3.無重力より - 代替日本

数年前まで、覚香はWEB開発の会社に勤め、ウェブサイトのデザインをやっていた。

入社当時は、長時間労働の疲労より、仕事への好奇心が勝っていた。ウェブサイトに求められることは案件ごとに違う。クライアントの要望、目的、ターゲットユーザー、トレンド……。それらの条件から、最適解のデザインを探りあてる。ある程度のセオリーはあっても、その工程は毎回違う。覚香はその新鮮で刺激的な仕事に没頭した。

少人数でチームが組まれることもあり、任される仕事の範囲も大きかった。その裁量の大きさにもやりがいを感じていた。

終電で帰ることもしばしばだった。男性社員のように徹夜を求められることはなかったが(その頃はまだ、男女の差や、泊まり込みも認められる社会的風潮だったせいもあり)、それでも他業界の知り合いが呆れるほど働いていた。

遅くまで営業しているスーパーやコンビニで食料を調達し、テレビを見ながらそれを喉に流し込み、気がつけば化粧を落とすこともなくソファの上で眠りこけ、早朝4時にあわててシャワーを浴びる。そんなこともしばしばだった。

無理のない時間配分や、効率的な体力の割り振りといった発想は、その頃の覚香の中にはなかった。気持ちの赴くまま作業に没頭していた。気持ちさえあれば、それがいつまでも続けられると思っていた。

ある日突然、何がか覚香の中でぷつんと切れた。

今回のこの仕事、あの時のあのクライアントのと似てるな。油断すると迷走するパターンだ。最初にバシッと説得力のあるラフデザインを出しておかないと、後から何度も修正を要求され、グダグダになる。いや、どんなデザインを出してもグダグダになるパターンだ。クライアントはワンマン経営と噂の小さな会社だ。たぶん最終決定権者は社長だろう。そういう場合はいくら窓口である担当者に確認や承認を取っても、最後の最後で覆されることがほとんどと言っていい。そういったリスクを先回りして、相手の要望や好みも押さえつつ、ちゃんと目的にかなったものにしなければ……。

頭ではそう考えても、覚香の中からは何も出てこなかった。参考となりそうなウェブサイトを見たり、近くの本屋に行って印刷物のデザインを眺めても、目が滑るばかりだった。

気力さえあればアイデアなんていくらでもひねり出せる。そう思っていた。意識の底の、無限であるはずの泉。しかし気力と好奇心は涸れ果てていた。

ほどなく覚香は会社を辞めた。一刻もそこにいることに耐えられなかった。

多くの人は、仕事への興味を失っても自分をごまかし、そこに留まる。ときには仕事をやっているフリをするタイプの人もいる。定時になった途端、ここからが本当の人生だと言わんばかりに会社を飛び出し羽根を伸ばす。そして昼間押し殺していた自分を取り戻す。

気力や体力が尽きてしまわないよう、上手くペース配分できる人もいる。モチベーションというものに頼り過ぎず、時にはうまく割り切り、しかし適度な情熱をもって、プライベートと仕事、どちらもスムーズに、流れるように、するするとこなしていく。仕事が好きとか嫌いとか、そういったものを超えたところに、彼らは意識を置いているようであった。自分から最も遠いタイプの、優秀な人たち。覚香には眩しく見えた。

ともあれ、そんな器用さがあれば、安定した収入を得続けることができる。しかし覚香にはできなかった。興味のない仕事をやり続けるなんて耐えられなかったし、今までのように生み出すことができないのにそこにい続け、会社の荷物とみなされることは耐えられなかった。

安定した生活のために適度な妥協をし、ある種のあきらめをつけられる人たちを、覚香は不思議に思った。彼らのイージーに見える一面だけを見て、羨ましく思うこともあった。

その一方で、同じ組織の中に、一身に責任を負い、働き続ける人もいる。自分が目の前の仕事に興味があるのか、モチベーションがあるのか、問う暇さえなく彼らは働き続ける。

本来それは、自分を雇った経営陣や、今頃羽根を伸ばしている同僚たちと分担されるべき責任である。しかしそうはならない。クライアントへの責任だけでなく、数多く仕事をこなせばこなすほど、自分が携わった仕事への責任も積み上がる。それが専門性の高い仕事であればあるほど、ひとりで抱え込む羽目になる。(その一人に、歩もいたわけなのだが。)

