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Spiral Fiction Note’s 日記(2023年8月1日〜2023年8月15日)

7月下旬の日記(2023年7月16日から7月31日分)


8月1日&2日

↑『ザ・レディオ・ミルキー・ウェイ ラジオ朗読劇『銀河鉄道の夜』舞台版』 新地町文化交流センター(観海ホール)|常磐線舞台芸術祭2023に書いてます。

8月3日
昨日家に帰ってすぐに眠った。疲れもあったのだろう、しっかり眠れて寝起きもよかった。鏡を見たら両腕がかなり日焼けしていた。一日目は1時間半以上は外を歩いていたし、二日目も2時間程度自転車に乗っていた。そりゃあ、肌は焼ける。
前日は有給を使ったので、さすがにこの日はいつも休みの木曜日だがリモートワークで仕事を開始。思いのほか仕事が溜まっていなかったのでスムーズにこなす。

 午後に講談社に打ち合わせに行った。今やっているライティング関連の仕事を依頼してくれた人から別の件でお声がけをしてもらったので、直接打ち合わせをしに。帰る時に本社一階にある書店で神田伯山著『講談放浪記』を購入した。
社名となった「講談」を巡るあれこれの歴史。そして現在における「講談」を知らなかった僕らですら、名前を知ることになった講談師・神田伯山。この書籍が講談社から出ていることのおもしろさ。
〆切のスケジュールは問題はないのだけど、やっぱりこの前立てたばかりのこの数ヶ月のスケジュールは変えないとパンクする。
 

仕事終わりでニコラに寄って、ガトーショコラとアイスコーヒーをいただく、平日の夕方だけど混んでいた。 

この日の作業中は月曜深夜の『アルコ&ピース D.C.GARAGE』でアルピーの平子さんのお父さんに関するトーク(二回目)から、水曜日深夜の『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』でいわき市出身者(『サクマ&ピース』コンビ)繋がりの佐久間さんが平子さんの話を受けてのトークとなっていて、それを聴いていた。
その二つのラジオのトークが結ばれる形、原因となった『独占生中継2023 隅田川花火大会 SIDE B 地上波放送の裏で佐久間宣行とアルコ&ピース酒井がスペシャル生トーク!』をスケジュールを再考しながら(たまに見ながら)聴いていた。めっちゃテレ東の人たち出まくりな不思議な配信、花火もそこそも見れるし、いい感じに緩い番組だった。 

 

8月4日
福島の疲れが出ているのか、昨日に引き続きぐっすり眠れた。起きてからリモートワークを開始して作業をしていると佐川急便さんが荷物を届けてくれた。

田島昭宇×大塚英志著『【愛蔵版】多重人格探偵サイコ COLLECTION BOX 1』がカドカワストアから届いた。重っ、デカっと嬉しい誤算。コミックス1巻「小林洋介」からコミックス6巻「PSYCHO FAKE 3」までを収録。

今日のパフォーマンスでは我々の声が、富岡から始まって、浜通り、福島、そしてどこというのは関係なくどんどん広がって、種になって芽吹いて、もう一度命を宿すように、違う物語になればいいなと思います

「二つの駅舎、ボイス・オン・ボイス」古川日出男&アジカン後藤正文がコラボ

1日と2日は『ザ・レディオ・ミルキー・ウェイ ラジオ朗読劇『銀河鉄道の夜』舞台版』が新地で開催されたが、古川さんと後藤さんは引き続き、『二つの駅舎、ボイス・オン・ボイス』を3日に富岡駅周辺で、4日に新地駅周辺で行われることになっていた。こちらも観たかったが、時間帯と場所の問題で泊まる場所、そこから帰ることなどの問題から諦めざるを得なかった。これを観れなかったのが今回の心残り。

金曜日はいつも通り、作業中は『ハライチのターン!』『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『ナインティナインのオールナイトニッポン』『マヂカルラブリーのオールナイトニッポン0』を聴いていた。日付が変わる前に『四千頭身 都築拓紀のサクラバシ919』を聴きながら寝落ちしたので平常運転に戻った。
新地で自転車に乗って海岸沿いを走っている時は『星野源のオールナイトニッポン』を聴いていたし、新幹線で仙台から大宮まで帰る時には『あののオールナイトニッポン0』を聴いていた。移動には徒歩であろうが、自転車であろうが、新幹線であろうがラジオがお供になっている。

 

8月5日
起きてから洗濯をしたり、月曜日にミーティングをするのでその資料を読んだりする午前。10時すぎてからスーパーに行くついでに寄ったTSUTAYAで発売されていた本を数冊購入した。

 松本直也著『怪獣8号』10巻。ついに10巻か、と思う。僕にしては珍しくジャンプ作品で最初から読んでいる漫画作品。「怪獣」は自然災害や現在の地球環境のメタファーにも取れるが、「怪獣」を退治する日本防衛隊に入った日比野カフカは謎の生物に侵食されて怪獣化し、「怪獣8号」となってしまう。敵の能力を秘めた主人公と日本防衛隊で「怪獣」との戦いの最前線に立つ仲間たちを描いている。
ジャンプのバトル漫画的な部分があるので、出現する「怪獣」たちもどんどん強くなり、カフカだけでなく、防衛隊のメンバーも「怪獣」の能力を利用する武器などでそれと戦える強さになっていくので、強さの渋滞というかアクセレレートしている。それは物語の展開上当然のことなんだけど、どこかでなんだかなって思ってしまう部分がいる。成長を描く上でそうなっていくのはわかるんだけど。
また、今回の表紙になっている四ノ宮キコルはカフカたちの同期だが、16歳で大学を飛級し最年少主席卒業した防衛隊期待の新人であり、防衛隊長官である四ノ宮功と元防衛隊第2部隊長だった四ノ宮ヒカリの娘という設定になっている。母もかつて防衛隊の最強の一人として「怪獣」を討伐していた存在であるが亡くなっている。
四ノ宮キコルに関しては誰もが「エヴァ」のアスカを彷彿する存在であり、母が亡くなっていること、その母が周囲から天才と呼ばれるような存在だったことなど基本的に天才ツンデレ少女というパターンを踏襲している。今作でも母娘問題が「エヴァ」同様のものが描かれていくのは、どちらに作り手が男性だからなのか、あるいは天才ツンデレ少女を描こうとするとこのパターンが馴染みがよく、ほかのことをやると受け手のノイズになるからなのか。ちょっと気になる。

山崎峰水漫画/大塚英志原作『くだんのピストル』四巻。今回の各タイトルは寺山修司による監督作品の長編映画と短編映画のタイトルから。


炭酸水を飲みながら、燃え殻著『ブルーハワイ』を読んだ。かつて一緒に居た、居合わせた誰かの記憶や思い出が現在にふわっと浮かび上がって、なにか波紋のようなものが広がってくるエッセイ。花火やかき氷の話もあった。そして、週刊連載を続けられているの本当にすごい。

 夕方まで作業をしてから、マシュー・チョジック初監督『トシエ・ザ・ニヒリスト』日本初公開!カンヌ短編オムニバス上映会を観るために代官山のシアターギルドへ。歩いて40分ぐらい夕方過ぎだったのもあるが、気温も暑すぎず風も少し吹いていて歩くにはちょうどよかった。途中、蔦屋代官山書店に涼みがてら寄ったら店外で出店的な感じのことをしていたので浴衣を着た親子連れがたくさんいた。
はじめてのシアターギルドだったが、オシャレなバーという感じの場所でのんびりとソファなどに座って、各自それぞれにワイヤレスヘッドフォンが渡されてそちらで音声を聞く感じの映画館だった。
マシューセレクションということで彼の作品が最後でほかはカンヌで彼が見つけてきた二作品がセットで上映されるものとなっていた。マシューが飛行機のパイロットでカンヌに行っていて、作品を紹介するというVTRがそれぞれの作品の前と後にあり、二作品に関してはどちらも監督からのコメントもあった。
マシューがやっているちょっとおちゃらけた映像に関しては彼が出演している『世界まる見え!特捜部』のオマージュというかネタにしているようなものだった。満席だったが、海外の方も半分近くいた感じで多国籍な観客になっていたのも印象に残った。

 『フラッフィテイルズ(Fluffy Tales)』
監督 アリソン・クーン 
キャスト ナディーン・デュボワ、ローレンツ・クリーガー、アレクサンドラ・サグルナ
製作国 ドイツ (15分)

予告編 (英語字幕のみ) 

 作品紹介:英国アカデミー賞ノミネート作品。映画界で大注目を集める新進気鋭、ドイツ人の20代女性監督アリソン・クーンによる風刺コメディ。主人公エラが、ドッグフードの新ブランド広告キャンペーンモデルに起用される。彼女と共演していたモデルの犬が撮影の際にうまく振る舞えなかったため、写真家とクライアントはエラに犬役をもオーダーする。エスカレートする要求にエラはどう応えるのか。MeToo時代に必見の作品。

