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『バッファロー66』『風花』『すばらしき世界』『あの頃。』

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1月29日
PARCOにあるホワイトシネクイントにて、ヴィンセント・ギャロ監督『バッファロー66』を続けて鑑賞。
高校生の時とか上京してからビデオかDVDレンタルして観ているが、スクリーンで観るのは初。観始めてから内容をほとんど覚えてないことに気がついた。今の時代に見ると主人公のビリーの不器用さ故の他者への態度はもろにアウトだなあ、と。前日にフェミニズムの本を読んでたらそうなる。
この映画の印象的なシーンを再確認したという感じだろうか。ボーリング場とかホテルでふたりが少し離れて寝転んでいるとか、ポスターにもなっている証明写真をふたりで撮るとか、最後のほうのストリップバーみたいなところでのビリーの姿とか。
ちょっと前に観た『花束みたいな恋をした』によるダメージが僕をかなり撃ち抜いてしまっていたこともあって、懐かしいものをスクリーンで観たという印象ぐらいにしかならなかった。


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2月12日

ベルサーレ渋谷にて毎年恒例の確定申告が終わって予定どおり、ユーロスペースで相米慎二監督『風花』をば。
昔、一回ぐらいDVDで観たような気がするが、まったく内容を覚えていなかった。麻生久美子さんが出てたとか観て驚いた。
浅野忠信さんと小泉今日子さんのカップリングで、噛み合わないというか酔わないと陽気にならずに素面だと性格の悪い浅野くんと風俗嬢でいろんなものを諦めている小泉さんが北海道の彼女の娘がいる場所へ向かうロードムービー。二人ともいるだけで画になってしまう、会話がなくても成立する。


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2月16日

ヒューマントラスト渋谷にて西川美和監督『すばらしき世界』を試写含めて二回目をば。
試写と同じところで泣く。失敗や過ちを犯した者はやり直せないのか?という極めて現代的なテーマを描いている。
公助ではなく共助でもなく自助を、自己責任を押し付けられ、生活保護はみっともないものとして生存権の行使をやりにくくする政治や社会へのカウンターとして。この映画をいちばん観るべきは政権与党の連中だと思うが、この世界はもう...。
仲野太賀のモデルは山下敦弘監督らしいのだが、観ていくとオズワルドの伊藤に見えてくる不思議。


 ハロプロ(モー娘。などつんく♂が総合プロデュースを手掛けたアイドルグループや女性タレントの総称)の名曲たちが彩る、今泉力哉監督作『あの頃。』(2月19日)。
 冴えない若者・劔(松坂桃李)はある日、テレビから流れてきた松浦亜弥の曲を聞いて涙を流す。そこから彼女を始めとしたハロプロのアイドルたちにハマっていく。同時にハロプロのアイドルが好きな仲間たちとも出会い、交流を深めていきます。そのことで彼の退屈な日々が終わり、生きる希望が沸いて、たのしく過ごしているのが予告編で見ることができます。
 ここからは妄想です。藤本美貴推しの友人(仲野太賀)が天冠をつけていて、「あの頃おもしろかったな」と言っているシーンが予告編にあります。劔が「あの頃」を現在から懐かしく思い出しているというのが、この作品の核になのでしょう。ハロプロなんか知らない、という方ももしかするといるかもしれません。でも、かつてピンクレディーやキャンディーズ、他のアイドルが好きだった読者の方はいますよね。時代が変わってもアイドルを応援する若者たちはいて、彼女たちに熱中したという青春があったということはきっと伝わるはずです。この映画を観て、自分が好きだったアイドルの曲をもう一度聞くのも乙なものかもしれませんね。

『週刊ポスト』2月15日発売号掲載「予告編妄想かわら版」より

↑自分の連載でも取り上げた『あの頃。』が公開になり、土曜日の朝一の回でTOHOシネマズ渋谷で鑑賞した。

今泉力哉監督『あの頃。』をTOHOシネマズ渋谷にて鑑賞。朝一の回だがわりとお客さんが入っていた。たまたま僕の周りのお客さんたちは知り合いらしく、始まる前に挨拶とかしていた。ハロプロのファンの人なんだろうなと思った。コミュニティが可視化されていたというか。

人がなにかにハマる時、出会う人とそのコミュニティの大事さがわかる映画だった。どんなに居心地がよくても人間関係は日々変わり続けるから、コミュニティは現在進行形になる。それをしっかり描いていたのがよかった。そして、主人公の劔が「いまがいちばんたのしい」と言うことがとても素晴らしいことだと思った。

個人的なことを言えば、ファンコミュニティというのは苦手だ。最初は他人行儀だった関係性も何度も会って話をしていくと友達になって、その中心にあるもの(この映画だとハロプロ)と切っても切れなくなる。そういう風になっていくと、その対象者が好きでもコミュニティでの関係性が悪くなって、ライブとかに行かなくなってしまうことがある。

僕は個人的にはそういう深いところまで行きたくないタイプだ。コミュニティが嫌になってその対象になるもののファンをやめたくないというのもある。同時にそのコミュニティがとても大事なもので繋がりを持てるものとなるのもわかる。でも、僕がオンラインサロンとかが嫌なこととその辺りは繋がっているとも思う。

あと「萌え」とかの概念がほぼないのでアイドルとかキャラクターにまったくハマらないため、こういうファンコミュニティと出会うこともなかった。
僕が高橋留美子にはまったく興味が沸かないのに、あだち充がなぜ好きなのかという理由もその日本のマンガ・アニメ的なものであったり、アイドルとかへの「萌え」という概念のことが関係していると思う。
あとは基本的に群れない方が人は自由に好きなものにコミットできると僕は思っているところがある。

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