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パリ滞在記


以前に、パリの郊外にアパートを借りて滞在したことがある。
と言っても、2ヶ月ほどの期間。
家賃が安いことから、ラデファンスという駅を選んだ。
駅前は新凱旋門と高層ビルが立ち並ぶオフィス街。坂の下に閑静な住宅街が広がっている。
パリというにはあまりにも近代的で、埃っぽくない町だった。


季節は春だというのに、夏のような日差しが沈んでいくのは21時を過ぎたころで、
木々の青々とした香りが身体中にまとわりついていた。
私は毎朝スーパーへ買い物に行くことを日課にした。
寝ぼけた顔で歩いていると、通りすがりの見知らぬ人に「ボンジュール!」と声をかけられる。
通勤を急ぐ人たちは「パルドン」と言いながら急ぎ足で私を抜かしていく。
スーパーで会計を済ませると、いつもの黒人の女の子が「オウボアール」と言う。
発音が怪しくて私はハニカんで店を出た。
ついでに角のパン屋さんで焼きたてのパンを買って帰る。そんな当たり前のことが、とても楽しかった。


しばらくして私はボアシーにあるシネマテークに通いはじめた。
当時、シネマテークではミケランジェロ=アントニオーニ監督特集の真っ最中。
平日の夜、60年代の映画上映に大きな劇場が満員になる。立ち見がでる日もあった。
開場を待つ老夫婦でシアタールームの前に列ができる。
お仕事帰りの紳士たちがポツポツと、空いた席を埋めていく。
10代らしき若い子は上映時刻ギリギリでなだれ込んだ。
老若男女が同じものを見て、泣いたり笑ったりしている。言葉にすると少し大げさ。
でもそれは当たり前に続いている彼らの日常のように思えた。


私などイタリア映画をフランス語字幕で見るという、荒技。
けれど言葉をなくした時、自分の感覚がいつもより少しだけ敏感になることがわかる。
重ねられるカットは絵画を見ているようで、飽きることはなかった。

こうしてたっぷり映画を堪能すると時計の針はゆうに23時を過ぎた。
メトロを2回乗り継ぎ、終点で降りる。
乗り換えをするどこかの駅で、金管楽器が陽気に響くと、まだまだ遊んでいたい気持ちになった。

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