モデルのエラが犬の代わりに犬的な行動をさせられていく、資本主義における人間がシステムに隷属化していく、奴隷あるいは家畜化されていくというアイロニーを描いている作品だった。最終的に新しいモデルであり犬になる女性がやってくるが、エラはソファの上に立ったままである行為をする。マシューによれば、カンヌやフランスではかなり爆笑だったという。それは彼女なりの反撃であり、同時に飼い慣らされて犬化したようにもどちらにも見えた。
日本だとこの皮肉やアイロニーに関しては、やはりどう受け止めていいいのかの判断が難しいというのもあって、ほとんど誰も笑ってなかったんじゃないだろうか、フェッドフォンしているので外の声は聞こえないというのもある。もし、ヘッドフォンをしていなくて誰かが笑ったら、気兼ねなく笑えたという人もいそうだ。この辺りはある種日本的なものだなと終わった後のトークで聞きながら感じた。
風刺というものへの理解とか文化や芸能的なものが少ないというのもあるのかもしれない。批評を批判や悪口だと考える人が多いのをSNSで見ること自体、そういうものを受け入れる土台が薄い。批評と創作の関係性、そもそも創作は個人の自由と基本的人権とも関わっているので、そういうものをきちんと教育してこなかった日本において、風刺というものを見て笑うとか、受けとけて考えるとかはやっぱりそういうことに意識がないと難しいのかも。この作品は単純にショットの、映像の撮り方も広告撮影の場所というのを奥行きを見せていてうまかった。

『ナルシス(Narcissus)』監督 蒋闻
キャスト カン・チャン、ワン・ダン 
製作国 中国 (19分)

作品紹介:古代ギリシャ神話のオマージュで、トロントインディーズ映画祭のLGBTQ最優秀賞受賞作品。LGBTQの大学生が出会い系サイトで知り合ったひとりの男性に会いにいくところから始まる。彼との出会いを通して主人公が味わうさまざまな感情や人生の旅が、ため息の出るような中国の風景とともに描かれる。困難を乗り越えながら成長し、自己愛と向き合う主人公がいくつく先はどこなのか。普遍的かつ哲学的な作品。

マシューさんがトークの時にもう少し長かったが、監督に断りを入れて少し短くしたと言っていた作品。西湖?かな、湖のボートに出会い系で知り合った男性と乗る予定だった主人公のLGBTQの大学生は、彼が来れなくなってしまい、一人でボートに乗る。そこで美しい湖の景色と流れるような美しい音楽が流れていく。その後、男性とはクラブで再度約束をして出会うのだが、彼の家庭の事情なども描かれていく。
一気にITが進んで日本を追い越していった中国でも、スマホから出会い系サイトを利用する人たちはたくさんいるわけで、そしてLGBTQの大学生は髪は背中を越えるほどの長さで化粧もクラブに行く際にはしっかりとして華やかさがあるが、トイレは男性用を使っている。彼が出会い系サイトで出会った男性は家庭はあるようだが、同性愛的趣向があるのか、あるいはゲイであるのを隠すために普通の結婚をして家庭を持っているのかはわからないが、夜な夜な出会い系サイトで男性と出会っているようだ。
湖の自然な風景と神秘的な音楽、クラブでの人工的な電飾の点滅と低音の効いたダンスミュージックの対比が面白く興味深い。大学生が最後に行うある行動はその場所のことを考えると、彼はやはり自分の気持ちに正直に、自然なものでありたい、受け入れたいと思っているように感じた。 

『トシエ・ザ・ニヒリスト』
監督 マシュー・チョジック
キャスト 比嘉梨乃、矢部太郎、古川日出男、米本学仁、日高七海、マシュー・チョジック
製作国 日本(15分)

予告編

作品紹介:仮想通貨のオフィスで働く主人公トシエ(比嘉梨乃)の彼氏(矢部太郎)は、刑務所から出たばかり。トシエは彼氏と一緒に釈放を祝うはずだったが、彼氏からはとんでもないお願いをされ、モンモンとする日々。そんなある日、通勤途中に不慮の事故に見舞われてしまうトシエだったが、ベトナム戦争の英雄とされる人物の息子に救われ、日本からハワイまで泳ぐことになる。トシエの運命はいかに!?ユーモアあふれる作品。

チャーミングであり、不思議とかわいいがどうもマシュー的なアイロニーがところどころ、意識的なのか無意識なのか入り込んでいる短編。矢部太郎さんが彼氏役で刑務所から出所したばかりという役所だったので、それはカラテカとして矢部さんの相方が起こした不祥事とかを踏まえてのキャスティングなのか? どうなんだ? と思いながら見ていた。あとから聞いたらその意図はなかったらしい。いやあ、でも、この前の二作品が風刺やアイロニーのあるものだから、そう見えなくもない。そんなんは僕だけかもしれないが。物語としては彼氏と再会するものの、彼氏は刑務所で出会って一緒に出所した友人とのほうが彼女よりも大切になっている感じもあり、彼氏のために右往左往していくが、ある時に出会ったアンドンという謎の人物とハワイまで向かうことになるという珍道中。
千葉までチャリで行くし、そこから二人泳いで行くし、とかもう意図的にコントちっくな状況を作っているし端折っている。それは観る側が観ながら「なんでやねん!」とツッコミせざるをえない状況であり、綺麗な海と二人が泳いでいるっぽい映像を雑に重ねてみるとか、丁寧に作りながらもB級映画やパルプフィクションぽい低俗な感じを出している。この辺りが頭がいい人がふんだんにアイロニーとかをぶち込みながら作っている感じがした。マシューさんの可愛らしいというか、笑顔すらもフェイクなんじゃないかなって思えてくるほど、でも、そういうものをひっくるめて人間なんで、まあおもしろい人だなってやっぱり思った。

上映後はキャストの方々がトークゲスト(比嘉梨乃、矢部太郎、古川日出男、米本学仁、日高七海、マシュー・チョジック)として登場。
マシューさんや出演されている矢部太郎さんたちと上映後に飲みながらたくさん話せたのもよかった。古川さんも「常磐線芸術演劇祭」で一週間の福島に滞在後に来られていた。ほんとうにお疲れ様です。
このマシューセレクションは短編を観るいい機会にもなるし、すごくいいので、マシュー監督作品を毎回入れ替えて継続してほしいと伝えた。海外の作品もいいし、日本の作品でもいいのかもしれない。
場所的にもバースタイルにもなるから、観に来た人たちが終わってから交流もしやすいし、新しいものへ展開して繋がっていくものになりそうだなって思った。

 

8月6日

『サンデーうぇぶり』の「あだち充キャラクター神経衰弱」めちゃくちゃ難しい。20秒という制限が難易度上げてる。いい設計。 何回もやってようやく100%。

 

13時過ぎに家を出て、渋谷まで歩いて半蔵門線の永田町・赤坂見附駅で降りてから日比谷公園へ。家からTOHOシネマズ日比谷が入っている日比谷ミッドタウンまでが2時間ほどあるので、赤坂からスタートといった感じで首相官邸や国会議事堂横を通ってだいたい30分かからないぐらいの距離。
コロナパンデミックで去年、一昨年と開催が中止になっていた「THE MATSURI SESSION」ライブが100周年目の日比谷野外音楽堂で行われた。

LEO IMAI (LEO今井 岡村夏彦 シゲクニ 白根賢一)バンドセット
ZAZEN BOYS
KIMONOS
向井秀徳アコースティック&エレクトリック

出演者の演奏した流れは上記のもの。公演について友人の青木と合流してから、開場まで時間があったので公園でやっているイベントなのか、出店のように食べ物や飲み物を売っているところと、テントのようにお客さんが座って飲食ができるスペースがあったのでそこでビールを飲みながら近況報告。
天気は朝から急に雨が強く降ったり晴れたりを繰り返していた。ビールを飲んでいる最中には急激な大粒の雨が短い時間だけ降るということもあった。飲食スペースにいたから濡れずに済んだけど、野音前で待っていたらびしょ濡れになっていたと思う。

Zazen Boys - Amayadori 7.19 2018

まさに「Amayadori」状態だったけど、前回のリキッドルームのライブでも新曲をたくさんやって、ニューアルバムを出すと向井さんがMCで話していた。この曲のこのバージョンもアルバムに入れてくれたら最高なんだけどなあ。

