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普遍への導き23/24


2023年の振り返りと2024年の展望。筆が遅くて2月になってしまった。
(文章中の「今年」というのは章の西暦に対応します。)

2023

年の瀬にクラシックが聴きたくなるのは、年末年始に掛けてテレビでクラシック音楽の放送が多いためだろう。大晦日はN響の第九、年越しはジルヴェスター、元日にはウィーンフィルのニューイヤーコンサートが放送され、それらを観ることが毎年恒例だ。私の中で年末年始はクラシックのイメージなのだ。
12月の末、サブスクリプションで2021年のウィーンフィルニューイヤーを聴いていた。2021年は無観客で行われたため、もちろん歓声もなければ拍手すら録音されていない。脚色を嫌うリッカルド・ムーティの指揮とは思えないほどスローテンポの『春の声』に無観客の楽友協会を思い返すと、ひどく不気味な空気を醸し出している。伝統とも言うべきアンコール曲、『ラデツキー行進曲』での手拍子も聞くことができない、何とも悲しいニューイヤーコンサートだったと回想する。
脈絡もなく何故ここまで2年前の出来事を記すかというと、私たちは3年間にわたっていわば虚像の文化活動を行っていた訳で、2023年はその活動を打破した年だと述べたいためである。「虚像の文化活動」というのは言うまでもなくコロナによるものだ。確かにコロナ禍でも文化活動は行われていた。実際、多様な絵画の企画展が開催されたし、またコロナを題材にした楽曲や書籍なども生まれたはずである。しかしながら文化(特に文芸、芸術)というのは、生身の人間を介さないと本領発揮しないだろう。それを顕著に示すのがウィーンフィルのニューイヤーであって、歓声のないコンサートなど果たしてコンサートと呼べるのだろうか。無観客の空気感に負けないようムーティはわざとスローで溜めをつくるような指揮をしていたと考えれば、非常に皮肉で虚像的な音である。2022年のニューイヤーでは観客が戻ったものの歓声はなく、本来の”コンサート”の姿を取り戻したのは2023年になってからだろう。
美術に関して言えば、コロナ禍で大抵の美術館は当日券を販売していなかった。ガラガラの企画展を廻るというのはやはり「虚像の文化活動」と言わざるを得ない。作品を鑑賞しやすかったのは間違いない。それでも人混みのなかで絵画を鑑賞するのが企画展の定番だし、世界各地から運ばれてきた絵画を大勢の人に観られないというのは悲しい話である。今年になり、ようやく2019年来の美術館の姿に戻ってきた。閑散とした公園口をもう見たくはない。
要するに、私を取り巻く文化活動は2023年を皮切りに虚像から本来の形を取り戻して、それを素直に歓びたいという1年だった。私たちは紛れもなくコロナに打ち勝った。文化活動がそのことを明確に示してくれた。虚像を打開した場面を当事者として目撃しただけで今年を生きた価値があったのではないだろうか。
文化事業に限らず、スポーツも変わったよね。

コロナに打ち勝った世界で私は美術館にたくさん足を運んだ1年で、十の企画展に行った。総括して感想を述べるならば、作品の価値は画力ではなく世界観の獲得であるということだ。画家たちは自身の世界観のなかで、自信をもって生き生きと絵を描いていた。
振り返ると、企画展に訪れたのは美術が好きという理由だけではなかったかもしれない。画家単体の企画展(今年だとシーレ展,マティス展,モネ展とか)は作品が制作の時系列に展示されるので、その画家の(大抵の場合決して順風満帆ではない)生涯を知ることができる。そこから各々にさまざまな生き様があり、人生に不正解などないのだと教えてくれる。画家単体の企画展というのは、芸術鑑賞の枠を超えてヒューマンドラマ的な要素が強いと思う。私は美術が好きなだけでなく、自身の人生の受容と精神の開放のために美術館に行くという理由もあったのだろう。(そう思うと美術館に行きたくなるでしょ圧)
小学時代から多くの絵画を鑑賞してきたつもりだ。これまでずっと鑑賞しているときの感情は、本物の絵画を生で観られたという純粋な感動と、自分もこんな風に上手に絵が描きたいという羨望だった。私も一応絵を描くので、創作意欲の部分に触発されることが大きかった。だが今年になって、創作意欲よりも画家の生き様に対して訴求されていることに気づいたのだ。
私は決して卓越してないが絵が描ける人だったのに、それが今では描くモチベーションは失せ、作品をヒューマンドラマとして受動するだけの人になっていた。今年、多くの企画展に訪れても創作する側の視点になれず、私の中からだんだんと絵の才能が消えていくようだった。
そういえば今年は絵を描いただろうか。5月に描き始めた8号の海景画は未完成のままイーゼルに挟まっている。とうとうまともに一枚も絵を描き上げずに1年が終わろうとしている。時間なんて腐るほどあったのに、なぜか絵を描く気にはなれなかった。
ここで私はもう絵を描くことは趣味ではないのだと悟った。
一時は美術系の進路を真面目に考えたこともあったのに、結局はいわゆる一般的な進路を選択し続けて今に至る。だが未練があるというよりも、歳を重ねるにつれて、実は敷かれたレールの上を歩きたいという自分の潜在的な性分も知る。社会に放たれる前の22歳という歳に、才能が薄れて”普遍”への導きがあったのは、ある意味予定されていた宿命なのかもしれない。
そして私は就活で普遍の生活を決定づけることになった。