そんなとき組織は、脱属人化とか、ブラックボックスの解消を目標として掲げ、なるべく均等に分担されるように図るが、そう簡単にはいかない。日進月歩のこの世界で、全く同じスキルの人員を確保するのは難しいし、そもそもコスト削減との名目で余剰人員は削られている。

かと言って、終業時間までただ時間をつぶしている社員を辞めさせることはできない。彼らは労働基準法について熟知し、自分の権利を主張することに長けている。それは決して悪いことではない。仕事が嫌いでも、やりがいを感じなくても、人は生きていかなくてはならないし、一度得たものをわざわざ自分から捨てるようなことをする必要などない。働くことが嫌いだろうが、不得意だろうが、自分が得たカードを最大限利用し、権利を行使すること。それはこの社会を生きる胆力とも言える。

しかしそんな椅子の数は限られている。ある程度の余裕のある企業の中に、いくつか存在する椅子。そこに運良く座ることのできたものは、会社への不満を日々口にしながらも、その座を明け渡すことはない。

その椅子に座ることのできなかった多くの者は、日々自分と社会の間の不条理を目撃しつつ、その心の中に虚しさを蓄えながら、先の見えない労働に追い立てられる。

脱属人化も脱ブラックボックスも(それが本当に必要かは別として)、生産量に対する公平な賃金も実現しないまま、多くの企業が空転する。そんなシステムがいつの間にか出来上がっていた。

一つの社会、一つの企業の中に、分断があった。能力があり責任を背負うものは、対岸の彼らを見下し、足手まといと疎む。疎む暇さえないほど働く者もいる。一方の彼らは、労働量や責任に見合わない賃金で働き続ける相手を社畜と呼び嘲笑する。

それで済めばまだましだが、ときに責任の下敷きとなって働き続け、心身を病むもの、死に至るものまで生み出す。そんなシステムを修正する余地もなく、世界はチェーンが外れた自転車のように手応えなく回り続ける。

覚香はその世界のどこにも組みできなかった。そのような不条理を嫌っているからというのもあるが、もっと根本的も理由があった。それは覚香が抱える“さが”にあった。

安定のために妥協する器用さもなく、多くの責任を負えるほどの能力や器もない。自分の立場を守るためだろうが、責任を果たすためだろうが、どちらにせよ彼らは、自分の衝動をコントロールし、社会に組する。何かのために自分に抗うという機能が、覚香には欠落しているようだった。

衝動的に会社を辞めた後、初めこそそのような社会システムの不条理や非合理、自分という人間の性分について考えもしたが、それもそのうち飽きた。その後は少しの貯蓄と失業給付をあてに一日中ぼーっと過ごしていた。
ソファやベットに寝転がり、窓の外を流れる雲を眺めてじっとしている。何かを考えていた気もするが、今となっては何を考えていたのか思い出すこともない。何も考えていなかったのかもしれない。

時々、適当な思いつきで料理を作って食べた。それは料理投稿サイトでよく目にする、誰にも再現されることのないアレンジ料理の類だった。例えば、野菜を豆腐とヨーグルトで和えてパスタに絡めてみたり、どこかで見たレシピを参考に、じゃがいもをマッシュしてサモサを作ってみたり、気まぐれな食欲と好奇心の赴くままに作って食べた。

気晴らしに自転車で商店街まで行き、雑貨屋に入って文具やインテリア小物を眺めたり、ただ人の行き交う商店街の光景そのものを楽しんだ。金がないので、買えるものはほとんどなかった。
商店街の端に、少し高級そうなパン屋があった。小麦粉や酵母にこだわっているらしく、その職人的な思想を体現したような重厚な店構えであった。ラズベリーなどのドライフルーツとナッツ、またはクリームチーズと黒豆が練り込まれた固いパンが覚香のお気に入りだった。ときどきそれを1、2個買うのが覚香の精一杯の贅沢だった。