最初はLEO IMAIが一人で出てきてギターを弾きながら歌っていき、終わり頃にバンドメンバーが出てきて、という形。けっこうゴリゴリなサウンドではあったが、気持ちのいい轟音だった。
そのあとはZAZEN BOYSが登場し、最初と最後以外の、8曲中6曲が新曲をやっていた。リキッドルームで僕は聴いていたので知っている曲だったけど、おそらく最近、去年の後半ぐらいからのワンマンには来ていなかった人からするとニューアルバムを出すというのはうれしいとしても、聴きたいという曲がほぼない状態だったと思う。やっぱり新曲が鳴っている時の反応は薄かった。
KIMONOSは向井秀徳&LEO IMAIのユニットで、ZAZEN BOYS同様に前にアルバムが出たのが10年以上前、僕も青木もアルバムが出た当時にライブでは観ていたが、近年は観ていなかったのうれしかった。やっぱりサウンドがカッコいい。ちょうどKIMONOSがやっている頃に日が暮れていったので、その雰囲気ともよく合っていて気持ちいい音が鳴っていた。『Tokyo Lights』も久しぶりにライブで聴けたけど、最高でした。この曲良すぎるよ。 

Kimonos – Tokyo Lights

 
最後は向井秀徳アコースティック&エレクトリックで締め。向井さんが歌ってる時に大声で歌ってるやつがいて、向井さんは別に音源通りには歌わないし、ギターとかのリズムだから自分でいかようにもできるんだけど、そいつはライブにほとんど来ていないのか、ところどころ外してた。たぶん、音源のリズムや早さで曲を覚えているからそうなる。現場での曲のタメとかがある時にそれが如実になった。
野音はみんなビールとか酒をすぐに売店に買いに行けるから比較的酔っ払いが増えるし、多くの人が酒を飲んでいてちょっとテンションが上がっているのでそういう感じになりやすい。「向井〜」とか大声で叫んでいる人が、男性ばっかりだった気がするが、そういうのに向井さん答えないって、なんかそういうのはちょっと白けた。そういう奴らは新曲ばっかで聴きたい曲が聴けなかったのがなあ、とか言ってそう。
個人的には大満足なラインナップだったのでよかった。秋から全国ツアーをすると言っていたけど、さすがにそれに合わせてちゃんとニューアルバムを出してほしい。
帰りも赤坂見附駅まで歩いて電車に乗って帰った。やっぱり気温がめっちゃ高くはないといえど、湿気がすごかったから駅に着くまで汗だくになった。8月上旬だけど夏のイベントはもう終わった感じもする。今月はまだイベントとかライブには行くには行くけど、夏休みが終わって日常に戻るような気になる。これから〆切もどんどん近づいてくるし、それらをしっかり終わらしていかない、しっかり遊んだから働こう。

 

8月7日
ぐっすり眠れたのは昨日の疲れもあるし、ビールを飲んでいたからなんだろう。起きてからすぐに可燃ごみをだしてから、リモートワークまでにシャワーを浴びた。
いつも通りのリモートワークを始めるが、家にいても冷房入れないと蒸し風呂で汗をかくからクーラーを入れてサーキュレーターを回す。昨日も雨が降ったけどなんだか来週から雷や雨マークの天気予報になっていた。天候がどんどん変わっていくと体調を崩しやすいから気をつけないとダメそうだな。

 30min辺りで、酔いと暑さが、我々のビートをよりキツく厳しいものにした。僕は「あそうだ」と言う感じで、ペペトルメントアスカラールに「トルメント=拷問」という単語を含ませたのか、ありありと思い出した。もう耳が潰れ果てている僕にも「これはデカい」と感じるほどの音量で、僕は拷問を行なっている気分になった。何せ、半べそをかきながら両耳を押さえ、座り込んで泣いている女性や、非常に厳しい表情で居眠りしている男性がいるのである笑。「焼き払え菊地成孔」と僕は自分を鼓舞し、大いに鼓舞されるのであった。

 僕は自分が怖い。思えばそのことを長い間忘れていた。「粋な夜電波」は、僕の仕事の中で唯一、タイムラグなく一瞬で全て伝わったもので、そりゃあ磔になる人も多いだろう。僕は自分の恐ろしさをすっかり忘れていた。ラジオのマイクは、少なくとも僕の善人の側面を引き出す。スクイーズされている感じだ。もちろん、それも大いに結構だ。

 しかし僕は、座り込んで泣いている女性が「このまま辛すぎて死なないかな?笑」と思いながら、低音を(DJブース自体が揺れるほど)ブーストし、一瞬で高音をブーストし、はっきりと拷問の態度をとった。まあ彼女が死なないまでも、失神はして欲しいよな。ゲロ吐いたらすごいのに笑。とギラギラになってしまっていたのである。「理解されたい」「愛されたい」と渇望している飢えた猿たちに言いたい。お前たちが飢えるのは、自分に嘘をついているからだ。嘘は他人につけ。

 突然、上半身裸の、全身タトゥーの青年たちが3人組でフロントにやってきて、暗黒舞踏とブレイキンの中間みたいな、素晴らしいダンスを始めた。30min聴いて「掴んだ」のである。こういうフロントライナーは必ずいる。体は動かないが、完全に陶酔しきっている人々は、彼等のダンスに見惚れる余裕もなさそうだった。

菊地成孔の日記 2023年8月7日 午前9時記す

フジロックに菊地さんが「Q/N/K」として出演した際の日記。10年代になってからTBSラジオ『菊地成孔の粋な夜電波』が土台にとなって僕は菊地さんがやっているバンドや音楽、プロデュースしてきたミュージシャンの曲をリアルタイムで聴くようになった。
菊地さんが自分で書いたり言われているように、たぶん数年とか何年か早い、世の中に浸透しやすくなったり、受け入れられる前の音楽をやっていることは確かにあるし、あった。上記の全身タトゥーのフロントライナーたちはその先鋭隊というかアンテナが瞬間合ってしまったのだろう。ちょっと羨ましい、けどフジロックには興味はない。

21時から先週出版社で打ち合わせしたことの続きをオンラインミーティング。初対面の人もいたけど、この間打ち合わせしたことの再確認と今後の日程とかもろもろを決めたりする。
今やっているライティング作業が形になるのは来年とかだいぶ先だろうけど、見えない間にしっかりと根を張るように進めていけばたぶん大丈夫なはず。諸々やっているものが形になるまではできるだけ健康で、死なないようにしたいという気持ちにはなってきている。

  

8月8日

7時少しに目覚ましで起きる。Tシャツの首襟から胸の辺りにかけてかなり汗をかいていた。公開してから観にいくタイミングがずっと合わなかった『ミッション:インポッシブル デッドレコニング PART ONE』を朝一の回で観に行こうと思っていてウェブでチケットを取っていたので8時前に家を出て渋谷に向かう。
起きてから『JUNK 伊集院光・深夜の馬鹿力』を聴いていたので、渋谷に着くちょっと前に聴き終えたので、次は『フワちゃんのオールナイトニッポン0』を聴き始めた。『空気階段の踊り場』は日付変更とともに始まるので寝る時に聴いていたんだが、最近そういう日付変わってからのラジオの一時間番組のものを聴いてから、聴きながら寝ることが増えた。夜になっても気温が下がらないし、寝ようと思ってもなかなか寝付けないからだと思う。
平日だけど、火曜日はシネマイレージデイで料金は安く、子供は休みに入っているのか、母親に連れられた子も観に来ていた。一人は母親、その子供の友達で三人の少年みたいな組み合わせがいたが、小学中学年ぐらい、10歳ぐらいだったけど、上映中は話もせずに大人しく観ていた。ちょうど僕の前にその三人がいて、母親は少し離れた端っこの方に座っていた。
アクションのすごさとかはわかるだろうけど、AIの話とかいろんな国とか出てくるので小学生にはもしかしたら難しいかもしれない。でも、60歳のトム・クルーズがガンガンにアクションをしているのを小さな頃に映画館のスクリーンで観たということが彼らの、その中の誰かの中にきっと残る、残るといいなと思った。

トム・クルーズの代名詞で、世界的人気を誇るスパイアクション「ミッション:インポッシブル」シリーズの第7作。シリーズ初の2部作となり、イーサン・ハントの過去から現在までの旅路の果てに待ち受ける運命を描く。タイトルの「デッドレコニング(Dead Reckoning)」は「推測航法」の意味で、航行した経路や進んだ距離、起点、偏流などから過去や現在の位置を推定し、その位置情報をもとにして行う航法のことを指す。

IMFのエージェント、イーサン・ハントに、新たなミッションが課される。それは、全人類を脅かす新兵器を悪の手に渡る前に見つけ出すというものだった。しかし、そんなイーサンに、IMF所属以前の彼の過去を知るある男が迫り、世界各地で命を懸けた攻防を繰り広げることになる。今回のミッションはいかなる犠牲を払ってでも達成せねばならず、イーサンは仲間のためにも決断を迫られることになる。

