学びの派生・呼吸の派生
『鬼滅の刃』における呼吸の派生と、学問の派生は似ているのではないか。
そんな話を耳にし、整理してみようと思った。
学びには、学校では“教科”がある。
複数教科の学びを掛け合わせて学ぶことを
「横断的な学び」とか「教科間連携」などといった表現で言われるけれど、そもそもは、学びの始まりって、根源って、同じだよね。というお話。
例えば、”哲学”であると。
一方、『鬼滅の刃』における呼吸は
日の呼吸が「始まりの呼吸」と呼ばれる。
他はすべて派生であり、
日の呼吸がもっとも強く(非常におおざっぱに言えば)
派生も、日の呼吸に近いほど後世にも残りやすく
派生の派生は個性に合ったものであるから、
後に引き継がれていくことは少ない(恋の呼吸など)
個人の特性や、
その場において必要とされるものによって、
世の中では派生や分類が生まれている。
もとは同じなのに。
現代を生きる私達の感覚は
バラバラのもの同士の接点を一生懸命探してつなげる
というところに来てしまっているようだ。
もとは同じなのに。(2回目)
根源を見つけられたら、
学びはもっとつながりうるはずなんだなあ。
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ついでに言うと、
『鬼滅の刃』に登場する半天狗は
喜怒哀楽4つそれぞれの感情をもつ鬼に分裂することができる。
4つに分裂した時がもっとも強い状態を保ったまま、
個性を発揮する。
4つ以上に分裂することもできるが
1個体の強さはそれほどでなくなる。
中心となるものを把握した上で、
1番よさを活かすことのできる状態というのは、
(学校で言うところの)“教科”より
もっと大きなところにあるんだろうと
気づくことができた。
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