親元も離れ、会社も辞めた。その頃はまだ、SNSにも手を出していなかった。完全に社会から切り離され、ひとりの世界を生きていた。

たくさんの人が行き交い、賑わう商店街。会話を交わすこともない見ず知らずの人たち。それが覚香の心を温めた。会おうと思えば会える人間も数人いるが、顔見知りに会うのはおっくうだった。

人恋しくないわけではない。このままでいけば、完全に社会の輪の外で孤立してしまう。人並みに恋を味わうこともないだろう。人づてでないと得られないような有用な情報を得ることも難しい。だから無理してでも、人に会って繋りを保たなくてはいけない。興味の持てない話題にもワントーン高い声でリアクションし、なんの価値があるのだという退屈な時間を過ごさなくてはならない。新しくできた店にも、百貨店の化粧品にも、話題の映画やドラマにも、全く興味が持てない。それでも。

興味が持てることといえば、あのカルト教団に、法の壁を軽々越えさせ、テロや殺人を犯させた集団心理とはどのようなものだろうかとか、そういった類のことだった。

他人の心や、自分という存在。それらを司る原理。そういったものに関心があった。
自分以外の人間がよくわからないし、自分という存在がなぜこうも一般的でないのかもわからない。それゆえその謎に惹かれるのだ。

部屋に戻り、フランクザッパの Peaches en regalia を聴き、ぼんやりと過ごす。
夜になれば、インターネットをあてもなくさまよう。そういえば、少し前までは美しいウェブデザインやアニメーションも興味の対象だった。しかし今は、凝ったデザインのウェブサイトを見ることは苦痛でしかなかった。それよりも、インターネットの片隅の吹き溜まりの生温かさを求めていた。

そこには、得体のしれない情念が渦巻いていた。報われない想い、怨み、悪意、嘲笑の向こうに垣間見える悲しみ、焦り……。それらは、インターネット以前には直接触れる機会の少ないものだった。それらを見せつけられ、覆われた皮膚の下に存在する細胞組織や内臓を見せつけられているような恐怖や嫌悪を伴うこともしばしばあった。あまりにも人間的に過ぎる。生々しくウェットなもの、それは映画であれ本であれ、今までも覚香が苦手としていたものだった。しかしその情念の、報われなさ、届かなさには、共感するものがあった。そこには映画や小説の中で美化された感傷を通り越した本物らしさがあった。

そしてそれまで、「人並み」とされてきたもの以外のものがそこにあった。言ってはいけないはずのこと。テレビや雑誌がトレンドとして取り上げるものと真逆のもの。「こうあるべき」から溢れた無数の概念。そこはカオスであり、自由だった。リアルでは仮面の下に隠されて直接見ることのない本当の数々。

画面を見るのに疲れた覚香は、パンをかじり、音楽に身を委ねながら、今度はリアルに思いを馳せた。

人々で賑わう遠くの夜の街を思った。オレンジの光の下で、酒を酌み交わし、笑いあう人たち。テレビを着ければ、芸能人たちが空騒ぎしていた。

自分はどの世界にも組することができない。すべての輪の外にいた。

遠く外から輪の中を眺め、中心でキラキラ輝く光に憧れた。いつか私もあの光に触れたい。同時に、自分を拒むその輪を見下しもした。

キラキラ光る輪の中心は、その周りに不条理を侍らせている。そのもっと外側には闇の断絶がある。中心が輝けば輝くほど、闇は深く、生温かい。

無重力空間に漂いながら、ときにそれを俯瞰し、ときに憧れ、ときに闇へ吸い寄せられた。そしてまた俯瞰する。

自分が人並みでないことは、ずっと無意識的に知っていたかもしれない。だけどそこには目を伏せ、傷つかないようにしてきた。自分を直視しないために、輪の部外者となり、俯瞰することを選んだのかもしれない。

でもそれでは、自分の物語は止まったままになることを覚香は知っていた。

物語を進める理由。しばらく見て見ぬふりをしていたもの。そろそろそれに手をつけなければならない。覚香はそう直感した。

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