シリーズを通して数々の命懸けのスタントをこなしてきたトム・クルーズは、今作ではノルウェーの山々に囲まれた断崖絶壁からバイクで空中にダイブするアクションシーンを披露。共演はサイモン・ペッグ、レベッカ・ファーガソン、ビング・レイムス、バネッサ・カービーらに加え、第1作に登場したユージーン・キットリッジ役のヘンリー・ツェーニーもカムバック。「キャプテン・アメリカ」シリーズのヘイリー・アトウェル、人気刑事ドラマ「NYPDブルー」のイーサイ・モラレス、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」シリーズのポム・クレメンティエフらが新たに参加した。監督・脚本は「ミッション:インポッシブル ローグ・ネイション」以降のシリーズを手がけているクリストファー・マッカリー。

映画.com

 噂通り、アクションがどんどん加速していき、最後らへん笑っちゃった。凄すぎると笑うか引くかしかないという作品だった。物語のキーとなる、実際に二つの鍵が重なることで十字になる鍵をイーサンとその鍵が何に使えるかを知っている敵が終始、鍵をスったりスられたりと、重要なアイテムが両陣営を行ったり来たりする。その意味では2時間40分ぐらい物語が劇的に展開しているとは言い難い。だが、その鍵を奪い合う中でド派手なアクションが展開されていくというもので、やりすぎだなって思ってしまうと笑えてきた。最後の方はこれは前編にあたる「PART ONE」なので、続きがあるのはわかっているのでもう終わろうぜとは思った。
今作でもオリエント急行の列車が鍵の受け渡しの場所に使われていた。予告編にも出てくるような橋が爆破されていて、列車が川に落ちていくというお金かかってるな(CGも含め)というものだったが、スピルバーグ監督の自伝的な『フェイブルマンズ』も主人公が幼年期に映画館で観た列車の爆破シーンを自ら再現して撮影をしようとしていたシーンなども印象的だった。
いわゆる最初の映画というか、スクリーンに映し出された汽車の映像を観客は本物の汽車が突っ込んできたと勘違いして劇場から逃げ出したという有名な話がある(まだ映画という概念ないから、初体験だった)けど、そういうものを意図的にトム・クルーズやスピルバーグ監督が意図的に作品に取り入れている。
『ハリウッド映画の終焉』という宇野維正さんの新書でも書かれていたが、僕たちが映画だと思っていた作品の作り方や興行システムが終わりに向かっているということも反映されているのだろう。トム・クルーズにしろスピルバーグにしろ、それが終わってしまう前に自分たちが映画だと信じるものをやろうとしている、そんな意志が感じられる。そして、どんなジャンルでも終わりには始まりが参照される、ということなのではないかと思った。

家に帰ってから昼ごはんを食べながらTVerで『ラヴィット!』を見始めた。もうスタッフが全力でボケてきてて、ほんとにすごいとしかいいようがない。TBSなのに今日は「フジテレビの日」だからガチャピンとムックが出てる。コラボとかではないし、完全に『ラヴィット!』側が遊んでいるし、それにガチャピンとムックもノってきている。番組キャラクターのラッピーとの絡みもあったりして、和気あいあいとしてすごく楽しい雰囲気になっていた。
ガチャピンとムックは「令和のいいとも」とも言われることもあるけど、やっぱり「令和のラヴィット」としてバラエティの歴史に残る番組になるだろうなって思う。テレビでしかできない悪ふざけも含めて、この番組きっかけでテレビで働きたいと思う若い人が次のバラエティの担い手になるかもしれない。

TESTSET - No Modern Animal feat. Mukai Shutoku (Live from BETA Q)

「THE MATSURI SESSION」でもKIMONOS最高だったから、また音源出したりライブをやってほしい。

夕方から来週〆切に向けてのライティング作業&資料関係を読み直し。金曜が山の日で祝日だから、金土までにある程度仕上げておいて、その二日間で一気に仕上げておきたいものが二つある。それがクリアできたら中旬以降にあるものにガッツリ取り組めるはず、その予定だが、まずは一つを終わらせたい。

とあることで自分がやらかしていたことを知る。自分の配慮が足りていなかったし、そういうことを考えなかったことで冷や汗というか、情けない。こういうことで信頼を失ってしまう。積み立ててきていても、一瞬で崩れて元には戻らない。でも、それは自分が悪いのでどうにもならない。


8月9日
起きたら異常に喉が渇いていた。すぐに水を飲んだが、いつも風邪は喉の痛みから来るパターンが多いので、気をつけないと夏風邪を引くかもしれない。これだけ暑くて、おまけに台風とかの影響で湿気が高い中、熱出したり体がダルくなったらと思うだけで嫌だ。
結局、一日中喉がちょっとイガイガする感じはあったが、どうもいつもの風邪引く前とは違うような。リモートワークで夕方まで家にいてオンラインミーティングもあったから話もしたけど、そもそも人と話していないから喉使っていないとか関係あるのかもしれない。

昨日、やらかしていたことがわかった件に関しては、そのことで謝罪して、関係する人に許してもらったというか理解してもらったんだけど、でも、そういう時に自分の配慮が足りなかったことなんかで自分が嫌になるし、信頼がなくなっちゃうだろうと思うと朝からけっこう凹んでいた。

雨は降ったり止んだりを繰り返していて、リモートワーク中にも雨が降る音は時折聞こえていた。雨雲レーダーで家の付近に雨が降ってないのを確認して13時過ぎに家を出て昼食を買いに行った。そういえば、Twitterで見て気になっていたちくま文庫の大塚英志著『「14歳」少女の構造 ――大塚英志まんが評論選集80’s-90’s』が発売になっているかなとTSUTAYAに行ったら出ていたので購入。定価は1300円(税別)でかなり分厚い。
補論として『三島由紀夫の「首」と「1970年」の蜂起する少年まんが』というのが最後にあとがきと一緒に収録されていた。いつもはあとがきから読んでしまうが、今回は補論からとりあえず、休み時間に読んだ。

 仕事が終わってからニコラに行って、ネクタリンとマスカルポーネのタルトとアルヴァーブレンドをいただく。家を出た時に雨が上がっていて、湿度もあまりなかったので汗もほぼかかずにお店についたので久しぶりにアイスコーヒーではなくホットコーヒーを。冷たいのも美味しいけど、温かいとより香り立つのでその匂いが好きだなと再確認。

水曜日のリモート作業中は『アルコ&ピース D.C.GARAGE』『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『星野源のオールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』を聴いている。
『あののオールナイトニッポン0』は日本ハムファイターズの試合の始球式に出たあのちゃんがそのまま北海道から生放送をしていて、キャッチャーが防具をつけている意味もあまりわかっていない感じだし、ほんとうに野球というのものを知らないみたいだった。次の時間の上柳さんが先週の放送で言った発言に対して、話していたら東京のスタジオにいる上柳さんと繋がって話したりといつものと違う感じの放送だったけど、やっぱりおもしろかった。RIJに出演した話もしていたし、北海道ということでBloodthirsty butchersの曲をかけたりとロックな放送だった。

ano「F Wonderful World」MUSIC VIDEO

 
夜は週末に提出するライティング作業の続きをやったけど、日程が近づいてきて金曜日が祝日で助かるなという気持ちになった。〆切集中する時はアドレナリン出すとかもう勢いでやるしかない。

  

8月10日
いつもより汗ばんでいないように感じた寝起き。20年来の友人の誕生日だったのでラインで「おめでとう」というメッセージを送った。普段からほとんどラインを見ないので気づくのは数日後だろう、それでもいいというか、それがいつも通りでいいんじゃないかなって思った朝。
リモートワークは通常通り。昼休憩は少し遅らせてお米を炊いてレトルトカレーを食べた。休憩中に数日前に届いた田島昭宇×大塚英志著『【愛蔵版】多重人格探偵サイコ COLLECTION BOX 1』を読み始めた。

