自分を愛せるのはあの人のおかげ
お風呂から出て鏡を見たとき、おなかに妊娠線を見つけた。おなかの皮が伸びるときにできる線だ。妊娠中、これを恐れて保湿を頑張っていたけれど、どうやら大きくなって見えなくなった下の方にできていたらしい。
紫色の、割れ目のような線。見せられた夫はたくさんの線ひとつひとつにキスをして「きれいだね。赤ちゃんをしっかり守っていた証だね」と言ってくれた。思ったよりショックを受けていなかったのはこの人のおかげだ、と思った。
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多くの思春期の女子がそうであるように、私にもコンプレックスがあった。
まず骨太で筋肉質の脚。妹みたいなスラッとした脚がよくて、とても人には見せられないと短パンも履きたくなかったっけ。
夫が私の脚を見て、最初に言った「日本人の脚って本当にきれい」という言葉。衝撃的で、何度も否定して、同じことを言われ続けた。その夏は短パンを履いて出掛けることが多かった。
父親に似てしまった、垂れ目の奥二重。嫌で嫌で、母みたいなぱっちり二重がよかったのに、とアイプチをしていた。
親友が「私、垂れ目が好きなんだよね。その、まぶたが薄い、ちょっと眠そうな感じがいいよね」と似顔絵を描いてくれた。気づいたらアイプチをやめていた。
「私、このままでいいんだ」と素直に思える安心感。
自己肯定感は、人が認めてくれて、褒めてくれて、初めて自分の中に溜まっていく。
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私の母は自信がない。「私は何にもできない」とよく言う。そんなことない、と何度言ってもそれは拭えない。
昔、私が同級生に「まなちゃんのママは何ができるの?」と聞かれたのに答えられなかったという話が、呪いになっているのだ。
父に「なんでそんなこともできないんだ」と叱られた記憶が、呪いになっているのだ。
本当は、つくるごはんは美味しいし、年齢を重ねても美人だし、部屋はきれいで、介護の知識が豊富で、手紙を書くのが上手で、相手の立場にたって考えられて。母の「できること」を挙げればキリがない。
呪いを解きたくて、私は母に「そんなことないよ」と言い続けるけれど、家族が言っても効果は薄いのだ。母が私に「奥二重でもかわいいよ」と言ってくれてもアイプチがやめられなかったように、「そりゃ身内はそう言うよ!」と流してしまっていたように、やっぱり家族じゃない他の人に認めてもらうことに意味があるのかもしれない。
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私は今、それなりに自分のことを愛せていると思う。出産前に比べたらボロボロだけど。妊娠線がついてしまったおなかも、赤子に吸われて変形している胸も、そばかすが増えてきた頬も、全部含めてだ。歳を重ねること、見た目が変わることに恐怖があまりない。
それは、どんなふうになっても「かわいいね」と言ってくれる夫がいてくれるからであり、どんなに歳を取っても気にしない親友がいてくれるから。いろんな人に作ってもらった自己肯定感は宝物だ。
今、生まれたばかりの娘には毎日「かわいいね」と言っている。彼女が思春期になったとき、私の「かわいいね」の効力がなくなるときが来るだろう。そんなときに娘も「そのままのあなたが素敵だよ」と、自己肯定感を生み出してくれる人に出会えたらいいなと思う。
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