腕時計の下の秘密
腕を、切ろうと思った。
ただそれだけだ。
大学のある授業で、教授が言った言葉。
信じられなかった。
私が18年間生きてきて、いろんな経験をさせてもらって、
その結論として、まず自立しようという目標を立てていたのに。
人生をかけてたどり着いた結果は、私の勘違いであったのだ。
そんなことを、教授は平気で言う。
SOSがだせずに、腕を切る、私の前で。
買ったばかりの腕時計が、かちかちと音を立てている。
つらい思いをしている人の力になれるかも、なんて考えて、
学校で仕事がしたい、なんて思って、
養護教諭という職業に恋焦がれた。
人、ましてや生徒という、
これから成長していく重要な時期に携わるというのに、
私自身がいまだに子どもであり、
ケアを必要としていることに気が付いたのだ。
決定的な原因は言葉にできない。
細かいモヤモヤが積み重なって、
ご飯がのどを通らず、
夜なかなか眠れなくなった。
なのに不思議と、人の前では微笑むことができた。
このままではいけないことはわかっていた。
むしろそれしかわからなかった。
ふと、中学から学校に来なくなった友達を想い、
その子の左腕の傷跡を頭で追った。
今でも鮮明に思い出せるほど、当時の私には衝撃的だった。
だって、痛いし、怖い。
今ならその子を理解できるかも。
私も気持ちが晴れるかも。
だから、切ろうと思った。それだけ。
でも普通に痛いし、怖いし、剃刀を持つ手は震えていた。
私には勇気がなく、猫のひっかきあとみたいな傷だけが残った。
腕時計をつけると、綺麗に隠れた。
他者にSOSをだせることを自立というのなら、
私には当分できそうにない。
お互いに助け合うケア関係を築けない。
健康指導をするには、健康でなければならないのに。
それでも結局、学校に行く。
おはよう、って微笑む。
左腕に腕時計が傷を隠すようにはまっている。
文字盤にいる羊が、いつかきっと大丈夫。と
微笑んでいるかのようだった。
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