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内定辞退してクラファンで100万集めて起業 した話

あまりにも濃くて一瞬で過ぎ去った2021年度
将来のことなんて本当に予測できないなと思った1年だったと

簡単に振り返ってみると

2021年
1月  クラウドファンディング をやろうと決意、事業案構築
2月 パーソナライズプロテインの事業でクラファン開始
3月 クラファン にて100万円の支援金を集める。内定辞退
4月 会社設立
5月 プロテイン製造開始
6月 資金調達
7月 テスト販売開始
9月 東京大学研究員になる
12月  ホリエモンの前でピッチしてボコボコにされる👊


我ながらパワーワードのオンパレードな一年だと思う。出会う人、近くにいる人がガラッと変わった。Facebookの友達が100人から800人近くになったことからどれだけ環境が変わったか視覚的にもわかる。今回は内定辞退して起業しようなんて、これっぽっちも思っていなかった私がなぜ起業する決断をしたのか、そして実際起業してみて思ったこと、今後どうしていくのか自分の頭の整理がてら書いてみることにする。

目次
①なぜ起業したか
②なぜ内定辞退して会社を登記したか

①なぜ起業することに?

元々、就職して3年働いて力をつけて起業する、という雛形のような将来像を思い描いていた。3年なんて根拠はもちろんない。就活の時は1年営業を行い、そのあとはマーケティング、3年次に新規事業の部署に配属してもらって事業責任者を、、、とか分からないながらネットに落ちてる著名人のインタビューを読み漁りなんとかキャリアプランとかいうのを構成。本当に今思えば薄い就活生だな笑
でも母の死がきっかけだけど、とにかく必死に働いて力をつけて、自分が生きた証を残したいという思いは就活時からあったのは間違いない。この時から既に起業という選択肢だけは頭の片隅置いてあったし、起業したいときに迷いなくできるだけのスキルを磨いておきたいと思っていた。

そんな私が本当に起業という道を選ぶことになったのは間違いなく環境の変化が起因してる。
4年間所属した大学は理系単科国立大学。コアタイムは9:00-18:00の研究漬けの毎日が当たり前の大学で起業なんて考える人が周りにいるわけがない。現に私は研究にいかずインターンばかりしてたけど、教授にはあまり研究室に行けてなかったから(←私が悪い①)「遊んでるんじゃないのか!!!」って大激怒されて泣いてたし、研究室内では変人扱いされて完全に浮いてたから友達とかできなくて(←まあこれも私が悪い②それでもみんないい人だった)トイレが唯一の逃げ場でトイレの安心感を心の底から知ったし、本当に起業と真逆の環境。簡単にいうとみんな大手メーカーに就職して研究職を目指す環境だった。

こんな環境をガラッと変えてくれたきっかけになったのは間違いなく「JOBSCAMP」というU23の起業家プログラムだった。なぜ特段、何もしてなかった私が受かったか分からないけど、とにかく私は人生で出会ったことのない個性的で夢にまっすぐで情熱的な仲間に出会えた。周りの人も変わった。

人が変化する3つの要素って環境・人・時間というけど本当にこれはまさにだと思う。この全てがJOBSCAMPがきっかけで必然的に変わり、私の中で起業の芽が生まれた。
不思議なもので「起業=珍しい」が「起業=当たり前」に思考チェンジされてていつの日か自分の考えていた事業案をクラファンで事業検証してみよう!という思考に変わっていた。
耳がタコになるくらい人間の変化する3要素の話は聞かされると思うけど
変わるなら間違いなく身の置く環境を変えた方がいい。少しの勇気で人生変わる。(私も2022年度はもっと身のおく環境を変えないと行けないと思ってる)

②内定辞退か会社登記か
ここから私の起業への第一歩が始まった。ただその時、既に4年の12月。学生の時間はあと4ヶ月。この時ほど4年生だったことを悔やんだことはないよね。クラファンの実施期間や今後の人生選択を決める時間を考えるとクラファン の準備にかけられる時間はわずか1ヶ月しか残されていなかった。でもとにかくやるしかなくて、今だから言えるけど、かなり無茶してクラファン を始めた。
よく1ヶ月で準備なんてできるものですか?と聞かれるのでどういう風に工夫してクラファン を開始したのかだけ簡単にまとめると👇


