自分と向き合うとは
最近、このテーマについて考えることが多くなっています。
私とは何者か。年齢や名前、職業などを取り除いたとき、どんな特性を持った人間と言えるだろうか。
こんな人間ですと胸を張って言えるか。
何がしたい?どんな未来を描いた人間なのか。
考えてみると全くわからない。
振り返ってみると、幼少期の記憶は断片的にしかなく、義務教育の学生時代も、田舎町で周りの価値観に合わせながら生きてきた。波風立てないように、自分を押し殺しながら。
そんな生活に息苦しくなって、不登校になったり、いろんなところへ連れて行ってもらった。
大学生になって、自由な時間ができてからは一人で出かけることが多くなり、1日フリーになるとすぐにどこかに出かけるような人だった。
これらはすべて、私の内面の欲求に従って生きてきたモノだから、本心が何を考え、どんな思いを核に持って生きているのかを全く知らずに生きてきた。
そのため、人生の目標とか、軸とか、そういった類のものも持ち合わせて居らず、ただ毎日を生きてるだけという生活をしている。
最近そんな生活の中でも、もっと人に会いたい。
対話を繰り返すことで自分の思考を整理したいと思うようになった私だけど、ここまでの生き方が仇になっている。
「人との出会い方が分からない」
笑っている人もいるかと思うけど、本当にそう思ってる笑
コミュニケーションが嫌いなわけじゃない。むしろ好きで人に会いたい。でも、対話を深めるための語彙力を多く持っていない。
相反する感情や思考と常に向き合っているうちに少し疲れてくる。
自分と向き合うときもこんな感じ。
こうかな?違うそうじゃない。じゃあこれ?
言葉はポンポン出てくるけど、しっくりくるものと出会えない。思考をぐるぐるさせながら2~3時間があっという間に過ぎることもある。
これが私の特性なのかも知れないけど、私はもっと省エネに生きたい。
この面倒くさい性格と向き合い、自分自身に嫌気が差さない思考法を見つけるために、私はずっと向き合い続けるんだろう。。
私という世界に。
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