八咫烏シリーズ『烏の緑羽』感想 大人になる物語

今日『烏の緑羽』を読了したので、まだ読んですぐの興奮が残ってるうちにその感想を残したいと思います。
前回は『烏の緑羽』の感想を書くつもりが『追憶の烏』の話ばっかりになってしまったので、今度こそ『烏の緑羽』の話をします。

前回、『追憶の烏』で「おもしれー!」となったと長々語りましたが、
↓コレです

続巻である『烏の緑羽』はその続きのストーリーではなくシリーズ序盤から登場していた重要人物の一人、若宮(即位しているのでもう若宮ではないが、馴染みがあるのでこう呼んでしまう)の兄、明鏡院長束の陣営の話です。

ぶっちゃけこっちはもう山内がどうなるのか紫苑の宮と雪哉のことで頭がいっぱいで、これからのストーリー展開が気になって気になって仕方ない訳です。
なので前巻の続きのストーリーじゃないと知って正直ちょっとがっかりしました。

でも、考えてみると確かに長束って序盤から出てきてるわりにいまいちよく分からないかも?と思いました。その配下の路近は言わずもがな。
前の日嗣の御子であり、真の金烏・奈月彦の兄である長束。弟の味方で、宗家としての誇り高き威厳のある美丈夫……とそのくらい。そのわりにはあんまり頼りになるイメージでもない。
配下の路近に至ってはヤベー奴という印象しかない。南橘という南家系列の名家の出で何故か長束に従っている。
雪哉と対立して行方をくらました浜木綿と紫苑の宮と違って、別に長束は表舞台から追いやられたりはしてない。ただ、おそらく紫苑の宮を擁護する立場なのは間違いない。今後の展開にも大きく関わってきそうなところ。

『烏の緑羽』ではそんな長束と路近の人間性が描かれて、ぐっとキャラクターに深みが増した気がします。
あと、雪哉と対立して追いやられた戦術の先生、くらいにしか覚えてなかった翠寛が好きになりました。在りし日の雪哉をちょっと思い出すというか。

ヤベー奴としか思ってなかった路近がどういう人物なのか、何故長束に仕えているのか、後の翠寛であるミドリと路近の関係性、何故翠寛が清賢の文を見て長束に仕えることにしたのか、長束がどういう人物でどう変わるのか、今まで深く語られなかった人々が急に生き生きとし始めた気がします。でもこの後ろくな目に遭わなそう。
あと清賢は人格者というか、ものすごく教育者に向いた人ですね。若干だけど龍が如く7を思い出しました。

確かに長束は下の者の気持ちがあんまり分からない感じとか、「真の金烏」を盲信してるような描写はありましたね。
高貴で立派ないかにも皇子らしい人物で、理想を持ちつつも皇子らしからぬ奈月彦とは反対というか。
路近は路近で、ヤベー奴ではあるものの妙な屈託のなさがある人物として描かれてましたし、翠寛は雪哉の理に適ってはいるが非人道的な作戦に異を唱えた。

宗家の者として育てられ高貴で高い理想を信じる長束と、生まれながらに高い地位と力を持ち利益を信じる路近、生まれも育ちも悪く理不尽を憎み道理を信じるミドリ。
三者三様ながら、子どものままの部分を持った三人が大人になる物語だったのかな?と思います。そう考えると図体ばかり大きくなって、もう大人なのに全く大人になれていない自分には痛いものがあります。

そして高貴で威厳のある美丈夫が筍籠ごと買ってきて叱られたり食べ頃の瓜を鳥にかっさらわれて憎しみを抱いたりするの、面白いですね。
長束さまも結構可愛げがあるなと思い入れが出来ました。多分作者の思うつぼ。

清賢に守られ導かれて大人になった翠寛が長束を導き、その長束がかつての自分と同じ紫苑の宮を大人として守ろうとする構図が綺麗。
そして、最後で前巻の引きへとつながる。
こうなるのかと感嘆しました。
なんかこのシリーズの作者の阿部智里さんこういうの上手いですよね。

自分の理想のために民を犠牲をすることを選ばず、自分の道を決断した長束と、紫苑の宮がこれからどうするのか。
続きがめちゃくちゃ気になるので早いところ買いに行きたいです。単行本しかないのは(出費的な意味で)痛いですけど。文庫本ってありがたい。

既に発売済みの最新巻『望月の烏』は、衝撃の登場を果たした新たな金烏代、凪彦の后選びが舞台だとか。彼の母が主人公だった第一巻を否が応でも思い出さずにはいられない。そんなん絶対面白いですやん。

ということで、今日ははやく読みたい気持ちを抑えて寝ようと思います。

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