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価値に対する理解は共有するタイミングに影響する

IB教員としてもうすぐ3年になる。
IBとはInternational Baccalaureate(国際バカロレア)の略称で、日本でも少しずつ増えてきている。
私は小学校教諭(PYP:Primary Years Program)として働いている。

通常の日本の公教育とは様々な面で違いはあるものの教育の根本は同じだな~と感じている。ただ、本当に感心させられるのは軸がしっかりとしていること。何が目的で、どう進むのか、そして教員としての裁量が試されること、指導方法や学び方の振れ幅が大きいのも魅力である。

現在日本の学校でいう小学5年生の担任をしていて、私の学校では、PYP最高学年。これまでの学びの発表の場(PYPエキシビション)が迫ってきている。子供たちは中心的アイデアから個人テーマを広げ、探究していく。
私は今月末から始まるこの探究のスケジュールをせっせと組んでいる。子供たちが最高の学びができるように足場を固めている。

先日、価値の話をした。
私は、今の今まで言うのを我慢しながらこのタイミングがくるのを狙ってた。「それはなぜだと思う?」私の思い全てをぶつける。この内容を4月に言うことも出来たし、夏休み後の2学期に言うこともできた。でもそれをしなかったのは、子供たちが私と同じくらい価値あるものとして捉えてほしかったから。だからこそ、ここぞというタイミングを狙って話している。

子供たちも納得の様子。
4月に聞いても、今ほど理解はなかった。理解がないということは、軽率に扱ってしまう。そのため、何度も同じことを私が言うとなるとそれもまた違う。本来あった価値が何度も言うことにより下がってしまう。子供たちが「またあの話~??(やだな~)」なんて捉えたら、せっかくの話も台無しになる。
でも、このタイミングで話してはいるものの、どのように子供たちが捉えているのかは定かではない。そのことを念頭に私は進めていかなければならない。

「価値に対する理解は共有するタイミングに影響する」

やっぱり、先生だよね~。
そうやって考えていると思った~という子供たちからの言葉。嬉しいな。
これは私の性格なんだろうな、無駄なことはしたくない。1発で射止める。そのためにはタイミングをはかる。

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