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 五日遅れでカレンダーを捲った。
 コルビジェの抽象画が現れたが、残りの二五日でこの絵画の意図を理解できるかは定かではない。ただ、少なからず言えることは、私の部屋にずっと飾ってある二枚のノーマンロックウェルの絵とはあまりにも不釣り合いなことと、どうしてこの絵が三月なのかが分からないということだった。
 原色の交わらない直線的な画面は、危険に見えそうで絶妙なバランスで安定を保っていたし、実際のところは本当に危険を含んでいるかもしれなかった。それは現在の私の心境と似ているようにも感じられた。

 三月に入ってからというもの、引き篭もりみたいな生活が続いていた。私の周りはみんな卒業旅行に忙しそうなのに、どうもどこにも行く気になれなかった。それは多数派に染まりたくないという私の性質からというより、単純に日常生活における休養の波のようなものであって、行くべき場所ややるべきことがあったとて私のなかでの慣習的に、なにもしない以外の選択肢を取れなかった。ただそれが三月に来たというだけだ。いまの私ができることは、韓国やタイに旅行することでも、マティスの絵画を観に行くことでも、木々にメジロやヒヨドリを見つけることでもなく、照明を落とした部屋で一人無駄な思考を巡らせることだった。

 やっぱり私はどうしても幸福な人間だとは思えない。表面上ではうまくやっているように見えても、精神的な部分で私はいつも不安定で何かを求めていた。誰も見ていないところでは不完全な人間でありながら、外面では限りなく完璧主義者であり続けた。その乖離があまりにも悲痛で、自分自身でも痛みを処理しきれずに、私はいつもベッドの上でのたうち回って私なりの絶望を見て沈んでいた。
 環境的にいえばきっと恵まれているのは明らかだったけど、潜在的なレベルでの精神面でいえば圧倒的に不幸だった。変な話だけどたとえば、なんとなく自分なら太宰の苦悩を分かる気がしたし、春樹の主人公に共感ができる側の人だと勝手に思っていた。
 幸福感は他人と比較してはかれない。私の周りはわたしのことをニヒリズムを演じているだけだと言うだろうけど、事実として私は不幸なんだ。でも、その理由を人にはうまく打ち明けられない。それもまた苦しいんだ。


 大学に在学した四年間で私という存在を自分なりに理解できると思っていた。同時にその私を承認してくれる人が現れるとも思っていた。うまく説明できないけれど、要するにわたしの感性は他者からの圧倒的な価値観に出会って、新しい世界に導かれることを期待していた。小学生のときに「アルルの寝室」を観たときの、感動を超越した啓示と呼べるべき出会いみたいな。
 そのためのモラトリアムではなかったのか?
 でも結局のところ、私たちはずっと表面上の関わりで、私たちが内に秘めている本当の精神性とか価値観を開示し合ったことはなかった。それが良いとか悪いとか言及するつもりではなく、ただ事実としてそうだった。
 その場の享楽が先行された組織的な(いや個人的でもそうだったか)付き合いが全てだった。私はもっと潜在的な価値観を開示をしていくなかで新たな世界観を享受し合って、みんなの本性に出会ってみたかった。それは居酒屋で異性について話すことよりも私にとっては重要かつ関心なトピックだった。
 ふりかえって私は「文弱で異質な人」だったのか?間違ってないけど、そこから享受したいろいろな知識や価値観を伝えたかった。知ってほしかった。逆に私とは全く違う人生を歩んできたみんなの価値観も知りたかった。教えてほしかった。
 そしてもっと言えば、その中から新たな世界に導いてくれるような人と恋がしたかった。単調で瞬間的じゃなくて吸引力のある恋だ。

僕が強く引きつけられるのは、数量化・一般化できる外面的な美しさではなく、その奥の方にあるもっと絶対的な何かなのだ。僕は、ある種の人々が大雨や地震や大停電をひそかに愛好するように、異性が僕に対して発するそのような強くひそやかな何かを好むのだ。その何かを、ここでは仮に<吸引力>と呼ぶことにしよう。好むと好まざるにかかわらず、否応なしに人を引き寄せ、吸い込む力だ。

村上春樹『国境の南、太陽の西』


 ともかく、わたしはそんな半ばカウンターというか反動で一年くらい前からネットに文章を投稿するようになった。私の感性を全く関わりのない不特定多数に開示した。もちろん駄文なんだけれど。

 でも何にせよ、私の所属はずっと私のなかに在り続けたのだと思う。私は何者だったのだろう。何を得たのだろうか。
 そんなことを考えながら、梅が散り桜が咲く前の微妙な季節に私は大学を卒業した。




おわり
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ちょっと文章のテイストを変えて遊んでみました。
あまりポジティブな内容じゃなくてごめんなさい。ちゃんと大学4年間たのしかったです(ほんとに)。


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