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第10話 [シオ]悪の創造主/フウのゆりかご - 禍後の楽園から

「気をつけろよシオ。そいつには時間の観念がない」

忠告するならもっと早くするべきだった。外はすでに白んでいた。

「何が“私が世界を壊したの”、だ。自分が破壊のヒロインか何かだと勘違いしてるんじゃないか?昔から自意識過剰なんだ、おま、いや、キミは」

「うふふ。だってそうじゃない?」

サタさんはそう言いながらテーブルの上を片付け、カップとティーポットを奥へさげた。

「たとえサタの言う通りでも、世界の破滅を望んだのはあいつだけじゃない。2020年のあの時代、たくさんの人間が、不自由な社会の破壊を心のどこかで望んでいた。“無敵の人”と呼ばれた人たちは無差別に事件を起こし、社会と刺し違えることを望んだ。そんな時代だった」

カショウはなぜそんな補足をしたのだろう。サタさんが、自分だけにフォーカスして話すことに不満を感じたのだろうか。そのときはそう思った。

ずっと後になって、彼はサタさんが世界の人々を殺したことにしたくなかったんだと、そう気づいた。サタさんだけを悪(つまりSARS-CoV-2)の創造主にしたくなかった。彼女だけにその責任を負わせたくなかったのだ。

満員電車、過剰な労働とそれによる死、形骸的なコミュニケーション、閉鎖的な教育現場……。2020のあの時代、プレコロナの数十年、人々は疲弊していた。格差社会と言われる国も多くあったと、僕も何かの文献で読んだ。

もしサタさんの言うような理屈でSARS-CoV-2が生まれたのなら、それはこの社会を構成する多くの人々、あるいはその想念による共同作業だったはずだ。

だけどサタさんは、私が世界を壊したと言った。そこには彼女の自負のようなものが感じられた。

「フウさんは幸せですね。そこまで望まれて生まれてきて」

カショウはほんの少し笑った。フウさんとは、カショウとサタさんの娘さんの名前だ。

サタさんがいつか生まれてくる子のためにしつらえたゆりかご。幸運にも僕たちは、その恩恵にあずかっているのかもしれない。

サタさんが奥から戻ってきた。入れ直したお茶を持って。

「ねえシオ、あなたお母さんに会いに行くんでしょう?もう何年も会ってないの?」

「母は僕が2歳のとき、街を出ていきました」

カショウの表情が硬くなった。この話をすると、たいていの場合、場の空気が不自然になる。今回もそうだろうと予想した。その予想は裏切られた。

「あらまあそうなの~。それは大変だったわねぇ」

サタさんはさっきまでとまったく、一ミリもブレなく、同じ調子で相づちを打った。

「それで?お父さんと暮らしてたの?まあ今は子育てしやすくなったとはいえ、それでもねぇ」

新しいカップにお茶を注いで、サタさんはそれを差し出した。

サタさんの言うように、昔ほど子育ては大変ではない。緩やかなこの社会では、みんな時間があるし、通学もPTAもないかわりに、街のみんなが子どもの世話を手伝ってくれたりする。僕も、父や実の祖父母だけじゃなく、いろんな大人にかわいがってもらった。

「やっぱり、直接会って聞いてみたいこととかあるのよね?」

サタさんは、僕の心を勝手に断定することのないように、微妙なトーンでそう言った。

「それが、自分でもよくわからないんです」

僕は黙り込んで、自分の心の中を探った。サタさんはその作業が終わるのを根気強く待った。だけど何も見つからなかった。

「あの街を出たい気持ちだけは確かなんです。違う世界を見てみたいって」

サタさんは微笑んで頷いた。

この世界では、自分の街を出ようと考える若者はほとんどいない。すでに満ち足りているから、外に何かを求める必要がない。遠くに行かなくても、ほとんどのことはオンラインで事足りてしまうし。

「母に会って、何を話すのか。まだよくわかりません。でも、あの街へ行くことは、僕の中で決まってる気がします」

サタさんは微笑んだまま、カショウを見た。カショウは一瞬サタさんと目を合わせた後、手のひらの中のあたたかいカップを、親指でなでたり見つめたりしていた。

「まあすっかり夜更かししちゃったわ」

サタさんは窓の外を見て、慌てたようにそう言った。

「夜更かしって。もう朝だ。本当にキミは時間の観念が壊れてる。よくまあ何十年も連れ添ったもんだ。自分を褒めてやりたい」

「このまま朝ごはん食べる?それともちょっと寝る?」

「オレの言うこと、ちっとも聞いてねえ」

僕はカショウとサタさんの、このやり取りが好きだ。でもいつまでもここにいるわけにはいかない。なんとかカショウからあのことについて聞き出さなければ。

そんなことを考えている間に、カショウは寝室へ消えていった。奥からはサタさんが食器を洗う音が聞こえる。仕方がないので僕も眠ることにした。

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