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7_東大事件で考える、「学歴」コンプレックス

こんにちは、ナビたろうの「学習相談室」にアクセス頂き、有難うございます。心より、御礼申し上げます。

前回は「コンプレックスが『学習』や『行動』の『原動力になる』こと」についてお話しました。今回はその続きを書いていきたいと思います。前回の分を読まれていない方はぜひサクッと流し読み頂けると幸いです。

東大事件で考える、「学歴」コンプレックス

前回の記事で「コンプレックスが『人生を成功させる原動力』になる」とお話しました。しかし一方で、コンプレックスが、そのような「プラスの面」だけを持っている訳では無いこともまた事実です。

最近の事例ですが、今年(2022年)の大学入試では「極めて悲惨」な事件が起きました。テレビや新聞など、メディアで大々的に報道されているので、知っている人も多いかと思います。

”捜査関係者によると、男子生徒は警察に「医者を目指していて東大に入りたかったが、1年前から成績が落ちてきて悩んでいた。事件を起こして死のうと思った」と供述しているとNHKは伝えた。”

犯人の男子生徒は、地方の有名進学校に通っており、当初は医学部受験を考えていたといいます。しかし、成績が伸び悩み、このままでは受験に合格できないと考え、あのような犯行に及んだと報道されています。

さまざまな「コンプレックス」がある中で、「学歴コンプレックス(学習おコンプレックス)」は多くの子どもが抱えやすいという意味で、代表的なコンプレックスです。小学校3年生頃になると、誰でも『人と比較』することを覚えるようになります。学校の中では、どうしても「テストの点数・成績」で比較をされることが多い。すると、自然と「学力」という単一の軸で『自分』と『他人』を比較していくようになります。人よりも劣っていると感じれば、それが、やがて『学歴コンプレックス』になります。

コンプレックスが「負の作用」を持つとき

今回の東大殺傷事件の犯人は、そのような「学歴コンプレックス」が「マイナスの作用」をもたらさした最たる事例だと私は思います。犯人の心の中(なぜそのような行動を起こしたのか)は、これからの捜査で明らかになっていくと思いますが、現状、メディアで流れているニュースからは「犯人が抱えていた『深刻な学歴コンプレックス』の存在がうかがえます。

一般的に、学歴コンプレックスが深刻化(負の作用を持つ)する場合には、以下の2つの条件がそろっていることが多いように私は思います。それは、①幼少期(4歳ころ~)、常に『人との比較』を意識する環境で育った ②『学力・学歴』以外の『価値観』を持てない環境に長い期間、居続けた、という2つです。

前者は「お受験」に代表されるような環境です。受験競争が過熱化し、幼稚園受験や小学校受験が、より広く受け入れられるようになってきています。「有名私立大学付属の学校に幼稚園から入学すれば将来安泰だ」と考えるのは、確かに子を思う親心です。また公立の学校でも「中高一貫校」が増えてきており、受験の低年齢化が進んでいます。現在の子どもたちは、以前と比べて、はるかに「幼い段階」で「受験」と接するようになっています。

受験とは「比較」です。それも「学力」という「極めて単純な指標」を用いた比較です。もちろん面接などがある場合もありますが、試験の公平性を保つためには「単純な指標」が必要です。人間とは「多面的な存在」にも関わらず、ある一面で指標化(数値化)して比較し、優劣をつけ、合否を決定するのが「受験の仕組み」です。

子どもが「幼いころから受験」に触れるようになれば、子どもは自然と「比較する」ようになります。現在、多くの子どもが「マウント」という言葉に敏感になっています。それも「誰かと比べて有利に立つ」ということに、とても敏感になっている証拠ではないでしょうか。少なくとも、私にはそのように見えてしまいます。

後者は「進学校」に共通する環境です。特に「難関国公立」「医学部受験」となれば、環境は『特殊』です。子どもはある意味で「偏差値神話に洗脳」されます。逆にいえば、その神話に『洗脳』しなければ、受からないのです。そのことを「先生」や「講師」は良く知っています。「〇〇大学に行かなければ、生きている価値はない」。そう思いこませることで生じるパワーを、受験業界にいる人間は誰もが知っています。

しかし、上記の①と②の環境がそろい、かつそれが『負の作用』を働く場合があります。それがまさに今回のようなケースではないでしょうか。犯人がもし、思い悩んだ時に相談することができたら。そのときに、誰かが「学歴や偏差値以外の価値観」の存在を教えてあげていたとしたら。犯人の高校生は、あのような犯行には及ばなかったのではないか。私にはそう思えます。

コンプレックスは「悪」ではない

しかし、私は同時に「コンプレックス」は「悪いこと」とは限らないとも思っています。むしろ、コンプレックスはそのような『負の力』を持つ一方で、爆発的な『正の力』を持っていることを知っています。それは、前回までの記事を読んでいただけた方ならば分かると思います。

コンプレックスは「力」です。人と、動かします。その力は「正しい方向」にも、「正しくない方向」にも、働きます。大事なことは、そのような「コンプレックスが持つ力」をしっかりと自分でコントロールすることです。自分でハンドリングできるようになれば、これほど心強いものはありません。そのためには、自分がどのようなコンプレックスを持っているのか、まずはしっかりと向き合わなければいけません。これは記事にも書いた通りですが、自分の弱みと純粋に向き合い、それを受け入れたとき、その弱みはあなたの「強み」へと変わります。

今回のような事件が起こると、「学歴コンプレックス」や「コンプレックス」を持つこと自体が「悪いこと」のように感じられ、報じられます。そして、そのような考えが行き着く先は、「比較しない学校・社会」であり、「誰もコンプレックスを抱かない社会」です。具体的には「学力で評価することは止めよう」という論調が、強くなります。そもそも、ゆとり教育はそのような考え方を出発点として始まり、そして、終わりました。

私はむしろ、生きていれば「コンプレックス」を抱くのは当たり前だと思います。コンプレックスのない社会は、何の面白味もない社会です。そんな社会は、誰が望んでいるのでしょうか。大事なことは、自分のコンプレックスを受入れ、それを正しいエネルギーに変える、そのような技術をしっかりと教え、みにつけていくことではないでしょうか。

次回から、コンプレックスを「プラスのエネルギーに変える」方法について、具体的にお話を進めていきます。

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