学びの派生・呼吸の派生

『鬼滅の刃』における呼吸の派生と、学問の派生は似ているのではないか。

そんな話を耳にし、整理してみようと思った。


学びには、学校では“教科”がある。

複数教科の学びを掛け合わせて学ぶことを

「横断的な学び」とか「教科間連携」などといった表現で言われるけれど、そもそもは、学びの始まりって、根源って、同じだよね。というお話。


例えば、”哲学”であると。


一方、『鬼滅の刃』における呼吸は

日の呼吸が「始まりの呼吸」と呼ばれる。

他はすべて派生であり、

日の呼吸がもっとも強く(非常におおざっぱに言えば)

派生も、日の呼吸に近いほど後世にも残りやすく

派生の派生は個性に合ったものであるから、

後に引き継がれていくことは少ない(恋の呼吸など)


個人の特性や、

その場において必要とされるものによって、

世の中では派生や分類が生まれている。


もとは同じなのに。


現代を生きる私達の感覚は

バラバラのもの同士の接点を一生懸命探してつなげる

というところに来てしまっているようだ。


もとは同じなのに。(2回目)


根源を見つけられたら、

学びはもっとつながりうるはずなんだなあ。

***********

ついでに言うと、

『鬼滅の刃』に登場する半天狗は

喜怒哀楽4つそれぞれの感情をもつ鬼に分裂することができる。

4つに分裂した時がもっとも強い状態を保ったまま、

個性を発揮する。


4つ以上に分裂することもできるが

1個体の強さはそれほどでなくなる。


中心となるものを把握した上で、

1番よさを活かすことのできる状態というのは、

(学校で言うところの)“教科”より

もっと大きなところにあるんだろうと

気づくことができた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?