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絶対的な味方でいるために思考を変えると決めた夏の日

母になって初めてのタイプの、ショッキングな出来事があった。

1歳の娘を連れて、近所のじゃぶじゃぶ池に行ったときの話だ。

猛暑だった夏。家の近くで水遊びができる場所を探していた私たちは、歩いて少しの公園に、夏の間だけじゃぶじゃぶ池が現れるのを知った。蚊は多いけれど日陰も多く、浅い水辺は子どもを遊ばせるのにピッタリだ。

ご近所さんはみんな同じ気持ちだったろう。その日もたくさんの子どもたちが、ばっしゃばしゃ、じゃぶじゃぶ、きゃっきゃと水遊びを楽しんでいた。


娘は、まだ同世代との距離感がいまいち掴めていないようだ。遠くからじいっと見つめたり、無言で近づいていって、おそるおそる背中をつついたりしていた。

まあ遊ぶうちにコミュニケーションを学べばいいさ。そんな気持ちで、少し遠くから娘を眺めていたときだ。

娘より少し年上の、3歳くらいの女の子がパッと娘の前に立ちはだかり、勢いよく口から水を娘の顔に吹きかけた。

あ!っと出した声も届かないうちに、その妹らしき小さな女の子も、娘の顔面に水をぴゅうっと吐いた。

コラーーー!何やってんのーー!

とは言えなかった。あまりのことに私のほうが面食らってしまったのだ。母親としての経験の浅さである。

急いで娘に近付くと、娘は「何が起きたのかもわからない、何も気にしてない」みたいな顔で突っ立っていたのが、せめてもの救いだったように思う。

私はその子たちに向かって特に怒ることもなく、ただ単純に自分が思ったことを口にした。

「ねえねえ、なんでそんなことしたの?」

女の子ふたりは私をじっと見つめると、ふいっとどこかへ行ってしまった。どこから親が見ていたのかわからないが、そのあと怒られている姿を見つけたので、ちょっと安心した。

それでも私はなんだか胸がざわざわして、水に濡れた頬を触る娘がいたたまれなくなって、あの子たちがまた娘を見ている気がして、その場をそそくさと離れてしまった。初心者かあちゃんは、そういうときどうすればいいのかまだ経験値が足りない。

ショックだった。

娘が水を吐きかけられたこともそうだけど、それと同時にショックだったのは、私の頭の中で「うちの娘が何かしちゃったのかな…」という考えがぐるぐる回っていたことだ。


振り返れば、いつもそうだった。

昨日まで仲が良かった友達の機嫌が悪く、急に無視されるようになったとき。いつも一緒に帰っていた子たちが、先にいなくなっていたとき。自分が部屋に入った瞬間に会話がやんだとき。電車で隣の人が席を移動したとき。

私はいつも「あれ、何か気に触ることしちゃったかな」と、自分の行動を振り返っていた。いつも人に嫌われないように、気分を害さないように、自分のすること言うことを注意深く観察しては、「きっとあの子は、私がこう言ったから怒ったんだ。気をつけよう」と反省してきた。

だから娘が顔面に水鉄砲を食らったとき、咄嗟に私は「あの子が何かしたのだろう。足でも踏んだかな、突っ立ってて邪魔だったかな、水が撥ねたかな…」と理由を探したのだ。

そのどれもが「顔面に水を吹きかけていい理由」にはならないのに。

たとえどんな理由があっても、水をかけたりせずに「やめて」と言えばいい。近くの大人に言ってやめさせてもらえばいい。自分から離れればいい。


「いじめられる方にも理由がある」なんてくだらないことを言う人はまだたくさんいるけれど。いじめる方が悪いに決まっている。

相手の立場に立って考えることは、とっても大事だ。その思考が間違っているとは思わないし、娘にだってそう伝えるつもりだ。

だけど。

娘が誰かに傷付けられたとき、私が一番最初にかけるべき言葉は「あなたが何かしちゃったんじゃないの?」ではない。それだけは確かだ。

娘にとって一番の、絶対的な味方であるはずの私が、もしそんなことを言ったら、娘はどれだけ傷付くだろう。私は弱い人間だから、気をつけていないと、そんな思考がひょいと口から出してしまうかもしれない。

だから、まずは思考から変えていくのだ。娘の絶対的な味方でいるために。

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