1997年の連載からリアルタイムで読んでいて、コマを覚えているわけではないけど、今回の『【愛蔵版】多重人格探偵サイコ COLLECTION BOX 1』に収録されたものを読んでいると時々線が違うよな、みたいな箇所がいくつか出てきた。
コミックス6巻までを2巻ずつにまとめた3冊がこの「BOX 1」には収録されているが、その1冊目と2冊目で何度か明らかにこんな絵だったっけなと思うものがあったが元の最初に出たコミックスで確認せずに最後までを読み終わった。
3冊目の最後に美和がハイジャックする後半部分のコマは絵が昔の田島さんのものではなく、現在に近いなとはっきりと思えたのでコミックス6巻を引っ張り出して気になったところを比べてみるとやはり加筆修正されていた。
田島さんにインタビューを最初にさせてもらった時から完全版として出すために加筆修正はちょこちょこやっていると聞いていたが、やっぱり昔と今では線や描き方が違うんだなと改めて感じる。漫画家として修正したい箇所が長年読んできた読者にはサービスにもノイズにもなるということかもしれない。連載が19年続いたから終盤の、現在に近い線に統一したいみたいなことなのだろう。
『MADARA』は兄が買っていたので小学4年生ぐらいから大判コミックスで読み始めていたので、僕は短く見積もっても30年以上は田島さんの漫画を読んできているし、『多重人格探偵サイコ』終盤のサイン会をやるようになってからは、画集やその展示にも足を運ぶようになっているのでずっと見続けている。だからこそ、かつて描いていた漫画のコマの中に、その90年代後半やゼロ年代初頭に田島さんが描かれた線とは違う現在に近い線が出てくると違和感というか、なにかが反応するのだろう。

小説で言えば、文体が違うという感じが近いのかもしれない。ただ、小説でも単行本から文庫になった際にかなり加筆修正するタイプとまったくしないタイプがいて、基本的には後者が多い。伊坂幸太郎さんは今はわからないが、昔は文庫になる時に単行本で出た時に書いていたものをその現在の筆力でアップデートすることが多かった印象がある。たぶん、伊坂さんのやっていたことと田島さんのやっていることはジャンルは違うけど近いのかもしれない。

「LIGHTHOUSE」予告編 - Netflix

ネトフリの佐久間宣行プロデュースの星野源×若林正恭の新番組『LIGHTHOUSE』のメインテーマは「Mad Hope(feat. Louis Cole, Sam Gendel)」らしい。星野さんはサンダーキャットとコラボするんじゃないかなとなんとなく思っていたが先にルイス・コールだった。
去年のサンダーキャット来日ライブの時に盟友ルイス・コールはドラムで参加していたのを観たが超絶テクニックだったが、彼はドラマーというわけではなく楽器はたいていできてしまうというマルチな天才プレイヤーでもある。。feat.に名前のあるサム・ゲンデルもルイス・コールやサンダーキャット界隈のLAシーンの人だし、星野さんの音楽とも相性いいだろうし、星野さんが海外に移住するならたぶんLAだろうなと思う。

Thundercat feat.Louis Cole "I Love Louis Cole" at TOKYO GARDEN HALL 5.16.2022 2nd Show

仕事が終わって、作業がひと段落してから夕木春央著『十戒』を読み始めた。前作『方舟』がかなりミステリ業界では話題になっていて、それは読めていないが気になっていた作家さんの新刊。これがおもしろかったから『方舟』を読むつもり。

今日外に出た時に、この数日間で言えば暑さはマシなほうだったが、なぜかコンビニとかの自動ドアがすぐに反応せずに僕が開かないドアの前に立ってちょっとしたら反応して開いた。あれは暑さでセンサーが鈍くなっているのか、僕の存在が認識しにくいなにかがあったのだろうか。
ユニットバスの蛇口(水栓)がそろそろ劣化でおかしくなっているなと最近感じていたのだけど、普通に浴槽に水を出す蛇口とシャワーへと切り替えるレバーがどうも動きが鈍いし、どちらかを使用としていて、もう一方に切り替えようとするとうまく切り替わらない感じになってきた。そして、水とお湯を出す際に回すハンドルのお湯のほうが閉める際に最後まで回すとグッとなって閉まり切りましたみたいな感覚があったけど、それがなくなっている。水の方はまだある。中のパッキンみたいなゴムとかが切れたのかもしれない。
水がずっと流れ出ているわけではないけど、いつもなら回して閉めていたら出ていなかった水滴がちょっと落ち続ける時間が長かったりする。自分で水道業者呼ぶのではなく、大家さんに見てもらって相談しないといけないが、わりとこういうタイミングの時に限って捕まらないだろうなというのと、お盆に入っていくと業者もすぐに来ないんじゃないかなって思ってしまう。でも、この真夏にシャワーとか使えなくなったら地獄なので早く大家さんに相談しなければいけない。

  

8月11日
8時前に目が覚めて、しばらくしてから散歩がてら家を出た。30℃ぐらいだったので歩けるなと思ったのもある。9時に代官山蔦屋書店でオープンなのでその時間に合うイメージだった。BGMがてらradikoで『四千頭身 都築拓紀のサクラバシ919』を行き来で聴いた。2時間のラジオを最後ぐらいまで聴き終わるぐらい歩いていたのでちょうどいい運動になった。
帰ってすぐに大家さんのところに行って、ユニットバスの蛇口のことを話して、見にきてもらって確認をしてもらった。お盆の時期ということもあって、業者さんがいつになるかはわからないけど、早かれ遅かれ蛇口は取り外されて新しいものに取り替えらることになりそう。
僕はこのアパートに住んで12年以上経っているし、僕が入る前には高齢の女性が数年間は住んでいたと前に言われたこともあったので、ユニットバス自体がもう20年近く経っているはずなので、諸々と経年変化で壊れたりガタがき始めている部分とかが出てくるのは仕方ない。でも、人間が住まないと家とか部屋って一気に荒れて住めなくなるというけど、僕が住んでいるからまだマシな方なのかもしれない。僕の気配とか匂いとか強くこの部屋にはこびりついているんだろう。

 昨日寝るまでに夕木春央著『十戒』を読み終えて、前作『方舟』がどんなものか気になったので朝の散歩の時に購入した。帰ってから数十ページ読んだが、どちらも共通している部分があった。ともにクローズドサークルもので、タイトルが「旧約聖書」から取られている。諸事情で閉じ込めれた人物は十人ほどで、まず最初の殺人が起きる。その後、脱出不可能が状況や犯人からの指令でその場にとどまることになる。など構造としては踏襲されているように思えた。
この二作品は「メフィスト賞」受賞作家らしいクセはあまり感じられなく、非常に読みやすいエンタメミステリーだなって思えた。これ以降に同じラインが出るなら旧約聖書からなら『城壁』『詩篇』『箴言』『哀歌』『黙示』、新約聖書からなら『福音』『使徒』『書簡』あたりの漢字二語のタイトルかもしれない。

昼ごはんを食べながらTVerで昨日放送された『アメトーーク!』の「ダチョウ倶楽部を考えよう2023」を見た。おじさん(あるいは初老)はかわいげかスキがあるかないかで、下に慕われるかどうかが分かれるんだなあと思わされる内容でもあった。
上島さんという中心人物がいなくなっても、ダチョウ倶楽部が可愛がってきた主に事務所の後輩が育った(芸人として売れた)ことで残ったリーダーとジモンさんを彼らが盛り立てているし、やっぱり信頼があるからこそのやりとりから笑いが生まれてるのがよくわかる。
自分はこういうかわいげのあるスキを見せれるおじさんになれていないし、なれそうにないなと思うし、知り合いの上の世代でそういう人はあんまりいない気もする。個人同士の付き合いの問題なのか、そういう関係性を僕やその人たちが築けていないのか、どっちなんだろう。

ガーウィグ:もちろんマテル社は会社として、私たちがやろうとしていることに対する不安や意見もありました。とくに長年バービーが抱えてきた複雑な部分を私たちがどう見せていくのか、という点には、いろいろ思うところもあるようでした。でも結局、私がつくりたい映画はこれだったんです。

私にはプロデューサー、出演者としてマーゴット・ロビーがいるという、アドバンテージもありました。この映画は、彼女がつくりたい映画でもあった。もしマテル社がこの映画をつくりたくないなら別にいい、私は「バービーの映画」をつくりたいんじゃなくて、「このバービーの映画」をつくりたいんだ、という気持ちでした。

なぜかというと、バービーを描く映画なのであれば、バービーのごちゃごちゃした部分を描かなくてはいけないという強い思いがあったんです。そうでないと不誠実になると考えていました。最終的には、マテル社の人たちも「居心地悪いのが居心地良い」みたいな状態になっていましたね(笑)。

『バービー』グレタ・ガーウィグ監督インタビュー。「世代を超えて手を差し伸べることに興味がある」

過去作も素晴らしかったグレタ・ガーウィグ監督の新作『バービー』は原爆の父を描いた『オッペンハイマー』とアメリカでは同時上映されている。SNSで宣伝なのか広報が『オッペンハイマー』のとのコラボというか残念なやらかしをしているので、興味持っていた人がちょっと興味を失ったりしていたり、観るのをやめようかなという声も実際に聞いた。だけど、彼女のこれまでの作品やインタビューなどから作品としては今観るべきだし、きっと観たほうがいいものだと僕は思っている。
このインタビューでも触れているけど、主演のマーゴット・ロビーがプロデューサーというのがやはり大きな要因になっていて、日本映画で主演の俳優がプロデューサーというのは大きな商業映画ではまずない。この違いが作品における作家性であったり、どういうものを作るかという時の覚悟にも関わってきていると思う。製作委員会方式はお金の面でもわかるんだけど、いろんな会社が関わって金だけでなく内容でもなく口も出してくるせいで、という気持ちもあるので、彼女たちやトム・クルーズが自作をちゃんとコントロールできているのがいいなと思ってしまう。

