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4_「コンプレックス」とは何か②

こんにちは、ナビたろうの「学習相談室」にアクセス頂き、有難うございます。心より、御礼申し上げます。

前回は「コンプレックス」という言葉について、少しお話をしました。今回はその続きを書いていきたいと思います。前回の分を読まれていない方はぜひサクッと流し読み頂けると幸いです。

「コンプレックス」=心的複合体?

コンプレックスは心理学的に言うと、心的複合体(しんてきふくごうたい)という、なにやら小難しい言葉になるようです。私はこの言葉を、日本を代表する臨床心理学者の「河合隼雄さん」の本から学びました。

ところで、この「心的複合体」とは、どうゆう意味なのでしょうか。今回はこの点からお話していきます。

コンプレックスを英語にすると「complex(形容詞)」という表記になります。英語の意味を直訳すると「複合の、いくつかの部分から成る、合成の、複雑な、入り組んだ」というような意味を含むそうです。なんとなくのイメージですが、このコンプレックスという言葉は「ごちゃごちゃした」イメージを持っていると理解すると分かりやすいかもしれません。

それでは、この「ごちゃごちゃしたイメージ」を心理学的な意味の「コンプレックス」に当てはめると、どのような意味になるでしょうか。この点、私は非常に面白いと感じています。

例えば、あなたは「どんな人ですか?」と問いかけられたら、あなたはどのように答えるでしょうか。おそらく、「自分の名前」「出身地」「好きなもの」「嫌いなもの」「性格」などをかいつまんで、答える人がほとんどだと思います。私も初対面の人にそのように尋ねられたら、同じように答えます。大事なことは、私たちは「当たり前のように、『自分』について知っていると思っている」、という点です。しかし、よくよく考えてみると、私たちは自分で思うほど、自分のことを知らないものではないでしょうか。自分の「名前」や「出身地」は間違えようのないものです。一方、「好きなもの」「嫌いなもの」「性格」「価値観」のようなものは、それほど確定的ではないもののようにも思います。

「自分」を知っているという『誤解』

私は普段、お子様や保護者様から「学習相談」「子育て・教育相談」を受けることが多くあります。お子様と面談していると、たまに『先生・・私、自分で自分のことがよく分かりません・・。だって、昨日は〇〇高校に行きたいと思っていたのですが、今日になって△△高校に行きたくなりました。こんなんじゃ志望校、決められないです。だって、考え方がコロコロ変わってしまうから・・』というような相談を受けます。

子どもが成長するプロセスの中で「受験」は重要な成長機会です。一方で、自分の人生を『自己決定』する重要な機会でもあります。受験のような機会に『意思決定』を積み重ねていくことで、子どもは『成長』していきます。だからこそ、私は『自分で志望校を決める(親ではなく)』ことを推奨しています。しかし、トントンと決まる子もいれば、相談にあるようになかなか決まらないお子様もいます。

そのような相談を複数受けるなかで、あるとき、私はふと感じました。自分の考えや志望校がコロコロ変わることって、そんなに悪いことなのだろうか。むしろ、それって割と自然なことなんじゃないか、と。

私自身、暗黙のうちに『自分のことは知っていて当然だ』と思い込んでいたのかもしれません。しかし、一歩引いて考えてみると、人間の考え方なんて、1日もあればスグに変わってしまうものなのではないでしょうか。「朝礼暮改(ちょうれいぼかい)」という四字熟語もあるくらいじゃないか、人間は『コロコロかわるもの』なのだと私は考えを改めました。

さて、話が少し遠回りになりましたが、心的複合体とは、このような「人間の非単一性(ひとつじゃないこと)」を表現した言葉です。極端な表現をすれば、ひとりの人の中にも『複数のごちゃごちゃした考え方が存在しているのが当たり前だ』という考え方です。

複数の考え方=複数の「人格」?

さきほどは「考え方」というレベルで話をしました。「あれも好き」「これも好き」「やっぱあっちもいい」というレベルでの『迷い』は誰にでもあるでしょう。二人の人に同時に告白されて、どっちにしたらよいのか、考えようによってはどっちもいいように思う、迷う~、決められない!、という現象に、心当たりがある人も多いかもしれません。

さて、心的複合体は「考え方」をさらに一歩進めて「人格」というレベルでの「ごちゃごちゃ感」を認めます。「考え方」と「人格」の違いは、細かい話をすれば様々あると思いますが、ここではざっくりと「その人の根本の考え方に近いかどうか」という意味でご理解ください。根本的な考え方に近いのが「性格」であり、それほど根本的ではないもの(例えば、志望校など)が「考え方」です。

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私は「心的複合体」を上のような「図」で理解をして、整理をしています。つまり、ひとりの人の中には「複数の人格」が存在することを当たり前として、認めることです。その中で、複数の人格の「調和」を取りながら、人間は生活を送っているものなのではないだろうか、という考え方です。

私はこの考え方には、非常に納得し、面白いと感じます。私たちは「あまりにも自分を知っている、自分はひとつだ」と考えすぎなようです。だからこそ、生まれてくる悩みもたくさんあります。そうではなく、そもそも「人格は複数だ」「心的複合体(Complex)」の存在を受入れてしまったほうが、私たちは遥かに生きやすくなるのではないでしょうか。

次回は、この「人格の調和」や「葛藤」について書いていきたいと思います。


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