥っている主人公の気持ちがよく伝わってくる。

私がこの作品で特に印象に残っているのは、実は、ホテルでの仕事のシーン。
主人公は親友二人と一緒に高級リゾートホテルの客室掃除係をしているのだが、親友たちが掃除中、客の洋服を勝手に着たりと好き勝手していたのが未だに忘れられない。
シーン自体はコミカルで面白いし、彼女たちと対照的に主人公が生真面目な性格をしていることが窺えるものとなっている。
ただ、クローゼットを漁って気に入った服を着ていたハウスキーパーの姿がどうしても焼きついて離れず、私はこの作品を見て以来、ホテルでの貴重品及び私物管理を徹底させるようになった。注目ポイントが確実にずれているのは百も承知だ。

なぜ、一夏の恋なんて言葉があるのか。
夏は青空と海の色がよく似合うのに、燃え上がる太陽のイメージもまたピタリと当てはまるのか。

何事にも全力な主人公が、ただ真っ直ぐひたむきにサーフィンと向き合う姿は、心を打たれるし本当に気持ち良い。
そんな彼女だって悩みながらも少しだけ寄り道する。それでも、結局戻ってくるのは海とボードのある場所だ。
彼女の中に占めるサーフィンの存在が、一夏の何かよりずっと大きいのは確かで、一点の曇りもなく前を向いているように見えて眩しく清々しい。

ラストのサーフシーンに、その全てが詰まっている。

波の音、海の香り。ボードを抱えて砂浜を歩くシーンは、最高に夏らしい。
この映画は、夏らしいことを忘れた時に、ちゃんと夏の色を思い出させてくれるのだ。


もう一つ紹介したいのは、「ビッグ・ウェンズデー」(1978)だ。

「ダーティハリー」や「地獄の黙示録」の脚本を手がけたことで有名なジョン・ミリアスが監督を務める。
主人公の三人の男たちには、それぞれモデルとなるサーファーがいて、とりわけジャン=マイケル・ヴィンセント演じるマットは、レジェンド、ランス・カーソンがモデルである。カリフォルニアのサーファーであるランス・カーソンは、自身の名を冠するサーフボードブランドでも知られている。

この作品はサーフィン映画の中でもかなりクラシックなもので、1960年代のカリフォルニアを舞台にしている。
先ほど紹介した「ブルークラッシュ」のような爽快感よりも、哀愁の二文字の方がピタリとくる作品だ。
「男の絆」と称するべき友情がテーマで、サーフ映画であると同時に青春映画であるのだと確信させてくれる。
ベトナム戦争を挟んでいることを思えば重すぎず、比較的軽快に進んでいくが、この作品が一つの青春の終わりに向かって進んでいくことは、無視できまい。
端的に言えば、青春時代とその終わり、そして別れの物語なのである。

*****以下、ネタバレ注意*****

サーフィンが繋ぐ三人の男とその仲間たちは、水曜日にやってくる「ビッグ・ウェンズデー」という世界最大の波に挑戦をする夢を共有している。
青春時代は、どんちゃん騒ぎ。酒、パーティ、女にケンカ。
まさに青春っぽいものが詰まっていて、その華々しさが、いずれ訪れる青春の終わりをどうにか遠ざけたく思わせる。
そして、ああ、ずっとこのままで、こうしてこいつらと馬鹿やってたいなって感じることが青春なんだと教えられるのだ。

終わりは見えないが、永遠に続くことは保証されていない。そのアンバランスさこそが、青春の証なのかもしれない。

徴兵のシーンは印象的で、未だに忘れられない。
主人公の二人や他のサーフィングループのメンバーがあの手この手を使って兵役から逃れようとする中、一人は正面きって志願をし、ベトナムへと出征するのである。
戦争によって容赦無くぶち壊された青春は、それでも終わっていないのだと信じている限りは、有効であるに違いない。
彼らは楽しすぎた青春を引き摺ったまま、それぞれの道を進んでいく。

青春は、夢の中にいるみたいなものなのかもしれない。
ベトナムから帰ってきた主人公は、私の目には、まだ夢から醒めていない男の一人に映った。
彼の恋人は、別の男と結婚していた。
しかし、待っていてくれると思っていた、と裏切られた気持ちになっても、彼女にとっては3年前の彼の出兵こそが裏切りだったに違いない。報復のつもりでなくても、このすれ違いは決して優しいものではない。
取り残されたような喪失感は、青春が終わったことの何よりの証拠。苦しくて後味の悪いものでもあった。

それぞれが別の生活を始めれば、それはもう青春が終わりを告げたことに他ならない。
ある者は戦死し、ある者は結婚する。そうしてばらばらになって初めて、青春の終わりを自覚することになるのだ。

じゃあ、胸の中に燻る青春の名残はどうしたらいいのだろう。
もう誰もあの時のことを心に留めていないのか。青春だった、とあの時を昔呼ばわりして、過去の産物にしてしまったのか。

ビッグ・ウェンズデーがやってきた時、主人公の三人もまた、当たり前のように集まった。
戦争によって分断され、それぞれの生活があってもまた再び集まってこれたのは、彼らがサーフィンによって結び付けられた仲間であったから。そして、青春時代、共に思い描いた夢がそれぞれの心の奥底にちゃんとしまわれていたからなのだと実感させられる。

ただ、それは青春の継続に対する意思表示ではない。むしろ、青春とおさらばするために、彼らは集まったのだ。

画面いっぱいの巨大な波が、人生そのものに見えてくる。
初めてこの作品を見た時は大きい波だなぁくらいにしか思っていなかったのに、面白いことに、ビッグ・ウェンズデーが決して平坦な訳がない人生の縮図のようにさえ感じられて、ちょっと驚いた。私も大人になったってことかな、なんて。

仲間と再会してビッグ・ウェンズデーに挑む。
そこにあるのはかつての青春で、それがなんだか切なく虚しい。
だが、大人はいつまでも青春に浸っていられる訳ではない。
大人になってからそこに身を浸そうとしても、それは青春の追体験に過ぎない。
青春には必ず、ちくりとした胸の痛みと共に訪れる終わりがあるのだから。

日焼けした波乗りの背中が、青春そのものだった。彼らの生き様を見ると、なんだかこちらもサーフボードを抱えたくなる。

青春は暑苦しい印象があるのに、主人公がサーファーだからか勝手に涼しく感じて心地よい。青春の終わりが夏の終わりに重なって、そういう意味でもなんだか少し涼しげだ。


私の主観がたっぷりの紹介になったが、おすすめのサーフィン映画なので、夏が終わってしまう前にぜひ見てみて欲しい。
この記事を書きながら私自身、夏を感じ、そして今夏の香りを全身に浴びたくなったので、爽やかな夏を享受するのに「ブルークラッシュ」と「ビッグ・ウェンズデー」は効果覿面だと思う。

ああ、海に行きたい。水着になってサンオイルを塗りたくりたくなったじゃないか。
ああ、波に乗りたい。ザ・ビーチ・ボーイズでも聴こうかな。



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