①リターン 商品を製造できる環境やHow toを担保した上で、商品を手元に置く前にクラファン を開始してしまう(リターン できる環境を担保するのは絶対条件)
②クラファン の商品紹介ページの写真は全てフリー画像を駆使してコラージュしまくる。
③クラファン の商品紹介ページはとにかく真似る。オリジナリティとか出してる余裕はないので似た商品を扱っててうまくいってるプロジェクトの型をありがたく真似させていただく

もちろん時間に余裕を持ってクラファン を行う方がいいに決まってる。私の作ったページの出来はかなり酷い、、w

それでも人が必死になるとどうにでもなるものだから不思議なものだ。
1ヶ月で徹底的に準備したクラファンは 3日で100万集まった。
集客は知人・知人の紹介はもちろんのことその時に流行っていたclubhouseを使い倒した。当時はclubhouseが流行していてクラファン の宣伝するのにもってこいの場所だったので、ひたすらルームに入って手挙げて宣伝してたらこれがうまくいった。周りの方のサポートのおかげとしか言いようがない。

でもここに来て、達成した、やった!!という喜びと同時に、"これ、この後どうしよう"という悩みにぶつかった。
「自分には何もない。今起業するのは早すぎるのではないか。」という感情と「自分がやりたいと思った事業に真摯に向き合いたい」という感情が絶え間なく交互に押し寄せてきて就活の時以上に自己分析したと思う。いろんな人に話を聞いてもらい、内定先の役員の方にも相談にのっていただいて2週間全力で悩んだ。

でもめちゃめちゃ悩んだ割に起業しようと決めた理由としては案外単純だったと思う。

自分がワクワクする人生を選ぶ。
もっと簡単にいうと険しそうと思える道を選んだだけだった。


人生を振り返ってみると、こうやって悩むときは明らかに難しくて大変と思える道を選んでいた時の方が満足度の高い人生を送れていた。

例えば、「数学ができるようになる」をゴールに置いたとき、
①4年間算数をびっしり学んでから5年目に数学に取り組む環境
というコースと
②1年目から数学をやらないといけない環境
というコースがあれば間違いなく後者の方が先に数学ができるようになると私は考える。時間がないと言う環境こそが人を成長させる重大要因になると思うから。

起業も同じなのかなと。起業のために3年間働いて修行するという環境と、起業して頑張らないといけない環境、どちらに身を置いた方が成長スピードが早いだろうかという観点で考えてみると答えは明白だった。
加えて母を50歳で亡くしていることが原因なのか、昔から自分は生き急ぎ癖がある。人生100年時代というけど、そんなに生きれるのか私は自信がない。人生50年時代で考えるとボーっとしてる時間は全然ない。50で設計してやりたいこと やりまくって、これで母以上に生きることができたら倍長生きできたらそれはそれで幸せじゃない?と言う感覚で生きてるからやりたいことを後回しにしていられなかった。もっとエモーショナルな部分で言うと、クラウドファンディングを応援してくださってる方の顔を浮かべた時に中途半端な気持ちで向き合いたくないと思ったのもある。んーーー。これが案外一番大きな理由だったかも。笑

正直、今でもどっちの道正解だったか分からない。就職して副業としてやると言う道もあったかもしれない。でも少なくとも地道に誠実に努力し、選んだ道を美化することなく全力で正解にしないと行けないと思う。
起業を選んだことに全く後悔はないけど、日々自分の未熟さに向き合う毎日だったし自分の実力のなさを痛感しまった2021年。
2021年度の後半とかは完全に軸がぶれ、停滞期間も正直なところかなりあった。
一人で抱え込むと何も進まなくなることも学んだし、この道は迅速に正確な判断をしないといけないからこそ、もっと思考して頭を整理する時間を設けないといけないということも学んだ。あと人には期待をしない。圧倒的自責精神をもっと鍛えていかないといけないということも知った。

明日から2022年が始まる。
また自主的に環境・時間配分を変えて、2021年以上に人生変えたいと思う。

p.s.
環境がえの部分にもなるのですがオフィス付きのシェアハウス とかでいいところないかなーと探してるので、ここよかったとかよくなかったとか体験談あれば教えていただきたいです。



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