前にSteamでダウンロードしてPCでプレイした『違う冬のぼくら』が本リリースされたみたい。
友人の隆介くんが今はゲームクリエイターズラボで編集と担当をしているので、一緒に遊んでみたがかなりおもしろかった。実際にYouTubeの動画で有名な人たちが一緒にしたプレイ動画がアップされて一気に認知度が上がったみたい。そういういいサイクルがあると一気に広がっていくみたい。
このゲームはひとりではプレイできないので、誰か一緒にやる相手を探さないといけないという最初の壁はあるのだが、やったらかなりおもしろい。そこが一番の関門だが。

明日〆切のライティング作業を夕方から開始。スケジュール的に来週の火曜日ぐらいまでに終わらして提出するものと重なっているけど、それがOKになればかなり余裕が出てくるはず。
火曜日以降には別のことでしっかり取り組みたいものもあるし、この流れで執筆していって形にしていけたら一番いいけど、順調な時の方がなんか起きそうで安心できない。


8月12日
寝る前に夕木春央著『方舟』を読了した。『十戒』同様に最後に連続殺人事件の犯人がわかったあとにもうひとつエピソードがある感じの展開になっていた。どちらも作品の中で一人称で語っている主人公と犯人の関係性で、ちょっと嫌な終わり方というか事件は解決した(かのように見える)がバッドエンドみたいな部分が共通していた。
特に『方舟』のほうがバッドエンド感がすごい、クローズドサークルものでそういう裏切り方もあるんだなって驚いたし、そりゃあ、評価高いのも納得。あれは予想できる人ミステリー好きな人でもどのくらいいるんだろうか。しっかり裏切られるラスト。おそらく著者がラストの犯人の行動あるいはセリフを決めてから作ってるようにしか思えないんだけど、どうやって書いているのか気になる。

8時過ぎに起きてから、radikoで『JUNK バナナマンのバナナムーン』『EXITのオールナイトニッポンX』『三四郎のオールナイトニッポン0』を聴きながら、本日〆切のライティング作業を開始。
昼ごはんを食べて、1時間ほど休憩してから夕方まで続ける。とりあえず、最後まではできたので時間を置くために今日初めて家を出て散歩に出る。
深夜に雨が降るという予報を見たが、夕方に近づいているので暑さもだいぶ和らいでいて、汗ばむほどではなかった。昨日が祝日で休みだったから、なんだか今日は勝手に日曜日だと勘違いしていた。
スマホのradikoのアプリでもう一度『三四郎のオールナイトニッポン0』を聴き直した。PCとスマホだとどちらかで同じアカウントで聴いても、一方で聴いてももう一方ではそれはカウントされないので、時間があいても放送から一週間以内なら二回聴ける、外でよく聴くから助かるだけどシステムの設計としてはいかがなものかといつも思う。

18時過ぎに戻ってきてから、『SUBARU Wonderful Journey ~土曜日のエウレカ~』を聴きながら作業を再開。今回のゲストは宮藤官九郎さんだった。毎週聴いているけど、川島さんがゲストの話をしっかり聞いているのですごく人間性が伝わってくるし、おもしろくて楽しみにしている。
宮藤官九郎さんと「大人計画」主宰の松尾スズキさんの出会いというか、劇団に入る時の話とか、「大人計画」が有名になる前だったのも大きかったんだろうし、『JUNK バナナマンのバナナムーン』でもバナナマンライブをずっとやっている放送作家さんがどうやってバナナマンとオークラさんと知り合って放送作家になったか、という話ともちょっと通じていた。
後者の方は今だったらたぶんダメな感じのやりかたで、怖いと思われたりする可能性がある(昔もどうなんだけど、ネット以前のほうがヤバいやつはちゃんと対応しないとマズいからちゃんと接したらそこから縁ができたり、人間性がわかったりするというワンチャンがあったり)けど、今何かになっている人はそういう時に縁が繋がっていく。こればっかりはどうにもならないものだなと思うけど。
宮藤官九郎さんは『ビートたけしのオールナイトニッポン』のヘビーリスナーで、たけしさんに相槌を打って笑っている高田文夫さんに憧れて放送作家になろうとしたのがきっけかになっているから、『ビートたけしのオールナイトニッポン』が生んだ最良の結果なのかもしれない。
21時前には夕方までに一度最後まで書いたものを見直しながら修正して見直してから提出、明日のミーティングの時にどういう感想なのか、自信があるとかないとかではなくて、この方向性で合っているけど、それがどのくらい先方に理解されるか、響くかなのかであとは待つしかない。

この数日間で口唇ヘルペスができたみたいで唇付近がなんか痛い。舌で触ってみたら左下唇の内側付近に芯のようなものがあって、触れるとちょっと痛い。痛みが出てきているということは免疫力が落ちてきている&ストレスが溜まり始めているということなんだろう。
時折、口唇ヘルペスができるので、自分の体の免疫とか落ちてるなとわかるので体が信号を出してるんだなと思うようにはなってきた。無理しないでやっていきたいが、今週来週ある別の〆切が終わってOKが出るまでは難しそう。


8月13日

7時ぐらいに起きて、スマホでスケジュールを見たら9時20分から六本木で映画のチケットを取っていたので7時半過ぎてから家を出て歩いて向かう。夜中に雨が降っていたおかげで暑くなく、おまけに湿気もあまりなかったので歩きやすかった。
六本木までは1時間20分ぐらい、ちょうどいい距離。『オードリーのオールナイトニッポン』を聴きながら歩いた。六本木ヒルズにはドラえもんがたくさん置かれていた。ドラえもんにはなんにも思い出もないし、漫画もアニメもパッと見はあるけど一冊を読み通したとか一話全部見たとかの記憶がない。そういうものは通ってこなかったのは家庭の環境かもしれないけど、結局自分の趣向ではないんだろう。

マーゴット・ロビー主演兼プロデューサー×グレタ・ガーウィグ監督『バービー』をTOHOシネマズ六本木にて鑑賞。
場所柄海外の親子連れも多かった。親に連れられた小さな女の子もたくさんいたが、内容的に批評的な部分もあるし、フェミニズム的な要素も多いから大人になって見返したら理解できるのかもしれない。小学生だとまだ内容的に難しいだろうなと思う。まだ、この作品におけるバービーランドのほうにいるに近いと思うし、中学生ぐらいになったらかなり理解できることや現実社会への憤りや不満も含めてわかってくるかもしれない。あとは親がどういう風に社会との関わりとかを教えたりするかどうか、なのかな。

世界中で愛され続けるアメリカのファッションドール「バービー」を、マーゴット・ロビー&ライアン・ゴズリングの共演で実写映画化。さまざまなバービーたちが暮らす完璧な世界「バービーランド」から人間の世界にやってきたひとりのバービーが、世界の真実に直面しながらも大切なことは何かを見つけていく姿を描く。

ピンクに彩られた夢のような世界「バービーランド」。そこに暮らす住民は、皆が「バービー」であり、皆が「ケン」と呼ばれている。そんなバービーランドで、オシャレ好きなバービーは、ピュアなボーイフレンドのケンとともに、完璧でハッピーな毎日を過ごしていた。ところがある日、彼女の身体に異変が起こる。困った彼女は世界の秘密を知る変わり者のバービーに導かれ、ケンとともに人間の世界へと旅に出る。しかしロサンゼルスにたどり着いたバービーとケンは人間たちから好奇の目を向けられ、思わぬトラブルに見舞われてしまう。

「レディ・バード」「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」のグレタ・ガーウィグが監督を務め、「マリッジ・ストーリー」のノア・バームバックとガーウィグ監督が共同で脚本を手がける。