2023年に行った企画展のパンフレットたち


2023年は就活の年でもあった。想像以上に順調に、早く、納得する形で終わった。もはやあっけなくと言ってもいいかもしれない。3月には就活を終わらせたので、そういえば今年の出来事かというレベルだ。
何にせよ運が良かったのだと思う。第一志望の会社から早期で内定を戴き、選考中の企業とか全て蹴って就活を終わらせてしまった。ここまで潔く内定を承諾できた理由は、正直に言ってその第一志望の内定先が有名な会社だからだろう。もちろん自分の適性も見極めたけど、私の中では仕事のやり甲斐とかよりも、働いている環境というかイメージのほうが大事だった。
やり甲斐を求めるならば、創作活動を生かせる広告業界とか良かったかもしれない。しかし固定残業が多かったり、ネームバリューが無かったり(失礼)で結局、広告業界は全て選考の途中で蹴ってしまった。
つまり、私は世間体を軸とする普遍的な生活を願望していた。知名度のある会社で、ホワイト的に、首都圏での営業という姿があまりにも鮮明なビジョンだった。それを実現できるのが内定先であって、そこには業界研究やらの思考が入る一切の隙間も無かったのだ。
もっとオブラートに包まない言い方をすれば、中産階級的な生活を望んでいた。標準的で中庸で安定した生活というのは、実は難易度が高くて何にも標準的ではなく、高水準な生活ということを22年生きて自分なりに理解していた。ここまで安定を望むのは、生まれ育った境遇レベルを維持したい(育ててくれた親の期待に応える責務がある)という何とも保守的な理由もある。私の価値観はつくづく排他的で独善的な気もするし、無理やり良く言えば真面目な気もしてくる。
キャリア形成の基盤となるであろう4年間のモラトリアムで、目立ちたがりなクリエイター指向の人間から、世間体を優先する保守的な人間に変わっていた。敷かれたレールの上を歩き、無駄な不安に苦しめられたくない。私の潜在的な価値観はやはり普遍へと導かれていた。


2024

北陸の地震を知ったのは、初詣の帰りだった。帰宅後、テレビの映像に動揺するばかりだった。当然、NHKはウィーンフィルニューイヤーコンサートを中継する余裕などない。というか仮に中継されても観る気も起きない。オーストリアで華やかに演奏されている音楽を享受するバイタリティなど日本には無かった。
2023年は虚像の文化活動を打開した年なんて言ったが、何かを皮切りに打開だなど安直に言えるものではなく、文化に限らず人間の活動はいとも簡単に崩壊する危険をはらんでいた。自身が獲得した生活やポジションも、抗えない外的要因でいつ崩壊するかは分からない。これほど切望している普遍的な人生も、一瞬にして終わってしまう可能性があるのだ。今年に入ってから不穏なニュースが続き、私たちはあまりにも脆弱な生活のなかで生きなければならないことを再認識した。現状維持に固執しすぎの臆病な観念だけど、私の将来に逆らえない不幸が降りかからないことを願うばかりである。それと同時に現状が恵まれていることを認識しなければならない。安定ってなんだろうね。

年末に投稿しようと思ってたのに遅れに遅れ、年を越し2月になっていた。あっという間なもので、人生の夏休みとか言われる期間は2ヶ月を切った。
今更、今年の目標を掲げるのも変だが、2024年は一所懸命に努めたい。一生懸命ではなく、一所懸命。鎌倉時代の武士たちが一所の領地を命がけで守ったことが由来の一所懸命(転じて一生懸命)。社会人一年目になる私が会社という一所に懸命でなくてどうするのか。理想とする将来の生活像を獲得する権利を手に入れたのだから、懸命にそれを死守しなければならない。そう思うと中世の武士たちの一所懸命と意味合いは似ている気がする。
ひたすら無気力で暇をしていた大学4年次だったが、潜在的なところで坦々と普遍というプレデスティネーション(かっこつけすぎ)が形成されていた。


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去年の1月からnoteを継続するようになって、本当の私の内面を知るこができました。言語化って大事だね。ウィーンフィルの『美しき青きドナウ』から始まったnoteの投稿も、今年は地震という予想外の不幸でドナウのことは書くことができません。世の中何があるか分からないけど、どうにか強く生きたいものです。
かなり遅くなりましたが、本年もよろしくお願いいたします。



おわり
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帝都スナップそろそろ更新します。。

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