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『風の谷のナウシカ』

TOHOシネマズ渋谷にて宮崎駿監督『風の谷のナウシカ』鑑賞。断片的にはテレビでの放送で見ているし話の展開も知っているが、全体を通して観たのはおそらく初めてだった。
オープニング近くのスタッフロールに「庵野秀明」さんの名前を見つけ、今年『ヱヴァンゲリヲン』新劇場版やるんだけなあと思いつつ、巨神兵から「エヴァンゲリオン」みたいなものへの流れや時代の変化も感じれる。
物語は高度産業文明が崩壊し、汚染された世界では巨大な菌類の森である「腐海」が拡がっている。言わずと知れた名作であり、タイトルぐらいは知っている作品だろう。僕はアンチとまではいえないがジブリは好きではないし、ただ宮崎駿という人がすごいということはわかっている。ただ、作品にあるものなんかが合わないという部分がある。

僕は今年の夏にする予定のプロジェクトとこの作品で描かれているものにリンクするものがあるので一度しっかり観ておこうと思った。作品はもちろん素晴らしい。
でも、どうしてここまでジブリは多くの人に支持されて影響を与え続けているのに、好きな人がいっぱいいるのにここで描かれたことに近いことが世界で、日本で起きたって他人事だし、関心すら持たないじゃないかと思ってしまった。この三十年ならオウム真理教の事件や阪神淡路大震災、東日本大震災による自然災害と原発事故という人災、そしてコロナウイルスによる世界の変容があった。

『ナウシカ』の世界の腐海では特殊なマスクをしていないと肺をやられてすぐに死んでしまう。今劇場では左右一席ずつ開けてマスクをしている観客がいるので、まさしく今の状況とリンクしてしまう。だからこそ、偽善でもなんでもいいのだけど、『ナウシカ』好きとかジブリ大好きみたいな人がたくさんいても、日本は変わっていないんだなって思った。

作品と現実は別でもさ、ナウシカたちの風の谷を危機に陥れた敵国や隣国みたいな横暴な態度をしている安倍政権を続投させたり、小池百合子なんかがまた都知事になる世界って、この作品好きとか言ってる人はどう考えてるんだろうか? まあ保守的な人の方が物語だけだったらこういう展開の方が好きだったりもするのかもしれない。僕がジブリを嫌いなのはおそらくジブリ好きな人たちが醸し出している偽善みたいなものなのかもしれない、こう書くとすごい言いがかりみたいだな。いや、偽善でいいんだけど、もうなにもかも余裕がなくなっていく世界ではその偽善すらできなくって息苦しさだけが増していく、そうすると嫌でも暴力性が高まってしまう。

ナウシカのようなヒロインは確かに憧れるが、そうやって英雄的な存在が何か世界を変えれると思ってしまうと自分の責任の所在がおろそかになってしまう。そして、気がつけば大きな正しそうなものに飲み込まれて行く。物語の途中でナウシカを助けたアスベルの母とその国の少女のような判断をできるかどうかなのだろう。

庵野監督が宮崎監督に続編を作りたいとかつて申し出て断られたという話がwiki見たら書いてあったけど、現状映画館のスクリーンでこんな形で復活したらあり得ない話ではないのかもしれない。


ジブリというか宮崎駿監督について宇野常寛さんが書いている『母性のディストピア』刊行時にインタビューしたもの。この中でも僕は宮崎さん苦手という話をしている。あと、ジブリ作品ではなぜ男の子は飛べないのか問題とかはジブリを考える上では本当に大事なことだと思う。


大塚英志さんの『日本がバカだから戦争に負けた: 角川書店と教養の運命た』刊行時にインタビューした中でもその前作にあたる『二階の住人とその時代: 転形期のサブカルチャー私史』の話も出てきた。その二階とは徳間書店の二階であり、鈴木敏夫もまだ徳間書店の社員だった頃の話だったりする。


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