映画.com

 バービーランドで楽しく暮らしていたバービーだったが、ある日、「死」ということについて考え始めると、その世界にいろんな変化が起き始めてしまう。その裂け目を閉じるにはリアルワールド(人間世界)で自分の持ち主に会うしかないと教えられて、バービーはひとりで向かおうとする。彼女に振り向いてほしいケンが車に忍び込んでおり、二人で一緒にリアルワールドに向かうことになる。だが、そこはバービーワールドとはまったく違う男性優位社会であり、女の子たちに夢を与えてきたと思っていた自分(バービー)がフェミニズムを後退させ、身体性についても嫌悪されていると持ち主だと思った小学生の女の子に言われてしまう。
人間世界が自分たちの世界とは間逆な男尊女卑で男社会なのを知った脇役で長年、バービーの恋人未満の存在でい続けるケンはその価値観を持ち込んでバービーランドを支配しようとする。また、女性の自立やその身体はその人のものであり、男性や他人にとにかく言われる必要はないというメッセージも含めて、バービー人形を通して現代社会を批評的にアイロニー満載で描いていた。
万能感を得ようと体を鍛えてムキムキになった男性のマチズモ、男性優位主義の助長。女性は男性に守られるべき(か弱き存在)だ、という勘違いから始まる他者への支配欲&攻撃性は戦争の根源になる、ということも描かれていた。僕がマッチョになっていく芸人やアーティストから気持ちが離れるのは基本的にはそういう思想だと思うから。そういう奴らが観たほうがいいんだろうけど、観てもわかんないだろうなと思ったりもした。
今作においてはリアルワールド(人間世界)における家父長制の問題が背景にあるのは間違いがなく、アメリカだとトランプ元大統領を支持したプアホワイトがたくさんいる南部の農村地帯なんかはキリスト教原理主義が多かったりする。そこでは中絶は罪であるとか、現在進行形の問題となっている。妊娠した女性が自身の意志で中絶することが州法違反になるなどは原理主義的な問題がベースだが、妻の身体は夫の意志によってという価値観があるからだ。嫁入り前の娘が傷物にされた、みたいな表現も基本的には家父が一家の女性たちの身体も支配している、持ち物だという価値観である。当然ながらバービー人形の映画でありながらも女性の自立について描いているので、有名な漫画家がこの映画を見て、「映画、バービー観た。最初の方はお洒落だし可愛いし笑いながら観てたけど後半になるにつれてだんだん冷めていった。なんか強烈なフェミニズム映画だった。男性を必要としない自立した女性のための映画。こんなの大ヒットするアメリカ大丈夫なの?」とツイートして炎上してますが、そりゃあ、炎上するよ、今の時代にその程度の価値観と認識だと。
フェミニズム映画でなんら問題ないし、フェミニズムは女性だけでなく、もちろん男性のことでもある。だからこそ、男性へにも向けてこの作品は作ってあるからこそ、ケン(基本的にバービーランドにいる男性の名前はケン)たちが人間世界で知ってしまった男性優位主義みたいなものから、いかに解放していくのかという物語も描いている。
バービー人形を製作販売している会社の重役全員が男性で女の子のためにとか言っている場面とかも皮肉な視線で、バービーの持ち主だった女性が抱える社会への不満だとかしっかり描いている。男性側としては見ながら肩身が狭いと思える場面もたくさんあるが、そういうものもケンたちの反乱を収めていく過程で笑えるものに昇華していて、そういうやり方も見せ方もうまい。
グレタ・ガーウィグ監督が今後のアメリカ映画における最重要監督の筆頭になったと今作で世界的にも認識されると思う。彼女が俳優として出演しているマイク・ミルズ監督『20センチュリー・ウーマン』もこの作品に通じていると思うのでオススメ。主演のマーゴット・ロビーがプロデューサーなのも批評的な部分で妥協しなくてすんでいるはずだ。こういう部分は日本映画ではほとんどないので、羨ましいと思っている俳優や製作者は多いんじゃないだろうか。

『バービー』が完璧な映画になった3つの理由を解説!【宇野維正のMOVIE DRIVER】

『バービー』を観にいく前に宇野維正さんの動画を見ていた。ちゃんと映画に使われている音楽についての話をしてくれるのがよかった。
クエンティン・タランティーノ監督『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』はマンソン・ファミリーがシャロン・テートを殺害した実際の事件(この事件の後、ハリウッドの高級住宅街ではしっかりとセキュリティをするようになり、セキュリティ関連会社の株価が上がった。現在のセキュリティ社会、監視社会の始まりになったと言われている)を基に描いていて、この作品で殺害されたシャロン・テートを演じたのがマーゴット・ロビーだった。宇野さんが話しているようにこの映画で彼女が殺されなかっならという歴史改変ではないけど、映画的な想像力でマーゴット・ロビーから『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』と『バービー』と繋げているのはすごくいいなと思った。

杉田俊介さんのここから始まる一連のツリーはうなづくことばかり。
冒頭の『2001年宇宙の旅』オマージュにおける赤ちゃん人形の破壊と、ラストシーンでのバービーの発言からすると、先進国の白人女性が身体的な自己肯定感を得るという杉田さんのツイートの意味もわかる。途中で「マーゴット・ロビーが言っていたら説得力ない」みたいなツッコミ的なセリフも出てきたりはした。この映画自体がさまざまな論争を生むものであり、それが大事な部分であるのは間違いがない。
あと夢の国でもあるバービーランドはケンたちの暴走を食い止めることには成功するが、その後も最初のガールパーティー的な場所からの変化は見られない。だから、この一連のツイートでは劇画されたフェミニズムのディストピアであるように見えるのもわかる。自己撞着的な部分が至る所にある作品であり、それゆえに観客の価値観や男性&女性観が出てしまうものになっているんだろう。
この作品が語り合うための足場になるかどうか、でも、そういう議論のできる余地があるかどうかってのはデカいし、日本だとそれ以前の問題だろうなと思う。統一教会や日本会議にひれ伏している政治家たちが政権与党だけではなくほかの野党にもたくさんいる時点で、彼らは家父長制を維持することに熱心で無くそうなんて微塵も考えていないのだから。

Billie Eilish - What Was I Made For? (Official Music Video)

 GG:映画の序盤は、なんの力もないケンの逆転劇だから、まあ彼はある種の反撃を試みてちょっと行き過ぎてしまうんですが。ただ映画の結末でたどり着きたかったのは、最後の最後の場面、みんながすべてを取り戻した時なんですね。

これはプロダクションデザインの細かいところだし、皆さんが必ずしも知る必要はないんですが、実際、バービーランドは「元通りの世界」にはなっていないんです。バービーが3分の1、ケンが3分の1、変てこなバービーが3分の1くらいでしょうか。そのことは様々に異なるデザインの要素をもたらしました。私たちがこのセットに入った時に「この世界こそが最も美しい」と感じたのは、すべてのものが揃っていたからなんです。というのは、私たちは「誰が上に立つにしろ、ヒエラルキーは人々にとってそれほどいいことではない」という事実に関心があったし、登場人物たちもそう思ったんだと思います。男性が愛する馬や、「変てこなバービー」が住む丘の上のバービーハウスの形、そしてオリジナルのバービーのルックスにも、敬意を表することに意味があります。そしてそのすべてがひとつに溶け合うことに。私たちが最終的にたどり着きたかったのは、そういったところでした。

グレタ・ガーウィグ監督が『バービー』を通して伝えた本当のメッセージ【CINEMA ACTIVE! 撮る人々】女性監督の歴代ナンバーワンの興行成績を記録。

上記の映画を観た感想をFBにアップしていたら、知り合いからこの記事を教えてもらった。「その後も最初のガールパーティー的な場所からの変化は見られない」と僕は書いているがこれは間違いだった。ただ、僕がラストシーンでそのことに気づけていなかったということだ。
インタビューを読んだら本当に映画としてだけでなく、観客が映画館を出てからもっと現実世界にコミットするというか、考えるきっかけや誰かと対話するスタートになる要素がたくさんあって、改めて素晴らしい作品だと思った。もう一回観たほうが僕はいいかもしれない。

終わってから来た道を引き返すように歩いて帰っていたら、セルリアンタワー東急ホテルを越えた辺りで大雨が降り始めた。傘も持っていなかったので強くなり始めて、駐車場とかで雨雲が通り過ぎて雨足が弱くなるのを待った。雨雲レーダーを見たら5分ぐらい待てばだいぶ雨は弱くなるみたいだったので、スマホで時間を潰してから小雨になってから池尻大橋方面に向かって歩き出したら雨雲から抜けて雨は降らなくなった。湿気よりも雨が降っていたおかげで気持ち涼しく感じられた。帰ってからシャワーを浴びたら左腕の日焼けしたところの皮が抜け始めていた。

21時から定期的なミーティング、いつもは三人でやっているが先方の一人がいなかったので一対一の二人で初めてやった。作業のことの確認なんかもしたが、二人なのでわりと普段していない話なんかも都度都度できたのはなんかよかった。回数を重ねているからできるというのもあるんだろう。今後のことについても話をして詳細についても決めれたのでよかった。やっぱり10月以降にもう一回環境とか変わっていくんだろうなってこの作業だけではなく、他のことも含めて感覚としてわかる。となると8月残りと9月はそれ以降の準備期間になりそう。


8月14日
月曜日はいつも通りなスタート。朝の執筆はできなかったけど、代わりにライティングに必要な資料を読んでから、リモートワークを開始。時折、窓の外から雨が打ちつける音が聞こえてくる。
ザーザー降りの音はほんとうに台風が近づいてきたときのそれと同じで、天気予想などを見ても関西に直撃で明日の新幹線の運休なども決まっているのに、関東でもかなり強い雨になっている。急に雨が止んで1時間ぐらいは晴れ間がくる感じで、雨雲レーダーを見て昼間に朝食を買いに外に出る。雨には濡れなかったけど、湿気がかなりあった。

仕事が終えてちょっと作業をしてから20時半過ぎに傘を持って家を出る。雨は降っていなくて、湿度は高くはないけどちょっとジワッとくるぐらい。渋谷まで歩いてTOHQシネマズ渋谷へ。もう夏休みということもあって、午前中とかお昼の上映会はそこそこ埋まっていたみたいだが、観客が多いのは初日とかIMAXとかデカい所で観る以外は勘弁してほしい(基本的にマナーが悪い人が必然的に多くなるから)ので、最終回にしたら終わりが23時過ぎるのもあって未成年は入れないし、少なく感じる程度の客数だったので、21時半からの宮崎駿監督『君たちはどう生きるか』を鑑賞。
個人的には観るつもりはなかったけど、シネマイレージが6ポイント貯まったら観ようかなって思っていたのと、前にニコラに行った時に曽根さんが観た感想を聞いたのも観ることにした理由。

宮崎駿監督が「風立ちぬ」以来10年ぶりに手がけた長編アニメーション作品。

「千と千尋の神隠し」で当時の国内最高興行収入記録を樹立し、ベルリン国際映画祭でアニメーション作品で初となる金熊賞、ならびに米アカデミー賞では長編アニメーション賞を受賞。同作のほかにも「風の谷のナウシカ」「もののけ姫」「ハウルの動く城」などスタジオジブリで数々の名作を世に送り出し、名実ともに日本を代表する映画監督の宮崎駿が、2013年の「風立ちぬ」公開後に表明した長編作品からの引退を撤回して挑んだ作品。宮崎監督が原作・脚本も務めたオリジナルストーリーで、タイトルは宮崎監督が少年時代に読み、感動したという吉野源三郎の著書「君たちはどう生きるか」から借りたものとなっている。

主人公の少年・眞人役の声は、映画「死刑にいたる病」、ドラマ「最高の教師 1年後、私は生徒に■された」などに出演する若手俳優の山時聡真が担当。音楽は宮崎作品を支えてきた久石譲、主題歌は米津玄師の書き下ろし新曲「地球儀」。タイトルとポスター1枚が発表された以外、映画の内容やキャスト、スタッフの情報なども明らかにされず、一切のプロモーションが行われないまま劇場公開を迎えるという異例の体制で話題を集めた。

映画.com

 ジブリ、というか宮崎駿作品が嫌いな僕みたいな人間からしたら、『君たちはどう生きるか』は宮崎駿が欲望をむきだしにして観客を置き去りにしてやりたいことしかしてないなって感じがした。途中ぐらいから笑ってしまった。もうやりたいこと(描きたいこと)だけで、世界観とか状況とかも説明する気もなくて。突っ走ってる感じがした。今までの作品の破片というかピースはジブリ好きな人からするといろんなところに見出せるのだろうけど、そういうのがわからない僕でも総集編というか集大成的なものなのだろうなと感じられた。
主人公の眞人は戦争中に病院に入院していた母を火事で亡くしてしまう。疎開もかねて父が経営している?携わっている平気工場がある田舎に越して、そこで新しい母親と暮らすようになる。その新しい母親は眞人の実母の妹であり、瓜二つであり、すでに父との間に子供ができて現在妊娠中である。彼女たちの大叔父が建てたという屋敷近くの洋館のような場所に湖にいる青鷺に導かれて、冒険へという話。

眞人からすれば叔母である新しい母親が洋館の奥にある世界に行ってしまい、彼が連れ戻そうとするのだけど、境界線の向こう側に行って帰ってくるという物語の王道パターンをやりながら、その向こう側の世界では様々な理が現実世界とはまるで異なっている。屋敷に奉公している七人のディフォルメされた老婆たちの一人も眞人と一緒に洋館に入ってしまい、別の世界に入ってしまうとそこでは、みたいなことが起きたり、亡くなったはずの母は眞人と年の変わらない少女の姿で彼を導く、など主人公である少年は「妹の力」であり、「妣の力」というか、女性たちに庇護されながら冒険を進んでいく。
この辺りも宮崎駿作品ぽいし、村上春樹っぽい、僕がこの二人が苦手なのは彼らが描くそういう部分でもある。今作においては母という実態を失った少年がそっくりな叔母に恋心というか性的なものを感じているとしか思えず、宮崎駿的なこじらせ方でそちらに向き合うのではなく、冒険によってそれを端っこに追いやっているようにも見える。
最終的に洋館から繋がら扉の向こう側にはいろんな時間軸や世界があり、大叔父から彼が作り上げた、守り続けている場所を引き継いでほしいと眞人は頼まれるが、最終的には叔母と共に元の世界へ帰ることになる。

眞人も大叔父も宮崎駿の分身であり、宮崎駿の後継者はどこにもいない、しかし彼が作り続けてきた作品からその遺伝子は世界中にバラまかれていて、いろんな場所で形にはなっている。ジブリも畳めればいいんだろうけど、いろんな利害関係や大人の事情もあるのだろうからそれは無理だろうし、映画で意思表示しているようにも見れる。これがラストになるなら素晴らしいんじゃないかな、創作する人がみんな憧れる部分がたくさんある映画だと思う。
青鷺以外にも今作では様々な鳥たちが出てくる。鳥は飛ぶことが自然な行為で、今までの宮崎駿作品における少年は自力では飛べず、少女と共にしか飛べなかった。自力で飛べるのは呪われた豚だけだった。ということを踏まえるともはや主人公は少女と飛ぶこともなく、少女も飛ぶわけではない。それは想像力の欠如というか、この現実世界が空想する力を失ったことの暗喩なのかもしれない。
『風立ちぬ』で零戦の機体のフォルムの美しさにフェティッシュを感じているものに通じるのは、今作でも兵器工場から屋敷に戦闘機のコクピットのガラス面を運んできた際に父親が「美しいだろう」みたいなセリフを言っていた。戦前生まれの宮崎駿の世代は機械芸術論とかの影響があって、戦闘機が戦争で人を殺すということがわかっていも、同時にその機体自体の美しさみたいなものに憧れ続けて無自覚に描いてしまうと大塚英志さんのインタビューで言われていたのを聞いたけど、やっぱりそうなんだろうなってそのセリフで思った。あんだけ鳥をたくさん出してたくさん飛ばさせたから戦闘機や旅客機みたいな人工物を飛ばす必要もなし、少年少女も飛ばなくていい。宮崎駿は鳥が飛ぶ姿を描きたかっただけなのかもしれない、ずっとそれだけやりたかったのかもしれない。

映画館を出て帰る時に持ってきた傘を使うことはなく、雨は家に着くまで降らなかった。

 

8月15日
敗戦の日にはこの曲を。
THA BLUE HERB "REQUIEM"【OFFICIAL MV】

 起きてから本日中に提出のライティング作業を開始。10時過ぎに一回駅前まで行って銀行とかスーパーで買い物したり諸々を済ませる。
書いて資料読んでイメージ膨らませて、ちょっと休んで書いて、みたいな繰り返し。急にフォーカスが合うような時があって、そういう時はたぶん方向性があってるなと思えて進む。
あまりにもずっと座っているのがしんどくなったので夕方過ぎに雨が病んでいたので下北沢のボーナストラックまで歩いていく。ちょっと欲しい本があったので、あるかなって思ったんだけどなかった。まあ、仕方ない。とりあえず、歩いたおかげで脳内にあったものがコロコロ転がってきた。
家に帰ってからはずっと作業を進めて、日付が変わって数分後になんとか提出したのでギリギリOKにしてほしい。これがうまく進めばいいんだけど、来週〆切のやつもこれでガッツリ取り組めるはず。

ユニットバスの蛇口は壊れたままで、最大限回すところを閉めていてもポツリポツリと一滴ずつ水滴が落ちていく。栓をしてそれがどのくらい溜まるのか見ているけど、日に日に一滴が落ちる速度が速くなってる。不思議と落ちていくのを見るとおちつく。

今回はこの曲でおわかれです。
Bruno Major - Columbo (Visualizer)

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